第181話:量りの証
頭を下げたまま、陛下は動かれなかった。
「おい、ちょっと待ってくれ」
ディエゴだった。
「俺は今しがた叩き起こされて、ここに突っ込まれたばっかりなんだが」
「聞いてたでしょ」
「聞いてたさ。聞いてたけどな」
ディエゴは頭を掻いて、それから陛下のほうを見た。
「ちっちゃい陛下……頭、上げてくれ。俺らが何か悪いことをしてるみたいだろうが」
「行ってくれますか」
「行くよ。どこへでも行くし何でもする。けどな、そういうのは先に頭を上げてから言うもんだぜ」
それを見ていたセヴィが手を挙げて言った。
「僕は言い出した側だから、当然行くね」
二人が答えてしまえば、私が答えないわけにはいかない。
いかない、と思ってから、それは違うなと思った。
「私も、参ります」
陛下が顔を上げられた。
「ありがとうございます」
*
「ヌオモからは……人を出すことは、できません」
ムフタル殿が口を開いた。
「我々の国の問題であるにも関わらず都合の良いことを、とお思いかもしれませんが。今の状況下でヌオモが表立って関与するのはロルオーを大きく刺激いたします。事実として我々の同盟は存在しますものの、ヌオモが境を越えるというのは、あまりにも手が大きすぎます」
アフメド王も続ける。
「仕掛けてきたのはロルオーだ」
「はい」
「境の話を出すなら、先に船や港を焼いたのはやつらだぞ。ロルオーの旗についてはどうせ『海賊がロルオーを騙った』と否定するだけだろうがな」
「承知しております。ですがまだ、両国間で明確な開戦が行われているとは言い切れませんので」
「詭弁だな」
「はい、詭弁です。ですが『詭弁』か『事実』かで、今後のロルオーに対する手数が変わります」
「わかった、もういい」
アフメド王は引き下がった。納得されてはいらっしゃらないが。
セヴィが言葉を挟む。
「セフォーも同じく、表向きは関わらないほうがいいと思う」
「それは……」
ファティマ様は口ごもられた。
「だからさ、僕らが行くんだよ。あ、ディエゴは黙ってて」
俺はドラントだ、と言いかけたディエゴが先に制される。
私とセヴィはセフォー出身。ディエゴはドラント。だがいずれも、所属はヴィタリスだ。
「ムフタルの言う通り、詭弁だよ。でも国同士のことなんて大抵が詭弁じゃない?だったら詭弁で押し通そうかなって」
*
「どうやって行かれるおつもりでしょうか」
ファティマ様だった。
「行き方が無いことは、変わっておりません」
「境が閉じております」
ムフタル殿も重ねる。水差しに手をかけて、そのまま話し続けた。
「商いの船も止めております。陸のほうは元より道が細く、関があります。関には人が出ております。近ごろは特に、でございます」
「もうちょい詳しく」
「亡命が続いておりますので。あちらもこちらも、出入りに目を光らせております」
「そっか。あと仮に、無事に入れたとしても、その先の問題もあるよね」
セヴィが床の綴りを引き寄せた。
「六十九人が出てる。そのうち、少なくとも五十人以上は使用人。平民だよ」
「五十」
「侯爵の家だからそれくらいはいる。むしろ少ないほう。厄介なのは、その五十人が一緒にいるとは限らない、ってこと」
セヴィは指で綴りの端を叩いた。
「家が潰れてるからね。抱えられる人がいない。売られたか、雇い直されたか、流れたか。ばらばらだよ」
「ではセヴィリーナさんたちは、五十人の行方を追うところから始めると。しかもロルオーに入った後から」
「そう。事前調査は限界あるしね」
ムフタル殿の手が、水差しに戻った。
私も、そこで初めて数の意味が分かった。
私たちは、子どもを一人取り返しに行くのだと思っていた。
違う。まず、探しに行くのだ。
「いいことも、無くはない」
セヴィが顔を上げた。悪い話をしていたときと、同じ調子だった。
「一年前なんだ」
「一年」
「人が動いた跡が、まだ新しい。雇われた先も、住み着いた先も、覚えてる人がいる可能性がある。六年前なら完全にお手上げだっただろうね」
*
「入る手をどうするかだなぁ」
セヴィの顔はいまひとつ晴れない。
「五十人当たるのに、何日必要なのか。旅の三人が敵の国で何日もうろうろして、誰にも聞かれないわけがない。ライアン、僕はなんでもかんでもポンポンと答えが出せるわけじゃないからね?」
お前、それを織り込み済で提案したんじゃないのか、というのが顔に出ていたらしい。
「セヴィリーナさん。陛下のお気持ちもあるので最早行くな、とは申しません。ですが、手を持たぬ無謀な試みは承服しかねます」
ファティマ様が釘を刺された。
「わかってるよ。経緯、推察、手掛かりは揃ってる。なのであとは、手段だけなんだけどな」
答えることができる者はいなかった。
そのとき、戸が開いた。
「ベルナール司祭様」
私は立ち上がっていた。
この方の顔を見ると、私はいつもそうなる。ロロアの門で「間に合いましたか」と言われた日から、ずっとそうだ。
「お話の最中に失礼をいたします」
白い上着に朝の光が当たっている。
アフメド王が語気を強めて発言なさった。
「何をしに来た」
「非礼と知りながらも、戸の外にて」
「司祭ともあろうものが、盗み聞きか」
「エリアス陛下がこちらにおいでと伺いましたので、参りました。着いたところで、中の声が聞こえておりました」
ベルナール司祭様は、部屋を見回された。
床の箱。開いたままの綴り。徹夜の顔が並んでいる。
「境を越える手が要る、ということでよろしいでしょうか」
「そうだ」
「それでしたら」
*
「私も参りましょう」
*
「司祭が巡って歩くのは、務めにございます。教会は国には属しません。境の外に広がっているものにございますれば、関で止められる謂れはございません」
「ロルオーの教会は知っているのか」
「多くはございませんが、知己はおります」
「お前だけで行くつもりか」
「いいえ。司祭は供を連れて歩きます。五名程度でしたら、誰も数えません」
「教会騎士は」
「ペドロと申す者を一人。大勢では警戒されますし、正式な騎士が一人おりますほうが、身元の証しになりましょう」
アフメド王は顎に手を当てて何やら考えられている。
「ロルオーでは分かれて動けます。私は教区を。ペドロは騎士の伝手を。三人は市を」
「なるほどなるほど……三つの層に同時に当たることができる。五十人を探すのであれば、いちばん要るのは市の側にございましょうし、そちらへ三人を充てるというのは妙手かと」
ムフタル殿はそう言った後、水差しへ手を伸ばした。
セヴィが言った。
「入れそう。探せそう。勝率は六割を超えたと思う」
アフメド王は、しばらく黙っておられた。
それから、椅子に背をつけられた。
「なぜだ」
「なぜ、とは」
「司祭。お前に何の得がある」
「エリアス陛下のため、そしてヌオモのためにございます」
「量りの証を一つ立てる、ということか」
私には、アフメド王の言葉の意味がわからなかった。セヴィも特に反応していない。
ファティマ様だけが、アフメド王とベルナール司祭様に交互に視線を向けられていた。
*
「いいだろう」
アフメド王が言われた。
「司祭の手を借りる。万事、お前たちに任せる」




