第187話:罪になるのか?
詰所の隣に、酒を出す家がある。
こういう家は、どこの国にもある。
初日は、隅で飲んで帰った。二日目は、勘定のときに二人ぶん払った。払った相手には言わない。店の者に言う。
三日目には、席のほうから声がかかった。
「ペドロさん、だよな。ベルナール司祭様のとこの」
「はい」
「こっちだ」
*
私は訊かない。
注ぐ。減ったら注ぐ。相槌を打つ。時々、笑う。
それだけで、人は喋る。喋る人は、喋りたいから喋っている。
こちらから引き出したものは、あとで思い出される。向こうから出たものは、思い出されない。
この夜の話は、東の海のことだった。港が三つ焼けた。船が戻ってこない。誰の従兄弟が乗っていた。
こういう話は、勝っている側でも湿る。
「おい、あっちに座ってるやつにも聞けよ」
誰かが顎で示した。
「あいつ、ヌオモからだろ」
*
卓の端に、一人で座っている男がいた。
四十くらい。肩が厚い。左の手の甲に古い傷がある。
剣を持っていた手だ。いまも持っているのだろう。この町のどこかの家に雇われている。
私は椀を二つ持って、そちらへ移った。
「ご一緒しても」
「ああ、好きにしてくれ」
半刻ほど、私は何も訊かなかった。男も何も言わない。
それから、注ぎ足したところで、男が口を開いた。
「あんた、どこの国だ?」
「教会は国に属してはおりません」
「ずるい答えだな」
「ええ、よく言われます」
男は初めて笑った。
「家が潰れてな」
「はい」
「爵位も、家も、財も、何もかもが取られた。俺は門番だった。門ごと無くなったんだ」
「歩いて来られたので」
「そりゃもう、歩いたさ。七十人から八十人はいたと思う。行列だよ」
男は椀を卓に戻した。
「あんなに歩いたのは、生まれて初めてだ」
「徒歩の長旅となると、老人や子どもは大変だったでしょうね」
「老人は馬車に乗せた。子どもも、みんなそこそこ大きかったからな。……いや」
私は、注いだ。
「小さいのが一人いたな。五つか六つか、そのくらいの女の子だ」
「それは、ご両親もご苦労されたことでしょう」
男は首を振った。
「いや、誰のでもない。屋敷にいた子だ。母親が死んで、そのまま置いてあった」
「置いてあった」
「そういう言い方になる。飯も食わせてた。だが、誰の子でもなかった」
「歩けたのですか。その齢で」
「歩いたさ。文句も言わなかった」
男はまた笑った。今度は、少し違う笑い方だった。
「妙な子でな。転んでも泣かない。俺が抱えてやろうかと言ったら、断りやがった」
「その子は、いまも一緒に」
「いや」
男は、そこで手を止めた。
「境で、いなくなった」
*
「はぐれてしまったのでしょうか」
「違うんだ。迎えが来た」
「迎え、ですか?」
「いい服を着た男だ。三人か四人、連れてた。紙を持ってた」
「紙」
「役所の紙だな。ああいうのは、遠目でも分かる。判が押してあった」
男は椀を回した。
「名を読み上げて、その子だけ連れて行った。荷馬車に乗せてな」
「ほかの方々は?」
「そのまま通された。誰も止められなかったし、その子のことを誰も訊かなかった」
男は、こちらを見た。
「あんただって、訊かないだろ? 俺たちだってそうだ。訊いていい場面と、悪い場面がある」
「確かにそのとおりですね。ちなみに銭は?」
「動いてないだろうな」
男は即答した。
「売り買いなら、俺たちにも分け前の話が来るが、来なかった。あれは、そういうんじゃなかったと思うよ」
*
それから、男はしばらく飲んでいた。
卓の向こうでは、まだ港の話が続いている。
「なあ」
「はい」
「一つ、聞いていいかな」
「勿論です。なんなりと」
男は椀を持ったまま、そこを見ていた。
「俺は今、こっちの家に雇われてる。給金をもらってる。その家の若いのに、剣も教えてる」
「はい」
「そして、俺の故郷と戦をしようとしてる」
「はい」
「これは、罪になるのかな?」
私は、椀を置いた。
「私は司祭ではございませんので、赦しは申せません」
「そうか」
「ですが、一つだけ」
「うん」
「あなたが食わせている者がいるなら、それは務めです」
男は、しばらく黙っていた。
それから、椀を空けた。
「ありがとう。今日、あんたと話ができてよかった」
「最後に一つだけ。先ほど話しのあった子どもの名前は覚えておりますか?」
「もちろんだ。名前は……」
*
勘定を済ませて、外へ出た。
持ち帰るものは四つ。
一 あの子はいた。境まで来た。
二 境で、役所の紙を持った男たちが現れた。
三 その子だけを連れて行った。
四 その子の名前
明日は、別の詰所へ行く。




