第178話:件の番号
朝の食事だ。
卓に他所の人間が座るようになって、六日目になる。
俺の右手にお人好しの坊主。その隣にファティマ王女。坊主が誘って、俺が許した。
他所の国の名代を家の食事に呼ぶのがどういうことか、この坊主は考えていない。考えていないから呼べる。
妻は初日から何も言わないが、歓迎していることだけは間違いない。この家では、増えた皿の数だけ椀を出す。
*
下の娘が、坊主の皿を覗き込んでいた。
「エリアス王。今日は上手です」
「教えてもらったので、できるようになりました」
「もう一回やってみてください」
「はい」
娘は、この五日で坊主を捕まえた。
朝は誰より早く起きて、坊主の部屋の前で待っている。廊下を歩けば横に付く。食事のあいだは皿を見ている。
上の娘が小さい頃、俺の弟がしばらくこの家にいたことがある。あのときと同じ顔をしている。
妻に言わせると、この子は人見知りだそうだ。
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俺は、この坊主を最初に見たとき、何を企んでいるのかと思った。
死人を起こす王が、船を襲われているから助けに来ましたと言う。裏があると思うほうが普通だ。
六日見て、裏が無いことは分かった。
分かったが、それはそれで厄介なことには変わりない。
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「ねえ。お城の外に、遊びに行きたい!」
下の娘が言った。
「食べてから言え」
「食べながら言ってる」
「それは一番悪いぞ」
妻が笑った。下の娘は口を尖らせて、それから坊主のほうを向いた。
「エリアス王は、お城の外に行かれますか?」
ここが、その『お城の外』だぞ。
「はい。お城の前は、森に住んでいました」
「森」
「木がたくさんあって、道が悪いところです。でも、空気がとってもおいしいです」
目が丸くなった。港しか知らんからな。
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「あ」
坊主が手を止めた。
「森で思い出しました。仲のいい女の子がいるんです」
下の娘は興味津々だ。
「私と同じくらいですか?」
「いいえ、もっと小さいです。六つで、パン屋の子です。リゼットといいます」
坊主は嬉しそうだった。
この坊主は、人の話をするときにいちばん喋る。
「いつも粉の匂いがして、走ってきて、何も言わずに私の手を握るんです。それがあの子の挨拶です」
「元気にしてるといいですね」
「そうですね。しばらく会っていないので、会いたいです」
*
「あの子とは、約束をしているんです」
「約束?」
「森へ連れて行く約束です。でも森は道が悪くて、倒れた木を跨いだり、沢を渡ったりするので」
坊主は自分の腰に手を当てた。
「ここまで背が伸びたら、連れていってあげる、と言いました」
「いつ伸びるんですか」
「三年か、四年後だと思います」
「遠いですね」
「はい。でも、それを待つのが楽しみなんです」
坊主は笑った。
俺は、その子は留まるものなのか、とは聞けなかった。
妻が茶を注ぎ足した。
娘は森の話の続きをせがみ、坊主は鹿の話をしていた。栗が落ちていた、という話もしていた。
ファティマ王女は、何も言わずに聞いていた。
*
卓に着いたときには、日が高くなっていた。
昨夜と同じ顔が並んでいる。海図はまだ広げたままだ。
「陛下。昨夜の続きでございますが」
ムフタルが言いかけたところで、セヴィリーナが先に口を開いた。
「見たいものがあるんだけど」
「なんだ、唐突だな」
「一年前に落ちた家の帳面。財産の目録と、人別と、それから、どこへ逃げたかの届けの記録」
ムフタルは即答した。
「お見せすることはできません」
「だよねぇ」
「正確には、外へ出すものではございません。あれを開くということは、この国の内側に、王を良しとせぬ家がこれだけあった、と数えて見せることになります。同盟を結んだばかりの相手であっても、開示は早急であるとの理由です」
俺は言った。
「弱みだと言うんだな」
「はい。弱みでございます」
ファティマ王女が立ち上がる。
「アフメド王。改めて、お願いを申し上げます」
立ったので、俺も座り直した。国の名で言う話は、そうやって聞くことにしている。
「セフォー王の名代として、貴国に求めます。一年前の記録を、こちらに見せていただけないでしょうか」
「考える前に、もう少し理由を聞かせてはくれないか」
「昨夜、セヴィリーナさんが申しました。見えていない鎖がある、と。私はそれを、もっともだと思いました」
「それは理由になっていない」
「はい」
ファティマ王女は、そこで少しだけ間を置いた。
「では、こう申し上げます。あの男が誰かに縛られているのなら、縛りを外すのがいちばん安く済みます。人が死なずに済む、という意味で」
*
俺は昨夜、あの卓で全部喋った。
女のことも、貴族のことも、灰にして撒いたことも。
喋ったのだから、いまさら隠すものは無い。無いはずだった。
だが、あれは物の話だ。
爵位を落とした。家を潰した。財を取り上げた。俺が言ったのはそこまでで、帳面にはその先が書いてある。
誰が住んでいたか。何人いたか。どこへ行ったか。
落ちた家には、何も知らずに貴族へ尽くしていた者もいた。
俺はそれを、一年開いていない。
*
「出せ」
「陛下!」
「出せと言った。二度言わせるな」
ムフタルは頭を下げて、それから部屋を出て行った。出て行きながら、もう誰かの名を呼んでいた。
「ありがと」
セヴィリーナが言った。
他所の国の王に対する礼の言い方ではないが、不快感はない。
この娘は、理由あってこれで通しているのだろう。
*
入れ替わりに、伝令が入ってきた。
東寄りの二つが、同じ日に襲われている。片方は倉が焼けた。片方は保った。死んだのは四人。
一昨日の卓で、十三の港に分けて置くと決めた。決めた翌日に一つやられて、その夜が昨夜の話になった。
二日、動いていない。
「アフメド陛下」
エイブラム伯爵だ。
「決めた通り、ヴォルフ殿と共に、我らは港へ」
「頼む」
「薄いところから回ります」
傷を負ったままのはずだが、立ち方は昨日と変わらない。
俺は傭兵の男に問い掛けた。
「レイスが来たら、どうする」
「守るだけだ。当たらん」
俺は頷いた。
ムフタルが声を掛ける。
「無理を承知で申し上げますが、できる限り兵を減らさぬよう、お願いいたします」
傭兵は振り返らずに声だけを戻した。
「赤い旗が来ないことを祈っていろ」
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一年の記録と書類は、昼過ぎに来た。
箱で来た。卓に載りきらんので、床に並べさせた。並べさせてから、部屋を替えることになった。
セヴィリーナは、部屋に入るなり座り込んだ。
椅子を使わず、床の箱の前に直に座って、一つ目の綴りを開いた。開いて、しばらく黙って、それから顔を上げずに言った。
「これ、順番めちゃくちゃだね」
「申し訳ございません。落としたのは同じ月ですが、まとめた者が別でして」
「いいよ。そのほうが直されてないってことだから」
三人とも、読み方が違った。
王女殿下は端から順に。ムフタルは行ったり来たり。セヴィリーナは、めくって、戻して、また別の綴りを引っ張り出していた。
エイブラム伯爵の息子が、額に汗を浮かべながら、必死で書き取っている。
俺は、読めない。
字が読めないという意味ではない。並んでいるものから何かを掴む、という読み方が苦手だ。
海なら分かる。帆桁が落ちていれば上からやられたと分かるし、舷の焦げ方で火矢の入った向きも分かる。
紙は、そうはならない。
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紙の部屋にいるあいだも、海では続いている。
伯爵と傭兵の男は、いまごろ二つ目か三つ目の港にいるはずだ。
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日が落ちてから、セヴィリーナが顔を上げた。
「ねえ」
「どうした」
「この家、数が合わないよ」
セヴィリーナは綴りを持ち上げて、こちらへ向けた。
「出た人数と、居た人数。一人多い」
「読み違いではないのか」
「三度読んだけど、写し間違いじゃない」
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「これ、どこの家?」
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紙の隅に、件の番号が振ってある。
名のほうは無い。役所は名を記さず、落とした順に番号を打って、それで並べる。
俺は、その番号を見た。
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番号を名に直せる者は、今この部屋に、一人しかいない。




