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白王と黒王  作者: ブルースライム
第3章:レーヌ小国群

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178/223

第178話:件の番号

 朝の食事だ。


 卓に他所の人間が座るようになって、六日目になる。


 俺の右手にお人好しの坊主。その隣にファティマ王女。坊主が誘って、俺が許した。


 他所の国の名代を家の食事に呼ぶのがどういうことか、この坊主は考えていない。考えていないから呼べる。


 妻は初日から何も言わないが、歓迎していることだけは間違いない。この家では、増えた皿の数だけ椀を出す。


     *


 下の娘が、坊主の皿を覗き込んでいた。


「エリアス王。今日は上手です」


「教えてもらったので、できるようになりました」


「もう一回やってみてください」


「はい」


 娘は、この五日で坊主を捕まえた。


 朝は誰より早く起きて、坊主の部屋の前で待っている。廊下を歩けば横に付く。食事のあいだは皿を見ている。


 上の娘が小さい頃、俺の弟がしばらくこの家にいたことがある。あのときと同じ顔をしている。


 妻に言わせると、この子は人見知りだそうだ。


     *


 俺は、この坊主を最初に見たとき、何を企んでいるのかと思った。


 死人を起こす王が、船を襲われているから助けに来ましたと言う。裏があると思うほうが普通だ。


 六日見て、裏が無いことは分かった。


 分かったが、それはそれで厄介なことには変わりない。


     *


「ねえ。お城の外に、遊びに行きたい!」


 下の娘が言った。


「食べてから言え」


「食べながら言ってる」


「それは一番悪いぞ」


 妻が笑った。下の娘は口を尖らせて、それから坊主のほうを向いた。


「エリアス王は、お城の外に行かれますか?」


 ここが、その『お城の外』だぞ。


「はい。お城の前は、森に住んでいました」


「森」


「木がたくさんあって、道が悪いところです。でも、空気がとってもおいしいです」


 目が丸くなった。港しか知らんからな。


     *


「あ」


 坊主が手を止めた。


「森で思い出しました。仲のいい女の子がいるんです」


 下の娘は興味津々だ。


「私と同じくらいですか?」


「いいえ、もっと小さいです。六つで、パン屋の子です。リゼットといいます」


 坊主は嬉しそうだった。


 この坊主は、人の話をするときにいちばん喋る。


「いつも粉の匂いがして、走ってきて、何も言わずに私の手を握るんです。それがあの子の挨拶です」


「元気にしてるといいですね」


「そうですね。しばらく会っていないので、会いたいです」


     *


「あの子とは、約束をしているんです」


「約束?」


「森へ連れて行く約束です。でも森は道が悪くて、倒れた木を跨いだり、沢を渡ったりするので」


 坊主は自分の腰に手を当てた。


「ここまで背が伸びたら、連れていってあげる、と言いました」


「いつ伸びるんですか」


「三年か、四年後だと思います」


「遠いですね」


「はい。でも、それを待つのが楽しみなんです」


 坊主は笑った。


 俺は、その子は留まるものなのか、とは聞けなかった。


 妻が茶を注ぎ足した。


 娘は森の話の続きをせがみ、坊主は鹿の話をしていた。栗が落ちていた、という話もしていた。


 ファティマ王女は、何も言わずに聞いていた。


     *


 卓に着いたときには、日が高くなっていた。


 昨夜と同じ顔が並んでいる。海図はまだ広げたままだ。


「陛下。昨夜の続きでございますが」


 ムフタルが言いかけたところで、セヴィリーナが先に口を開いた。


「見たいものがあるんだけど」


「なんだ、唐突だな」


「一年前に落ちた家の帳面。財産の目録と、人別と、それから、どこへ逃げたかの届けの記録」


 ムフタルは即答した。


「お見せすることはできません」


「だよねぇ」


「正確には、外へ出すものではございません。あれを開くということは、この国の内側に、王を良しとせぬ家がこれだけあった、と数えて見せることになります。同盟を結んだばかりの相手であっても、開示は早急であるとの理由です」


 俺は言った。


「弱みだと言うんだな」


「はい。弱みでございます」


 ファティマ王女が立ち上がる。


「アフメド王。改めて、お願いを申し上げます」


 立ったので、俺も座り直した。国の名で言う話は、そうやって聞くことにしている。


「セフォー王の名代として、貴国に求めます。一年前の記録を、こちらに見せていただけないでしょうか」


「考える前に、もう少し理由を聞かせてはくれないか」


「昨夜、セヴィリーナさんが申しました。見えていない鎖がある、と。私はそれを、もっともだと思いました」


「それは理由になっていない」


「はい」


 ファティマ王女は、そこで少しだけ間を置いた。


「では、こう申し上げます。あの男が誰かに縛られているのなら、縛りを外すのがいちばん安く済みます。人が死なずに済む、という意味で」


     *


 俺は昨夜、あの卓で全部喋った。


 女のことも、貴族のことも、灰にして撒いたことも。


 喋ったのだから、いまさら隠すものは無い。無いはずだった。


 だが、あれは物の話だ。


 爵位を落とした。家を潰した。財を取り上げた。俺が言ったのはそこまでで、帳面にはその先が書いてある。


 誰が住んでいたか。何人いたか。どこへ行ったか。


 落ちた家には、何も知らずに貴族へ尽くしていた者もいた。


 俺はそれを、一年開いていない。


     *


「出せ」


「陛下!」


「出せと言った。二度言わせるな」


 ムフタルは頭を下げて、それから部屋を出て行った。出て行きながら、もう誰かの名を呼んでいた。


「ありがと」


 セヴィリーナが言った。


 他所の国の王に対する礼の言い方ではないが、不快感はない。


 この娘は、理由あってこれで通しているのだろう。


     *


 入れ替わりに、伝令が入ってきた。


 東寄りの二つが、同じ日に襲われている。片方は倉が焼けた。片方は保った。死んだのは四人。


 一昨日の卓で、十三の港に分けて置くと決めた。決めた翌日に一つやられて、その夜が昨夜の話になった。


 二日、動いていない。


「アフメド陛下」


 エイブラム伯爵だ。


「決めた通り、ヴォルフ殿と共に、我らは港へ」


「頼む」


「薄いところから回ります」


 傷を負ったままのはずだが、立ち方は昨日と変わらない。


 俺は傭兵の男に問い掛けた。


「レイスが来たら、どうする」


「守るだけだ。当たらん」


 俺は頷いた。


 ムフタルが声を掛ける。


「無理を承知で申し上げますが、できる限り兵を減らさぬよう、お願いいたします」


 傭兵は振り返らずに声だけを戻した。


「赤い旗が来ないことを祈っていろ」


     *


 一年の記録と書類は、昼過ぎに来た。


 箱で来た。卓に載りきらんので、床に並べさせた。並べさせてから、部屋を替えることになった。


 セヴィリーナは、部屋に入るなり座り込んだ。


 椅子を使わず、床の箱の前に直に座って、一つ目の綴りを開いた。開いて、しばらく黙って、それから顔を上げずに言った。


「これ、順番めちゃくちゃだね」


「申し訳ございません。落としたのは同じ月ですが、まとめた者が別でして」


「いいよ。そのほうが直されてないってことだから」


 三人とも、読み方が違った。


 王女殿下は端から順に。ムフタルは行ったり来たり。セヴィリーナは、めくって、戻して、また別の綴りを引っ張り出していた。


 エイブラム伯爵の息子が、額に汗を浮かべながら、必死で書き取っている。


 俺は、読めない。


 字が読めないという意味ではない。並んでいるものから何かを掴む、という読み方が苦手だ。


 海なら分かる。帆桁が落ちていれば上からやられたと分かるし、舷の焦げ方で火矢の入った向きも分かる。


 紙は、そうはならない。


     *


 紙の部屋にいるあいだも、海では続いている。


 伯爵と傭兵の男は、いまごろ二つ目か三つ目の港にいるはずだ。


     *


 日が落ちてから、セヴィリーナが顔を上げた。


「ねえ」


「どうした」


「この家、数が合わないよ」


 セヴィリーナは綴りを持ち上げて、こちらへ向けた。


「出た人数と、居た人数。一人多い」


「読み違いではないのか」


「三度読んだけど、写し間違いじゃない」


     *


「これ、どこの家?」


     *


 紙の隅に、件の番号が振ってある。


 名のほうは無い。役所は名を記さず、落とした順に番号を打って、それで並べる。


 俺は、その番号を見た。


     *


 番号を名に直せる者は、今この部屋に、一人しかいない。

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