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白王と黒王  作者: ブルースライム
第3章:レーヌ小国群

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180/223

第180話:お願いします

 窓が白くなっていた。


 誰も、そのことを言わなかった。帳面はまだ床に広げたままで、私の指は墨で汚れている。


     *


「連れ出そうよ」


 セヴィが言った。


 箱の縁に肘を置いて、いつもと同じ調子だった。


「その子を返せば、あの赤い人がロルオーにいる理由が無くなる。船も海賊も残るけど、束ねる人が減る」


「連れ出す、というのは……」


「文字通りの意味だよ」


 セヴィの言いたいことは理解できる。ただ『理解』と『肯定』とはまた話が別だ。


「僕とライアンとディエゴで行く。三人なら動けると思うんだ」


 どうやらライアンも行くらしい。……私だ。


「いくらなんでも危険過ぎます」


 ファティマ様だった。


「セヴィリーナさん。あなたが仰っているのは、敵国の街に入るということです」


「うん」


「入って、子どもを一人連れて、出てくるということです」


「そうだよ」


「無謀です」


「ファティマ様の仰る通りだ」


 私は言った。


「なぁ、セヴィ。私たちは行き方も、道も、戻り方も知らない。あの国の風習や作法もだ」


 ムフタル殿も口を開いた。


「その、私からも……」


 そこで止まった。


 水差しに手を伸ばして、掴んで、飲まずに置いた。


「……いえ。なんでもないです」


 アフメド王は、何も仰らなかった。


 口を真一文字に結んだまま、話を聞いておられた。


「そっか」


 セヴィは立ち上がって、埃を払った。


「じゃあ、王様に相談しよう」


 誰も止めなかった。いや、止められなかった。


     *


 セヴィが出て行ってから、部屋は静かになった。


 さっきまでも静かだったが、あれとは違う。あれは言えない静かさで、これは待っている静かさだ。


 ファティマ様は紙を揃えておられた。何度も揃え直しておられた。


 ムフタル殿は水を飲んだ。今度は飲んだ。


 アフメド王は、腕を組んで目を閉じておられる。


 私は、墨で汚れた指を見ていた。


     *


 半刻ほどして、戸が開いた。


「連れてきたよ」


 エリアス陛下だった。


 その後ろにディエゴがいて、こちらを見て眉を上げた。何も聞かされずに引っ張ってこられた顔だ。


「おはようございます」


 陛下は、部屋の全員に頭を下げられた。


「皆さん、寝ていないんですか」


 アフメド王がお返しになった。


「まあな」


「疲れてしまいますよ」


「王様。座って」


 セヴィが、書類を入れていた箱の一つを指した。


 自分の王を箱に座らせる者がどこにいるのか、と思ったが、陛下は素直に座られた。


「話すよ。長くないから」


「わかりました」


「七年前に、この国に女の人がいた。名前はナディア」


「ナディアさん」


「その人には、決まった相手がいた。レイスっていう人。剣が強くて、有名だった」


「レイスさん」


 陛下は、まっすぐセヴィを見ておられる。


「でも、偉い人がナディアを気に入って、無理やり自分のものにした」


 陛下は、何も仰らずに頷かれた。


「そのとき、邪魔だからって、レイスの家族を捕まえて、殺した。悪いことをしたって嘘の罪をつけて」


「かわいそうです」


「レイスは、それは違いますって国に言いに行った。何度も行った」


「はい」


「でも、聞いてもらえなかった。偉い人が手を回してたから」


「ひどいです」


「それで、レイスは国から逃げた。海賊になった。それから七年、この国の船と港を焼いてる」


 陛下は、何も仰らなかった。


 膝の上で手を組んで、そこを見ておられた。


「ここからが今日分かったこと」


 セヴィは帳面を持ち上げた。


「ナディアは、連れて行かれたときに、もうお腹に子がいた。本人も気づいてなかった。生まれて、そのあとにナディアは死んだ」


「子どもは、無事なんですか」


「生きてる。女の子。名前はサフラ。いま六つ」


「レイスさんは」


「知らなかったと思う」


「一年前に、その偉い人はアフメド王に罰せられた」


 セヴィはアフメド王のほうを見なかった。


「家が潰れて、残った人たちはロルオーに逃げた。そのときに、その子も連れて行かれた」


「ロルオーに行ったんですね」


「ロルオーは気づいたんだと思う。この子が誰の子か」


「どうなったんですか」


「レイスに教えた」


     *


「レイスはたぶん。ロルオーに嫌々従ってる」


     *


 陛下は、しばらく動かれなかった。


「サフラさんは、いま、ロルオーにいるんですね」


「うん」


「六つですか」


「そう、六つ」


「きっと、お父さんと遊びたいはずです」


 陛下の声の質が少しだけ変わった。何かを思い出して話しているかのようだった。


 ファティマ様は目を伏せられていた。アフメド王は静かに視線を天井へ向けた。


「私がロルオーの人とお話すれば、なんとかなりますか」


「たぶん聞いてくれない」


「サフラさんは怪我しているんですか」


「わからない。でも無事だと思う。怪我をしたり酷い目にあっていたら、レイスが従わないだろうから」


「そうですか」


     *


 陛下が立たれた。


 私は、この方が次に何を仰るか知っていた。


 行きます、と仰るはずだ。この方はいつもそうで、訊いてから決めるということをなさらない。


 誰の返事も待たずに、先に歩き出される。


 だから私は、止める言葉を先に考えていた。


     *


「私は、行けません」


     *


 考えていた言葉が、行き場を失った。


「私は怪我をした人を助けることができます」


 全員が陛下を見ていた。


「でも今回、サフラさんを助けるのに、私は役に立たないと思います」


「エリアス陛下!」


 ファティマ様が陛下の元に駆け寄り、その手を握られた。


「そのようなことは決してございません!陛下は、陛下はいつもそのお力を尽くされ、幾度となく我々を救ってくださいました!」


 その声は震えていた。


「私は怪我をした人を助けることができます」


 陛下は繰り返された。


「でも、文字が読めません。上手にお話ができません。皆さんが当たり前にできることを、私はできません」


 陛下は、そこで一度、口を閉じられた。


「私が行っても、力になれないです……」


     *


 セヴィが言った。


「王様。だから、僕らがいるんだよ?」


 陛下は部屋の中を見回された。


 ファティマ様、セヴィ、ディエゴ、私、アフメド王、ムフタル殿。一人ずつその顔をご覧になった。


 そして、深々と頭を下げられた。


     *


「私の代わりに、サフラさんを助けてあげてください。お願いします」

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