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白王と黒王  作者: ブルースライム
第3章:レーヌ小国群

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第177話:選びます

 城に着いたころには、もう灯りが入っていた。


 卓には海図が広げたままになっていて、昨日と同じ紙に、印が一つ増えてた。


 僕は帳面を開いた。勝ちの側に書くか、負けの側に書くか。


 倉は焼けた。ヌオモの守り手が十四人死んだ。


 留まるものは一人も減っていない。港は保った。


 数字だけ並べれば僅差で勝ち。


 そう思えないけどね。


     *


「エイブラム殿。お怪我は」


 ファティマが訊いた。


「膝を割られましたが、立てます」


「腕は」


「失われてはおりません。首も、この通り」


 ライアンが書き留める手を止めて、それからまた動かした。父親が斬られるのを目の前で見てたから仕方ないよね。


「では、報告いたします」


 エイブラムは短く区切って話しを始めた。


 名乗ったこと。返事がなかったこと。打ち込んで、届かなかったこと。肩を二度、膝を一度。


 僕が見ていたのと、同じ順だ。


「そのあとです。起き上がった俺を見る目が、変わりました」


「変わった、と申しますと。是非、何卒、そのあたりを詳しくお話いただきたい」


 ムフタルが訊いた。前のめりになりすぎ。


「斬るための見方ではありませんでした。頭の先から、胴のあたりまで、順に。見極めていたのだと思います」


 ムフタルは水差しに手を伸ばして、掴んだところで止めた。


「なるほど。……なるほど」


     *


「倉、見てなかったよ」


     *


 みんなが僕を見た。今日は視線が集まるのが速いな。


「燃えてる倉。あの赤い人、一回も見なかった。桟橋のほうばっかり見てた」


 ムフタルが水差しを置いた。置いた音が思ったより大きくて、自分でも驚いた顔をしていた。


「……昨日、私は申し上げました。あの男は人を見ない、逃げ道だけを見る、と」


「言ってたね」


「襲撃ではございません」


 アフメドが不機嫌そうな声で聞いた。


「では何だというんだ」


「検分でございます」


 正解。よくできました。


     *


 ムフタルは海図を引き寄せて、印を指で押さえた。押さえた指がわずかに震えてる。


「王都から近い。要所ではない。守りが薄い。三つとも揃った港が、なぜ狙われたのかと考えておりました。逆でございました。三つとも、そこへ新しい兵が来ることの条件です。近ければ助けが出る。要所でなければヌオモの主力が固めません。ではどこから。他所の兵の可能性が増します。薄ければ、短い時間で片が付きます」


 僕は帳面に線を三本引いた。三本とも、僕が港で見たものと繋がった。


 ムフタルは、そこで頭を下げた。


「港が保ったのは、我々が守り切ったからではございません。あの男が、取りに来ていなかったからです」


 顔色がどんどん悪くなってるけど。


「勝ったのではございません。……見せてしまったのです!」


 胃薬飲みなよ。


     *


 ヴォルフが喋った。


「一人で降りた」


 この人は今日も、座ってから姿勢を一度も変えていない。


「船を寄せて、一人で降りて、一人で帰った。港を落とす降り方じゃない」


「ヴォルフ殿は、あの男をご存じなのですか」


 ライアンが訊いた。


「名は知らなかった。見て思い出した。正面から武で当たるのは止めたほうがいい」


 そこで終わり。


 僕は書かなかった。書くほどのことが含まれてないし。


「ムフタル殿。昨日申し上げたとおり、やはり戦い方を変えねばなりません」


 ファティマが言うと、ムフタルは水を飲んでから、少し息を整えた。


「はい。ただ、その前に申し上げにくいことがございます。火のことは、隠せません」


「なぜでしょう」


「私はあの男と三度、読み合っております。三度とも私が立てて、三度とも負けました。それを前提に組まねばなりません」


「では、どうなさるおつもりですか」


「隠すのをやめます。いつ知られるかを、こちらで決めます」


 ちょっと面白い。


 負けを前提にして、実際に組める人って、そんなに多くないからね


     *


 でも、それだけじゃ、多分ダメだ。


     *


「どうやって獲るかでございますが」


 ムフタルが海図に手を戻した。そこから先は、あの赤い人をどうやって仕留めるかの話になった。


 港を一つ選んで待つ。船を寄せさせて、桟橋で囲む。上がってきたところを弓で。


 ヴォルフが一度だけ口を挟んで、それは無理だと言った。


 赤い人を見てから、評価が明らかに変わってる。


 ムフタルは三つ出して、三つとも自分で潰した。


 三つとも、赤い人と正面からやり合う話だった。


 僕の帳面は、開いたまま白かった。


「一つ、よろしいでしょうか」


 エイブラムが口を開いた。


「あの男の目つきは、尋常ではございませんでした」


 エイブラムは、そこで一度切った。


 息が続かないのではなく、言い方を探しているように見えた。


「強い憎しみ。それと同じくらいの虚無。何ゆえか教えていただきたい」


 アフメドは、しばらく海図を見ていた。


「少し話をしたと思うが、足そう」


 昨日の卓のことだ。ゲスな貴族に恋人を奪われた、と言っていたね。


     *


「レイスは二十七までヌオモにいた。女がいた。ナディアという」


「仲睦まじく、結婚の約束を交わしていた」


「そのナディアを、ある男が見初めた。爵位を持っていた。名を言わん」


「奪う前に、邪魔なほうを消した。罪は作って、レイスの家族を縛り首にした」


「レイスは嘆願したが、国はそれを取り上げなかった。男が手を回したからだ。逆に命を狙われた」


「国を出た後、ナディアは自ら命を絶ったと聞いている」


「レイスは、その男だけではない。このヌオモの全てを憎悪している」


     *


 ひとしきり話し終えて、杯の中身を空けた。


 水じゃない。きっと酒だ。


「俺はそのとき海にいた。知ったのはあとだ」


 アフメドは椅子に深く座り直した。


「だが、あとで知ったというのは、知らなかったのと同じ扱いになる。だから王になった年に、宮廷を洗った。汚職の官僚と、悪事を働いた貴族を、まとめて落とした。爵位も、家も、財も」


 ファティマが尋ねる。


「その中に、男は」


「処した。灰にして海に撒いた」


 誰かの喉が鳴った。


「レイスは数年に渡って、俺の船と港を焼いてきた。焼かれたのは俺の部下と俺の民だ。だがな」


     *


「俺は、レイス個人を憎むことが、どうしてもできないのだ」


     *


 卓から声が消えた。


 最初に動いたのはムフタルで、水を飲んで、それから『であれば、なおのこと』と言いかけて、やめた。


 なおのこと何なのかは、たぶん自分でも分からなかったんだと思う。


     *


「あの赤い人、とんでもなく強いよね」


 僕が言うと、全員がこっちを見た。今日は三度目だ。


「ちょっとやそっとじゃ勝てない」


「……ええ。まことに」


「だったらさ」


     *


「枠の外にいてもらおうよ」


     *


「セヴィリーナさん。それはどういう意味でしょうか」


「あ、待って。その前に一つ聞きたいんだけど。ロルオーって、どういう国なの」


 ムフタルは、話が飛んだところで一度止まって、それから答えた。


「厳格な王政でございます。八代続く王家で、貴族の家格が何より重い。身分は生まれで決まり、生涯動きません」


「ヌオモみたいに、民が王を選んだりは」


「いたしません。あちらから見れば、それは王の権威と貴族の誇りを汚すものでございます」


 アフメドが鼻を鳴らした。


「五十年、そう言われ続けている。下らん」


「貧しいの?」


「いいえ。豊かでございます。海運の利がございますから、レーヌでは上のほうかと」


     *


 僕は帳面に線を引いた。


 貴族に恋人を奪われて、貴族に家族を殺されて、七年ヌオモを焼いてきた人が。


 貴族がいちばん偉い国の船を、率いている。


     *


「おかしくない?」


「何がでしょう」


「赤い人って、人の下につかないんでしょ。銀でも動かないんでしょ。しかもよりによって、貴族の国だよ」


 ムフタルが水差しを持ったまま止まった。


 ファティマがこちらを見ているのが、横目に入った。


「……確かに」


「昨日まで一人でやってた人が、急に誰かの旗の下に入るのって、変だよ」


「気は進まぬが、そうせざるを得ない、ということもある」


 アフメドが言った。


「うん。だから、そっちだよ」


     *


「自分から行ったんじゃないなら」


     *


「見えてない鎖があるはず」

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