第177話:選びます
城に着いたころには、もう灯りが入っていた。
卓には海図が広げたままになっていて、昨日と同じ紙に、印が一つ増えてた。
僕は帳面を開いた。勝ちの側に書くか、負けの側に書くか。
倉は焼けた。ヌオモの守り手が十四人死んだ。
留まるものは一人も減っていない。港は保った。
数字だけ並べれば僅差で勝ち。
そう思えないけどね。
*
「エイブラム殿。お怪我は」
ファティマが訊いた。
「膝を割られましたが、立てます」
「腕は」
「失われてはおりません。首も、この通り」
ライアンが書き留める手を止めて、それからまた動かした。父親が斬られるのを目の前で見てたから仕方ないよね。
「では、報告いたします」
エイブラムは短く区切って話しを始めた。
名乗ったこと。返事がなかったこと。打ち込んで、届かなかったこと。肩を二度、膝を一度。
僕が見ていたのと、同じ順だ。
「そのあとです。起き上がった俺を見る目が、変わりました」
「変わった、と申しますと。是非、何卒、そのあたりを詳しくお話いただきたい」
ムフタルが訊いた。前のめりになりすぎ。
「斬るための見方ではありませんでした。頭の先から、胴のあたりまで、順に。見極めていたのだと思います」
ムフタルは水差しに手を伸ばして、掴んだところで止めた。
「なるほど。……なるほど」
*
「倉、見てなかったよ」
*
みんなが僕を見た。今日は視線が集まるのが速いな。
「燃えてる倉。あの赤い人、一回も見なかった。桟橋のほうばっかり見てた」
ムフタルが水差しを置いた。置いた音が思ったより大きくて、自分でも驚いた顔をしていた。
「……昨日、私は申し上げました。あの男は人を見ない、逃げ道だけを見る、と」
「言ってたね」
「襲撃ではございません」
アフメドが不機嫌そうな声で聞いた。
「では何だというんだ」
「検分でございます」
正解。よくできました。
*
ムフタルは海図を引き寄せて、印を指で押さえた。押さえた指がわずかに震えてる。
「王都から近い。要所ではない。守りが薄い。三つとも揃った港が、なぜ狙われたのかと考えておりました。逆でございました。三つとも、そこへ新しい兵が来ることの条件です。近ければ助けが出る。要所でなければヌオモの主力が固めません。ではどこから。他所の兵の可能性が増します。薄ければ、短い時間で片が付きます」
僕は帳面に線を三本引いた。三本とも、僕が港で見たものと繋がった。
ムフタルは、そこで頭を下げた。
「港が保ったのは、我々が守り切ったからではございません。あの男が、取りに来ていなかったからです」
顔色がどんどん悪くなってるけど。
「勝ったのではございません。……見せてしまったのです!」
胃薬飲みなよ。
*
ヴォルフが喋った。
「一人で降りた」
この人は今日も、座ってから姿勢を一度も変えていない。
「船を寄せて、一人で降りて、一人で帰った。港を落とす降り方じゃない」
「ヴォルフ殿は、あの男をご存じなのですか」
ライアンが訊いた。
「名は知らなかった。見て思い出した。正面から武で当たるのは止めたほうがいい」
そこで終わり。
僕は書かなかった。書くほどのことが含まれてないし。
「ムフタル殿。昨日申し上げたとおり、やはり戦い方を変えねばなりません」
ファティマが言うと、ムフタルは水を飲んでから、少し息を整えた。
「はい。ただ、その前に申し上げにくいことがございます。火のことは、隠せません」
「なぜでしょう」
「私はあの男と三度、読み合っております。三度とも私が立てて、三度とも負けました。それを前提に組まねばなりません」
「では、どうなさるおつもりですか」
「隠すのをやめます。いつ知られるかを、こちらで決めます」
ちょっと面白い。
負けを前提にして、実際に組める人って、そんなに多くないからね
*
でも、それだけじゃ、多分ダメだ。
*
「どうやって獲るかでございますが」
ムフタルが海図に手を戻した。そこから先は、あの赤い人をどうやって仕留めるかの話になった。
港を一つ選んで待つ。船を寄せさせて、桟橋で囲む。上がってきたところを弓で。
ヴォルフが一度だけ口を挟んで、それは無理だと言った。
赤い人を見てから、評価が明らかに変わってる。
ムフタルは三つ出して、三つとも自分で潰した。
三つとも、赤い人と正面からやり合う話だった。
僕の帳面は、開いたまま白かった。
「一つ、よろしいでしょうか」
エイブラムが口を開いた。
「あの男の目つきは、尋常ではございませんでした」
エイブラムは、そこで一度切った。
息が続かないのではなく、言い方を探しているように見えた。
「強い憎しみ。それと同じくらいの虚無。何ゆえか教えていただきたい」
アフメドは、しばらく海図を見ていた。
「少し話をしたと思うが、足そう」
昨日の卓のことだ。ゲスな貴族に恋人を奪われた、と言っていたね。
*
「レイスは二十七までヌオモにいた。女がいた。ナディアという」
「仲睦まじく、結婚の約束を交わしていた」
「そのナディアを、ある男が見初めた。爵位を持っていた。名を言わん」
「奪う前に、邪魔なほうを消した。罪は作って、レイスの家族を縛り首にした」
「レイスは嘆願したが、国はそれを取り上げなかった。男が手を回したからだ。逆に命を狙われた」
「国を出た後、ナディアは自ら命を絶ったと聞いている」
「レイスは、その男だけではない。このヌオモの全てを憎悪している」
*
ひとしきり話し終えて、杯の中身を空けた。
水じゃない。きっと酒だ。
「俺はそのとき海にいた。知ったのはあとだ」
アフメドは椅子に深く座り直した。
「だが、あとで知ったというのは、知らなかったのと同じ扱いになる。だから王になった年に、宮廷を洗った。汚職の官僚と、悪事を働いた貴族を、まとめて落とした。爵位も、家も、財も」
ファティマが尋ねる。
「その中に、男は」
「処した。灰にして海に撒いた」
誰かの喉が鳴った。
「レイスは数年に渡って、俺の船と港を焼いてきた。焼かれたのは俺の部下と俺の民だ。だがな」
*
「俺は、レイス個人を憎むことが、どうしてもできないのだ」
*
卓から声が消えた。
最初に動いたのはムフタルで、水を飲んで、それから『であれば、なおのこと』と言いかけて、やめた。
なおのこと何なのかは、たぶん自分でも分からなかったんだと思う。
*
「あの赤い人、とんでもなく強いよね」
僕が言うと、全員がこっちを見た。今日は三度目だ。
「ちょっとやそっとじゃ勝てない」
「……ええ。まことに」
「だったらさ」
*
「枠の外にいてもらおうよ」
*
「セヴィリーナさん。それはどういう意味でしょうか」
「あ、待って。その前に一つ聞きたいんだけど。ロルオーって、どういう国なの」
ムフタルは、話が飛んだところで一度止まって、それから答えた。
「厳格な王政でございます。八代続く王家で、貴族の家格が何より重い。身分は生まれで決まり、生涯動きません」
「ヌオモみたいに、民が王を選んだりは」
「いたしません。あちらから見れば、それは王の権威と貴族の誇りを汚すものでございます」
アフメドが鼻を鳴らした。
「五十年、そう言われ続けている。下らん」
「貧しいの?」
「いいえ。豊かでございます。海運の利がございますから、レーヌでは上のほうかと」
*
僕は帳面に線を引いた。
貴族に恋人を奪われて、貴族に家族を殺されて、七年ヌオモを焼いてきた人が。
貴族がいちばん偉い国の船を、率いている。
*
「おかしくない?」
「何がでしょう」
「赤い人って、人の下につかないんでしょ。銀でも動かないんでしょ。しかもよりによって、貴族の国だよ」
ムフタルが水差しを持ったまま止まった。
ファティマがこちらを見ているのが、横目に入った。
「……確かに」
「昨日まで一人でやってた人が、急に誰かの旗の下に入るのって、変だよ」
「気は進まぬが、そうせざるを得ない、ということもある」
アフメドが言った。
「うん。だから、そっちだよ」
*
「自分から行ったんじゃないなら」
*
「見えてない鎖があるはず」




