第173話:火鯱が出ました
昼の食事だ。
俺の家では、食事は家族と食う。王になってもそこは変えなかった。変えたのは、卓に他所の人間が座るようになったことだけだ。
お人好しの坊主が、俺の右手に座っている。
魚の身を骨から外すのが下手で、下の娘がさっきから横目で見ている。
「エリアス王。それは、こうやって外すんです」
娘が箸のような細い骨を取って、身の下に差し込んでみせた。
「ありがとうございます。……こうですか」
「そう。上手です」
妻が俺を見て、笑いをこらえていた。
*
ムフタルが来た。
こいつは部屋に入るとき、必ず一度止まる。入っていいかどうかを、毎回確かめる。いや、入るか帰るかで悩んでるのかもしれない。
「陛下」
立ち方で分かった。俺は椀を置いた。
「北の入り江に、船が戻りました。偵察に出していた二隻のうち、一隻です」
「もう一隻は」
「戻っておりません」
「やられたか」
「はい。死傷者、多数と」
俺は立った。
妻は何も言わなかった。この家では、俺が立ったら誰も引き留めない。そういう決まりにしてある。
「私も行きます」
坊主が立っていた。
こいつは、こういうときに人の顔を見ないらしい。訊いてから決めるということをしないのだろう。
「怪我をした人がいるんですよね」
「ああ」
「では、行きます」
馬に乗せた。
歩くと言い出したら縛ってでも乗せるつもりだったが、素直に乗った。乗ったが、乗り方を知らんので、俺の兵が後ろに一人付いた。
北の入り江までは、馬で半日かからん。道は海沿いを回る。
途中で、司祭と王女が追いついてきた。過保護どもめ。
*
入り江が見えたとき、まず船を見た。
俺は餓鬼の頃から船を見て生きてきた。遠目でも、何をやられたかは分かる。
帆桁が落ちている。舷側の上のほうが黒い。船底ではない。上だ。
上から焼かれている。
俺はそこで、道の先を見た。
桟橋に、人が並べてあった。
布を掛けた者と、掛けていない者がいる。掛けていないほうは、まだ息がある。
女が三人、四人と走ってきて、掛けたほうの布をめくって、そこで座り込んでいた。
港の連中が、俺を見た。
俺は帽子を取らなかった。取れば、王が弔いに来たことになる。まだそういう場ではない。
*
坊主が馬を降りた。
降りて、こちらを見ずに、桟橋のほうへ歩いていった。
あの背中で分かる。あれは急いでいる。走らんのは、走ると転ぶからだ。
*
起き上がった。
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布が持ち上がった。まず手前の二つ。それから、その向こうの一つ。
座り込んでいた女が、尻から後ろへ下がった。誰かの椀が落ちた。
俺の兵が剣に手をかけたので、腕で止めた。
坊主は、まだ触ってもいない。
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布の下から出てきた男が、自分の腹を見て、それから手を見て、隣を見た。隣も起きていた。
「間に合いました」
坊主が言った。
嬉しそうだった。
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司祭が、もう歩き出していた。
早い。馬から降りてから、こいつは俺より前にいる。
「皆さま。落ち着いて、お聞きください」
声が大きい。この男が声を張るのを、俺は初めて聞いた。
「大地に帰るのを、留めてくださいました」
ざわめく。
用意していた言葉だ、と思った。
「これは、奇跡です」
昨夜の部屋で、この男は目を閉じたまま喋っていた。あのときと同じ声だ。
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港の連中が、俺を見た。
王が何と言うかを、待っている。
ここで黙る手はある。黙れば、俺は何も知らなかったことになる。何も知らずに坊主を国へ入れただけだ。
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俺は、桟橋の上に出た。
「聞け!」
周囲が水を打ったように静まりかえる。
「昨日、俺は印を押した。セフォーとヴィタリス。両国とヌオモが手を取り合う書面にだ」
坊主がこっちを見ている。
まったく、誰のためだと思っているんだ。
「そのうえで皆に伝える。俺はこれを許した。エリアス王の慈愛と奇跡に感謝を!」
*
しばらく、誰も動かなかった。
それから、起きた男の女房が、事情を飲み込めていない顔に飛びついた。
歓声に包まれた後はもう、俺の声は不要だった。
抱きつく者、泣く者、坊主の手を取って何か言っている者。
坊主は言われるがままにしていた。手を取られるのに慣れていない顔をしていた。
誰かが酒を持ってきた。
馬鹿野郎、桟橋で酒を開けるやつがあるか。
*
布が三つ、持ち上がらないままだった。
その前に座っている者たちがいた。じっと待っているようだ。
司祭が近づき、何やら声を掛けている。
*
水兵が一人、俺の前まで来た。
肩をやられていて、片方の腕が動いていない。それでも立って、頭を下げた。
「陛下。ご報告申し上げます」
「言え」
「東の水道の手前で、囲まれました。船は六。旗はロルオーです」
「六か」
「はい。ですが、先頭の一隻だけ、旗が違いました」
「色は」
「赤です」
*
「火鯱が出ました」




