第175話:減らされないように
セヴィの言葉に、誰も反応を見せなかった。
それは肯定の証だった。
*
「留まるものが、失われたことはございますか?」
ムフタル殿が訊かれた。
「ございます」
ファティマ様が答えられた。
「大きな石で潰された者が、南のダウス王国との戦で。滝つぼに落ちて、上がってこなかった者が一人。首や胴を両断された者は、数えております」
「焼かれた者は、これまでも?」
「おります」
ムフタル殿は、水差しに手を伸ばさなかった。
「なるほど。では初めてではない、ということですね」
「初めてではございません」
「なるほど、いや、これはそうだな。そうか。であるならば失礼を申しました」
ムフタル殿は頭を下げられた。
「昨日から私は、『留まるもの』を減らない兵として勘定しておりました。なるほど」
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私は、ダウス王国を攻めたときのことを思い出していた。
兵士の名前は覚えている。上手に薪を割っていた男で、ダウス城を攻めたときに大石でやられた。父上が布を掛けさせて、そのままだった。
そのとき、エリアス陛下はしばらく動かれなかった。
「助けられない」
そう仰っていた。
*
「少しずつですが、手を打っているところでした」
ファティマ様が仰った。
「ヴィタリスの宮廷魔術師殿が、首のまわりを厚くする具を作りました。胴に巻くものも、二種あります。斬られても割れないように」
「衝撃はいかがでしょうか」
「吸いません。骨は折れます。ただ、断たれません」
「なるほど、なるほど」
「火の移りにくい盾も、試しております。油を通さない布を張ったものです」
「それで、どこまで保ちますか。あ、はい。火に対して、という問いです」
「火矢の一本、二本でしたら」
「大きな火には?」
「それは……保証しかねます」
そこからムフタル殿の質問が怒涛のように続いた。聞いて謝り、尋ねて謝り。語られる速度も増していく。
アフメド王が割って入らなければ朝まで続いていたかもしれない。
私は、子供のころのことを思い出していた。
『人が亡くなったら、なぜ焼かずに埋めるのですか』と、ベルナール司祭様に聞いたことがある。
ベルナール司祭様は『火は大地に帰してくれぬからです』と仰った。
では、どこへ行くのですか、と聞いた。どこへも行かぬのです、と仰った。行けぬのです、とも仰った。
私はその言葉を長いあいだ、優しいものだ、と捉えていた。
*
「……陛下」
ムフタル殿が、アフメド王のほうを向かれた。息が切れている。
「あの男は、港へ来る、とき、必ず、倉から、です」
「そうだな」
「倉が、燃えて、いる、あいだ、人は、倉のほう、を、見ます」
「見るな、と言っても見る。ああ聞き苦しい、水を飲め」
杯の水が二度、飲み干された。
「……失礼いたしました。はい。ですから、何を言いたいかと申しますと。あの男は、人を見ておりません。逃げ道だけを見ております」
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「ファティマ殿下」
ムフタル殿が、こちらへ向き直られた。
「十三の港に分けて置く、という話でしたが」
「はい」
「置く場所を、変えていただきたいのです」
「倉の側ではなく」
「はい。桟橋と、その手前に」
ファティマ様は、そこで少し黙られた。
「燃えるものの上に立たせない、ということですね」
「はい。話が早くて助かります」
「ですが、ムフタル殿。それでは倉が焼けてしまうのでは」
「焼けます」
ムフタル殿は言い切られた。
「倉は建て直せます」
ファティマ様は、紙に何か書かれた。
書いてから、しばらく見ておられた。
「では、順を変えることにいたしましょう」
「ええ、まさに。私も殿下にそう進言するつもりでした」
「守るものの順。人と、倉と、船と。これまでは船を先に置いておりました」
*
ファティマ様とムフタル殿の詰めは続いた。
「敵は、留まるものが焼けば起き上がれぬことを、知らないでしょうね」
「我々も今知ったくらいですから。そのため、知られるまでが勝負となります」
「気づくでしょうか」
「必ず気づきます。そういう男です。どんなに対策をしても、二度目までが限界と思われます」
ムフタル殿は、そう仰った。数を言うときの声だった。
「それまでに、決着をつけるほかありませんね」
「はい」
「ムフタル殿。戦い方も変えることにいたしましょう」
*
ヴォルフ殿が、椅子を鳴らされた。
この方は、卓につくといつも同じ姿勢のまま動かれない。動かれたのは、話が終わったからだと分かった。
「俺たちは作戦を遂行するだけだ。だが、なるべく減らされないように頼む」
ファティマ様が、頭を下げられた。
「減った分を、現地調達できるなら話は別だが」
アフメド王が、鼻から息を出された。笑ったのだと思う。
ヴォルフ殿の軽口を、初めて耳にした。




