第179話:奉公人帳
番号を見ていた。
三桁の、何でもない数だ。落とした順に打ってあるだけで、番号自体に意味は無い。
落としたのは俺だ。だから、どれがどの家かは、番号のほうで覚えている。
*
「陛下」
ムフタルが言った。俺が黙っているからだ。
「これは、私が申し上げましょうか」
「分かるのか」
「流石に番号までは存じません。いや、お前ならそれもあり得るというお顔ですが、それは過大評価が過ぎます。陛下がその顔をなさるということは、対象の家は一つしかございませんでしょう」
昨夜、俺は名を言わなかった。
あの家は落ちて、爵位も家も財も無い。残った者は散った。どこかで名を変えて生きている者もいるだろう。
俺が卓で名を言えば、その連中がもう一度掘り返される。それを良しとは思えなかった。
だが、いまは要る。俺の感傷は二の次だ。
「サンチェ」
俺は言った。
「サンチェ侯爵の家だ」
*
ファティマ王女が、綴りを引き寄せた。
「ムフタル殿。この家の人別を、もう一度」
「はい」
「居た人数が六十八人。出た人数が六十九人。やはり届出の紙の人数が一人、多いようですね」
セヴィリーナが尋ねた。
「境を越える届出の紙って、何を書くの?」
「戸主の名と、人数と、行き先でございます」
「名前は?」
「戸主だけでございます。ほかは、頭の数だけを」
「じゃあ、その一名の情報は分からないね」
セヴィリーナは綴りを閉じて、床に置いた。
「突き合わせるものが要るよ」
「と、申されますと」
「その家が自分で付けてた台帳。奉公人の。どこの家でもあるでしょ」
ムフタルが動かなかった。
動かなかったのは、無いからではない。あることに気づいたからだ。
「なるほど……。それは、押収した家財のほうに、入っているかもしれません」
「家財?どうして?」
「我が国の役所では、家の帳面は、家財と一緒に納める方式を取っているのです」
人が、家財と一緒に納められている。
制度を改めようと思っていたものの一つだ。
「ムフタル。すぐに取り寄せろ」
「蔵は都の外れでございます。往復で二刻ほど」
「二刻なら待てる」
*
待つあいだに、港から来た。
東寄りの二箇所を襲った船は、エイブラム伯爵たちが着く前に離れていた。焼けたのは網小屋が一つ。死んだ者は無い。
伯爵たちは、そのまま次の港へ回ったという。
そして、赤い旗ではなかった。
伯爵の息子が、筆を置いて肩を回していた。
俺が見ているのに気づいて、慌てて姿勢を戻す。
「休め」
「いえ、まだ」
「休めと言っている。書く者が潰れたら、こっちが困る」
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家財を記した帳は、日が変わる前に来た。
セヴィリーナが受け取って、そのまま床に座って開いた。
中程の頁だった。
「あった!」
指を止めて、そこを読み上げる。
「サフラ。五つ。続柄、無し」
*
「無し、とは」
ファティマ王女が訊いた。
「そう書いてあるんだよ。名前と年齢はある。だけど続柄の欄だけ空。ほかの奉公人は全員、どこそこの誰々の子、って入ってるのに」
「その子だけが」
「うん、その子だけ」
俺は、七年前のことを思い出していた。
あの女、ナディアはサンチェ侯爵の家に連れて行かれた。そして、あの家で死んだ。
自ら命を絶ったと聞かされていた。俺が聞いたのは、そこまでだ。
「ねえ。これ、一年前の帳面だよね?」
ムフタルが、念のために表の表記を確かめる。
「はい。間違いありません」
「じゃあ、いまは六つ」
娘は指を宙で二度動かした。数えている。
「生まれたのは、六年と半年くらい前」
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「レイスがヌオモを出たのは、七年前だ」
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俺がそう言うと、セヴィリーナは指を止めた。
止めて、それから顔を上げた。眼鏡の奥で、目が動いていない。
紙をめくる音が消えた。
ムフタルは水差しに手を伸ばして、伸ばしたまま置いた。王女殿下は帳面を見たままで、伯爵の息子は筆を持っていない。
*
レイスがなぜ、ロルオーの旗の下にいるのか。
この部屋にいる全員が、同じことを思い浮かべ、同じことを確信した。




