第196話:連れ去った
庭の桶に、薄く氷が張っていた。
指で押したら割れた。下の水は動いている。
俺は荷を下ろして、紐を締め直した。
結び目が増えている。昨夜、ガキどもがいじったやつだ。
解いて、結び直した。
*
板の間で、司祭が修道女と向かい合っていた。
昨夜と同じところに座っている。
「あの子を、お預かりいたします」
修道女の手が、膝の上で止まった。
「……お預かり、と申されますと」
「連れて参ります」
司祭は、それだけ言った。
どこへとも、いつまでとも言わない。
俺は戸口に立っていた。喋る場面じゃない。
修道女は、燭の消えた台のほうを見ていた。
「あの子は、断らないでしょうね」
「はい」
修道女は、しばらくそのままでいた。
「……お待ちください」
立ち上がって、戸口へ来た。
俺の横を通るとき、袖が触れた。
「サフラ」
*
ガキどもは、手伝うつもりでいるらしい。
誰かが俺の荷を持ち上げようとして、持ち上がらないので怒っている。
「重いから怪我するって言ってるだろうが」
「もつ」
「昨日も聞いたぞ、それ」
そこへ真面目が手を貸しに来た。
「ジェイゴ。半分持つよ」
「いらねぇよ。取られたら俺の仕事が無くなるだろ」
*
サフラと呼ばれたチビッコは、昨晩の格好のままだった。
継ぎ当てだらけの長衣に、紐のサンダル。
素足。
俺は自分の靴を見た。それから、あの足を見た。
この足で、峠を越えるのか。
「おい、真面目」
「なんだ」
「やっぱ荷物はお前が持て。全部」
「仕事が無くなるんじゃなかったのか?」
「別の運ぶものができたんだよ」
*
門のところで、子どもの一人がチビッコの手に何か押しつけた。
結び目のたくさんある紐だった。昨夜、車座で回っていたやつだ。
チビッコは受け取って、握ったままでいた。
*
修道女が閂を上げた。
来たときと同じ音がした。
俺たちは外へ出た。
司祭が、そこで振り向いた。
「もし、問われることがございましたら」
修道女が顔を上げた。
「司祭が連れ去った、と言いなさい」
司祭は目を閉じた。
修道女は口を開いた。何も出てこなかった。
「……はい」
門が閉まって、閂が下りた。
*
登りにかかった。
明るいところで見ると、思っていたより長い。
並びが変わった。
司祭が先で、次にペドロ。俺とチビッコが真ん中で、ちっちゃい眼鏡、最後が真面目。
荷を背負ってるやつが最後にいると、誰が遅れたか分かるからな。
*
チビッコは遅れなかった。
歩幅は小さいが、間が空かない。同じ調子で足が出る。
こういう出し方をするやつは、潰れるまで潰れない。潰れたときには手遅れになっている。
坂がきつくなったところで、俺は無言でサフラを背負った。
「あるけます」
聞いていたとおりだ。
ガキは黙って大人に甘えてればいいんだ。
*
もう少し登ったところで、俺は座った。
「少し休もうぜ」
文句は出なかった。ちっちゃい眼鏡が真っ先に座ったからだ。
「足を出せ」
チビッコは、片足を出した。
裸足で歩いていたときにできた傷が幾つかある。
俺は布で軽く拭ってやった。水は含ませない、冷えるからな。
もう片方も出させた。
なんだ、素直じゃねぇか。
*
「ちっちゃい眼鏡」
「なに」
「その上着、貸してやれ」
ちっちゃい眼鏡は、俺を見てから、チビッコを見た。
それから黙って脱いで、チビッコの肩に掛けた。前で合わせて、袖を折り返してやっている。
「僕は、寒いのが嫌いなんだけど」
「知ってるよ」
*
ちっちゃい眼鏡は、腕を組んで歩いている。上着が無いからだ。
「なぁ」
「何」
「さっきの、あれはなんだ?」
「どれ」
「連れ去った、と言いなさい、ってやつ」
ちっちゃい眼鏡は、しばらく歩いてから答えた。
「言わないと、あの人が困るからでしょ」
「あの人?」
「門を開けた人」
俺は前を見た。
司祭は、いつもの歩き方で歩いていた。
「月末って言ってたっけ」
ちっちゃい眼鏡が言った。
卓の端に重ねてあった紙のことだな。手のひらで押すやつ。
「あれ、このチビッコのぶんも入ってるんだろ」
「入ってるよ」
ちっちゃい眼鏡は、それだけ訊いて前を向いた。
*
峠の上は、風が抜けていた。
真面目が俺とチビッコの前に立って、風をよけている。こういうのは上手い。
俺は、来た道を見た。
癖だ。上に立ったら後ろを見る。
道は細くて、白くて、何も動いていない。
見て、何も無いのを確かめて、それで落ち着く。
落ち着いたところで、俺は腰に何も持ってねぇんだが。
*
下りにかかって、屋根が見えた。
坂に段の畑がついている。下のほうから順に刈ってあって、刈ってないところが上に残っていた。
「素通りはできるだろ」
「できます」
司祭が立ち止まった。
「寄ります」
それで決まりだ。
行きは、司祭とペドロの二人で寄った村だ。今日は俺たちがいる。チビッコもいる。
「顔を覚えられるぞ」
「覚えられます」
ペドロが、俺のところへ来た。
「寄らずに抜ければ、抜けたことのほうが覚えられます」
*
村の入口に、年寄りが立っていた。
白髪で、杖をついている。若い頃に力仕事をしていたんだろう、肩の幅がある。
司祭を見て、頭を下げた。
「これは司祭様。お帰りでございましたか」
年寄りは、後ろの俺たちを順に見た。
「おや。賑やかにおなりで」
「峠の手前で一緒になりました」
年寄りは、チビッコのところで目を止めた。
「その子は」
「院より、お預かりいたしました」
年寄りは杖を持ち替えて、道を空けた。
*
家に入れられた。
火のところへ通されて、婆さんが出てきた。
婆さんは、チビッコの足に触れて、奥へ引っ込んだ。
布を持って戻ってきて、その場で巻きはじめた。
チビッコは、されるままにしていた。
巻き終わると、少しだけ頭を下げた。
*
麦と、菜と、塩の効いた汁が出た。
量だけはタップリあった。
ちっちゃい眼鏡は、火のいちばん近いところに座らされた。
唇の色が、まだ戻っていない。
*
年寄りが、司祭の前に来て座った。
「婆さんの目は、変わりません」
年寄りは笑った。
「ですが、よく眠るようになりました」
「なによりでございます」
年寄りは、杖を膝のところへ引き寄せた。
「そうそう」
思い出した、という顔をした。
「さっき、お役人がお二人のことを訊いて、下へ戻ってゆかれましたよ」




