第172話:量る
王は、窓のほうを向いたままでした。
「司祭」
「はい」
「わざと怒らせたな? 狙いは何だ」
「陛下が一度、全部お捨てになるまで、待っておりました」
王が振り向かれました。
「捨てられぬうちに申し上げれば、値の話になりますゆえ」
司祭の声は、いつもと同じでした。教典を読み上げるときの声です。
私は、この方が二十年、そうしてこられたのだと感じました。この声で説かれると、こちらが先に考えを終えてしまいます。
*
王は、椅子まで戻ってこられました。座られはしません。背もたれに手を掛けて、そのまま立っておられます。
「司祭。俺は、あの坊主が悪いなどと思っちゃいない」
「はい」
「留まるものとやらも、否定しちゃいない。ムフタルは、あれを使う気でいた。俺もそのつもりだった」
「はい」
「あの坊主が増やしてるってのも聞いてる。当たり前だ。そういう力なんだろう」
「はい」
「だがな」
王は、そこで一度、言葉を切られました。
「問答無用で起き上がる。しかも、その版図が広がる」
*
「それは、話が別だ」
*
「仰るとおりにございます」
司祭は、そう仰いました。否まれませんでした。
「同意は取っておりませぬ。取りようもございませぬ」
「取りようもない、と言ったな」
「はい。死んだ者に訊くことはできませぬ。生きているうちに訊けば、それは別のことを訊いたことになります」
王は、その答えを少し置いておかれました。
「止められるのか」
「止まりませぬ」
「では、あの坊主を歩かせなければいい」
「歩かれます」
「歩かせるな、と言っているんだ」
「できませぬ」
「なぜだ!」
「あの方は攻めるためには歩かれませぬ。助けるためのみにございます。呼ばれた方へと、ただ歩かれるだけにございますゆえ」
*
海の音がしております。
「ムフタル」
「はい」
「ロルオーの件、誰が使いを出した」
「……私です」
「俺が命じたな」
「はい」
王はベルナール司祭を見ずに仰いました。
「聖職者のくせにむかつく野郎だな、お前は」
ムフタル殿は、水差しを引き寄せて、飲まれました。
*
「司祭。もう一つ訊く」
「何なりと」
「あの坊主は、俺の国を取る気があるか」
「ございませぬ」
「土地は取られてる」
「力の及ぶ範囲としては、左様にございます。ですが、政の上での支配を、あの方は望んでおられませぬ」
「望んでいない、で済むか」
「済みませぬ」
司祭は、そこで初めて目を閉じられました。
「ゆえに、望まぬ方の周りにいる者たちが何を望むかが、次の話になります」
「次、だと?」
王は、椅子の背から手を離されました。
「お前は何をしようとしてる」
「あの方を、信仰の中心に据えとうございます」
私は、思わず司祭の横顔を見ました。
「政を望まん男が、信仰は望むのか」
「望んでおられませぬ」
「じゃあ、なぜだ」
「だからこそにございます」
司祭は、目を閉じたままでした。
「あの方は、救いたがっておられます。目の前で人が痛んでいるのを、放っておかれたことがございませぬ」
私は深く頷きました。
「それだけの方にございます。私どもは、それを手伝うだけにございます。人は救われます」
*
「それは狂信だ、司祭」
王は、卓に片手をつかれました。
「坊主に野心がないとしよう。俺もそう思っている。だがな」
その手が、卓の上の海図を少しだけ寄せました。寄せる必要のない紙でした。
「お前に野心がないことを、誰が証明する。お前の周りにいる連中は。次に来る司祭は」
*
「証明はできませぬ」
司祭は強く言い切りました。
「私は、教会の使いにございます。見つけ、判じ、処してまいりました。三十一年前にも、二十年前にも」
その言葉を耳にして、私の中を稲妻のようなものが駆け抜けました。それはつまり、まさか。
「安全に見える者もおりました。私は、処すよう申し上げました」
「……待て、司祭!他にもいたと言うのか!」
「はい」
ムフタル殿は口を大きく開けたままです。
それを目にしていなければ、私も同じになっていたことでしょう。
「安全に見える者がいた。つまり、見た目は根拠にならぬ、と」
「はい。そういう者にございます」
王は宰相から水差しを引ったくり、直接それを飲み干しました。
「わからん。お前の言いたいことがわからん!お前の言葉を聞いていると、あの坊主も危険ということになるぞ!」
「いえ。エリアス陛下は、別です」
「何を根拠に!」
「私の、信仰のすべてを懸けての言葉、とお考えください」
「危険だな」
王は、司祭の顔を見ておられました。
「陛下の仰るとおりにございます。私は危のうございます」
「分かってて言うのか」
「はい」
「なぜ言う」
「言わずに信じていただく手を、私は持っておりませぬ」
*
「ですから、量っていただきとうございます」
「量る」
「ドラント。ヌオモ。この先ともに歩むことになるのであれば、ウーケンも」
司祭は、目を開けられました。
「セフォーを除く連合の国々が、私どもを量ればよろしゅうございます」
「……その首を、我らに預けるか」
「はい」
「黒と出たら」
「量った国が、処してくださればよろしゅうございます」
「司祭はこう言っている。王女殿下はどうか」
私は、司祭を見ませんでした。
見なくても、答えは決まっておりました。決まっていたことに、自分で少し驚きました。
「先ほど司祭は、セフォーを除く、と言いましたが」
*
「曇りあればセフォーも立ちます。そしてセフォーが曇るなら、諸国で晴らしてくださいませ」
*
「ドラントは知っているのか」
「ここまでの話はしておりませぬ。ただ、量っていただきたい、とはお伝えしております」
「準備のよいことだ」
*
「陛下」
ムフタル殿が仰いました。
「なんだ」
「連合は、単なる同盟ではございませんね。連合そのものが、機構である、と」
「……そうなるな」
「すみません、口を挟みまして。ただ、そうであれば、我が国が入る意味が変わりますので」
ムフタル殿は、そこで言葉を切って、また水を飲まれました。
*
王は、窓のほうへ戻られました。外はまだ暗うございました。
「司祭」
「はい」
「一つだけ言っておく。俺は、お前を信じたわけじゃない」
「存じております」
「量る。ずっとだ。俺が退いたあともだ」
「是非とも」
*
「明日は、人を集めることになっている」
同じ言葉でした。
「予定どおりだ」
*
朝になりました。
広間に人が入ります。ヌオモの者が多く、こちらの者は端に寄せられておりました。ヴォルフ殿とエイブラム殿が、扉のそばに立っておられます。
陛下は、いつもどおりでした。よくお眠りになったようで、髪が片側だけ跳ねておられます。
私は陛下の前に紙を置いて、その隅を指しました。
陛下は、そこに印を押されました。
木の柄のついた重い印章です。押すたびに、小さな手が跳ねました。
アフメド王も、ご自分の紙に署名をなさいました。私もいたしました。
陛下は字をお書きになりません。けれど、押す場所は同じでした。
*
「エリアス王」
「はい」
「昨日、私の町をお歩きになりましたな」
「はい。歩きました」
「いかがでしたかな」
「人が多くて、声が大きくて、みんな日に焼けていました」
陛下は、少し考えてから仰いました。
「笑い声が聞こえる場所は、大好きです」
アフメド王は、頷かれました。それだけでした。




