第174話:一番厄介な相手
卓に呼ばれた。
前のときは、末席にて勉強を、と自分で申し上げた。今日は誰もそう言わなかった。
ムフタル殿が名を読み上げて、そこに『ライアン』の名が入っていた。
それだけのことだが、だからこそ背筋が伸びる。
*
卓には海図が広げてある。昨日までと同じ紙に見えたが、書き込みが増えていた。
北の入り江に印が一つ。そこから西へ、点が幾つも打ってある。
「昨日の六隻が、どう戻ったかです」
ムフタル殿が言った。
「西へ抜けて、それきり見えなくなりました。追わせておりません。追えば、こちらが減りますので」
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「火鯱について、話しておく」
アフメド王が仰った。
「名はレイス。三十四だ。ヌオモの生まれで、剣で名が出た男だった」
「だった、と仰いますと」
ファティマ様が問われた。
「七年前に海へ出た。それからは海賊だ。ヌオモの船と港を襲う。他所は襲わない」
「なぜ故郷ばかりを」
アフメド王は僅かに顔をしかめた後に続けられた。
「ゲスな貴族に恋人を奪われ、無実の罪で家族を縛り首にされた。恋人も命を絶った」
十分すぎる理由だ。
「人の下につく男ではない」
「ですが今は」
「ロルオーの船を率いている」
ムフタル殿が、水差しに手を伸ばして、飲まれた。
「率いている、というのが厄介なのでございます。雇われたのであれば、銀が尽きれば帰ります。率いているなら、帰りません。銀の関係だけではなくなりますから」
「数は、いかほどでしょうか」
ファティマ様が仰った。
「あの男が直に持っているのは、確か二十隻ほどだったはずです」
「二十」
「はい。ですが、各地にあの男へ従う船団が幾つもございます。合わせれば、百は軽く超えます」
卓が静かになった。
私は百という数を、船で思い描こうとして、やめた。
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「散っている」
アフメド王が仰った。
「散っているから、これまで押さえられた。二十なら、こちらの手で足りる」
王は海図の西の端に手を置かれた。
「一つにまとまれば、話が変わる」
「根城は分かっておられるのでしょうか」
私はそう伺った。
「分かっている」
王は即答された。
「西に、小さな島が集まっている。あの中のどれかだ」
「どれか、と仰いますと」
「島を替える。同じ島に長くいない」
「では、島ごと押さえるという手は」
「やった。何度もな」
王は、そこで初めて椅子に座られた。
「あの辺りは入り組んでいて、細くて浅い。船団を使えないのだ」
「小舟で数を揃えては」
「揃えて、燃やされた」
ムフタル殿が海図を回して、こちらへ向けてくださった。
線が細かく入り組んでいる。私には島と海の区別がつかなかった。
「私が作戦を立てました。三度とも私です」
ムフタル殿は、そこだけは水を飲まずに言われた。
「次は違う手を、と毎回考えました。ですがあの男は、波と風と地形を熟知しておりまして……。はい、やられました。それはもう見事なまでに」
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「自分で乗り込んでくるんでしょ」
セヴィが言った。
あの報告書を、一度読んだきりのはずだ。
「先頭で来る」
アフメド王が答えられた。
「あの男は必ず自分で乗り込む。斬って、それから焼く」
「どうやって焼くの?」
「火矢だ」
王は手を上げて、弧を描かれた。
「舷の上から入れてくる。帆と、それから人の上にだ。船底は狙わない。沈めるためではなく、動けなくするためだ」
「陸でも同じでございます」
ムフタル殿が足された。
「港へ来るときも、まず火矢を入れます。倉から先に燃やして、逃げ道を塞いでから寄せてまいります。『火鯱』の異名はそこからでございます」
「旗艦の名はムンタキム」
アフメド王は、少し間を置かれた。
「こちらの言葉だ。復讐者、という意味になる」
私は、そこまで書き留めていた。
書き留めながら、これは私が扱える話ではないな、と思った。海のことは何も分からない。
だが、すぐに考え直す。
分からないなりに、何ができるのかだけを考えよう。
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「質問だ」
ヴォルフ殿だった。
「うちの連中を港に置く話は、まだ生きているのか」
ムフタル殿は答えた。
「生きています」
ファティマ様も重ねた。
「十三の港に分けて置きます。守り手のいない港です」
「では、置く」
ヴォルフ殿はそれだけ仰って、また黙られた。
*
卓が次の話に移りかけたところで、隣を見た。
セヴィが、書きかけの手を止めていた。
「セヴィ」
「……ん」
「どうかしたのか」
セヴィは、眼鏡を上げて、目を擦った。それから、海図の西の端をしばらく見ていた。
「火鯱」
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「まずいね。これまでで一番、厄介な相手かも」




