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白王と黒王  作者: ブルースライム
第3章:レーヌ小国群

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第170話:妙手です

ムフタルのイメージイラストを後書きに追加しました。

 扉の前で、薬を飲んだ。


 効くわけではない。効かないことは、とうに分かっている。それでも飲むのは、飲まなかった日に痛んだとき、飲まなかったせいだと思ってしまうからだ。


 中から陛下の笑い声がした。


 廊下の石にまで響く声だ。海の上で聞くと足の震えが止まるのに、陸で聞くと、ただ大きい。


 私は帯の瓢を戻して、扉を押した。


     *


「おう、来たか」


「遅くなりまして、申し訳ございません!」


「寝てろと言ったのは俺だ」


 卓のまわりに人がいた。数えるまでもなく六人。


 私は頭を下げて、顔を上げた。


 そこで、若い女の方と目が合った。


 その方の顔が、ほんの少しだけ動いた。眉が上がって、口が開きかけて、閉じた。


 私は、その顔を知っている。


 有能だと聞かされていた者が、私を見たときにする顔だ。


「セフォーの、ファティマ殿下であられますか」


「はい。……失礼をいたしました」


「いえ。いつものことです。あ、いや、特に含むところがあるわけではなく、高確率でそういった反応をされることばかりで。なので、はい、お気になさらず」


 言い切ってしまってから、言わないほうがよかったな、と思った。


     *


「うちの宰相のムフタルだ」


 陛下が椅子の背に腕を掛けたまま言った。


「見ての通り、いつ倒れてもおかしくねぇ面をしてる。だが十年、こいつの読みが外れたのを見たことがない」


 胃が痛む。


「俺は王位に付く前、この国の海軍総督だった。数々の武勲を立てて『海竜』なんて仰々しい異名をもらったのだが、五割はムフタルの手柄だと思っている」


「陛下」


「なんだ」


「五割は多すぎです。誤解を生みます」


「じゃあ四割五分だ」


 笑い声が上がった。笑えない。私は水差しに手を伸ばした。


     *


 人を見るとき、私はいつも同じことをする。


 背丈、手、靴の減り方、誰の隣に座るか。それだけで、その人がどこで何をしてきたかは、たいてい分かる。


 外れることもあるが、外れたときは後で分かるので、それはそれで構わない。


 窓際に、白い髪の少年が座っていた。


 背が低い。手が荒れている。靴は新しい。誰の隣にも座っていない。


 そこまで見て、私は次の方へ移った。移ってから、また戻った。


     *


 卓に紙を広げた。


 これは私の仕事だ。喋るのは苦手だが、この紙のことなら喋れる。


「ロルオーは、海賊を雇っております」


 ファティマ殿下がお尋ねになった。


「厄介な相手なのですね?」


「ええ、厄介です。ただの海賊ならそう警戒することもないのですが、なにせ陛下が退役されましたので。陛下に恨みを持つものがほぼ全て、ロルオーに集まりました」


「ほぼ全て」


「はい。陛下が海軍総督のうちは勝ち目がない。退役すれば別。といったところでしょう」


「俺のせいだ、と言われているように聞こえるが?」


「それ以外に聞こえたなら、私の説明が不十分でした」


「おい」


 無視して紙に戻る。


「先ほどロルオーが雇っている、と申しましたが、これは私どもの言い方でして。当然ながらロルオーはそう認めておりません。ですが銭の出どころは追えます」


「追えるのか」


 黒ずくめの男が言った。傭兵だと聞いている。声が短い。


「はい。買った塩の量と、払われた金が合いませんので。合わない分が、海に出ております」


 男は少し黙ってから、「なるほど」とだけ言った。


 私は、この方は話が早いな、と思った。


「襲われているのは、船だけではございません。港が焼かれます。船を沈めるより、港を焼くほうが早いのです」


「なぜ」


「船は逃げますが、港は逃げませんので」


     *


「一つ、お願いがございます」


 ファティマ殿下が仰った。


「あと二名、同席をお許しいただけますでしょうか。一人は数を読みます。もう一人は、いずれ同じ卓に着く者ですので」


 陛下は即答した。


「構わん。入ってもらえ」


 入ってきたのは、眼鏡を掛けた小柄な娘御と、背の高い若い方だった。


 娘御のほうは、部屋に入るなり卓の上の紙を見た。挨拶より先に紙を見た。


「セヴィリーナ・ソルだよ」


「ロロアのライアンと申します。本日は末席にて、勉強をさせていただきます」


 陛下は、その二人を見た。


 顔つきは変えずに、見た。


 私は、それが何をしているところなのかを知っている。


 はてさて、今のところはどのような値札が付いているのやら。


     *


「ヴィタリス、そしてセフォーの兵のことを、伺ってもよろしいでしょうか」


 私が問うと、傭兵が答えた。


「俺の団だけで二千だ」


「その、報告では、その方々は……」


「留まるもの、と呼ばれている」


 言い切られた。


 報告は読んでいた。読んで、誇張だと思っていた。ものを大きく書くのは、報せを持ってくる者の癖だからだ。


「槍になる。矢にもなる。だが真価は壁だ」


「壁、と仰いますと」


「崩れん。逃げん。疲れん。夜通し立たせても文句を言わん。飯も水も要らん」


「なるほどなるほど。あの、続けてよろしいでしょうか」


「なんだ」


「失礼を承知で伺います。息は?」


「せん」


 それはもう、物語か、神話の類だと思った。


     *


「ロルオーは、海賊にいくら払ってるの?」


 眼鏡の娘御が言った。


「一度出るごとに、船一隻あたり銀三十枚ほどかと」


「先払い?」


「半分を先に。残りは、戻ってからと見ています」


「じゃあ、焼けなくても銀は出ていくんだ」


「そうなりますね」


「雇う側は損だよなぁ」


 娘御は、そこで初めて顔を上げた。


「ロルオーは金持ちなんだっけ?」


「海運は盛んです。ですが限度はあるでしょう」


「ふぅん」


 なるほど。同席させたがるわけだ。


     *


「港はいくつございますか」


 ファティマ殿下が仰った。


「大小合わせて、十九でございます。守り手を置いておりますのは、そのうち六つ」


「では、残りの十三に、こちらの兵を置かせてください」


 私は、口が先に動いた。


「それは悪手ではないかと……」


 言ってから、しまった、と思った。他国の王の名代に向かって、宰相が言う言葉ではない。


「申し訳ございません。いえ、そういうつもりではなく、ですね。兵を分けるというのは、その、分けた先への対応がそれぞれ増えるということでして。また一つずつ潰される危険性も増します。守りを厚くするおつもりが、薄いところを十三も作ることになる、と。そう申し上げたかったのです。はい、あの、すみません」


「はい」


「その、……はい」


     *


「その十三の港、陸の道は繋がっておりますか」


 年嵩の、大柄な方が言った。伯爵と伺っている。留まるもの、とも。


「半分ほどでございます。残りは、船でなければ参れません」


「では、船を出しますな」


「左様でございます」


 短く切れる喋り方をされる方だ。


     *


 私は、どうしても訊いておかねばならないことがあった。


「その、留まるものの皆さまは、本当に何も要らぬのでございますか」


「一つだけ、要るものがございます」


 ファティマ殿下は、こちらを見て言われた。


「ヴィタリスから運びます」


「それは、こちらでは、作れぬものでございますか?」


「作れません」


 私は、その一行に丸を付けた。


「ですが、食料や水のように、常時必要なものではございません。三月に一度あれば事足ります」


「なるほど」


     *


「あの、いいでしょうか」


 白い髪の少年、いや、エリアス陛下が初めて言葉を発せられた。


「海賊が来ると、港の人たちは困るんですよね」


 部屋が静かになった。


「きっと怪我もします。痛い思いもします」


 迷いのない、澄んだ瞳だった。


「私は、助けたいです」


     *


 私は考えていた。


 兵を分けてはならない、というのは即ち、大軍であることの強みを自ら放棄することと等しいからだ。


 そして何よりも、兵站と輸送の問題がある。分ける数が多ければその負担も大きくなる。


 しかし、それを考慮しなくてもよいのだとしたら。


 援けは要らない。囲まれても、囲んだ側が先に飢える。十三の港のどこを襲っても、倒れぬ壁にぶつかる。前払いは止まらない。銀の残り半分は受け取れない。


 利の輪はつながらない。


「ムフタル」


「あのですね。先程の悪手という言葉を、訂正させてください。すみません」


 私は、そういうことを言う人間ではない。私の仕事は、止めることだと思っている。


「……妙手です」


 止められなかった。


     *


「あっはっはっ! 聞いたか。こいつが妙手と言った」


「陛下、あの」


「俺の案には言わんくせにな」


 私は水差しを引き寄せて、それから、ぐいと飲んだ。


     *


 人が出ていったあと、陛下は窓のほうを向いたままだった。


「総じて高値。良い取引になるだろう」


「はい」


「眼鏡の娘は数が読める。傭兵は使える。若いのは伸びる。伯爵は任せられる。王女は、あの中では一番、怖い」


「……同感です」


「坊主だけ、どうにも測りきれない」


 陛下は指で窓枠を叩いた。


「純粋すぎて値がつかん」


「なるほど。しかし、あの王に従うものたちは、幸せなのでしょうか」


「民を裏切らない、という一点においてであれば、恐らくこの世界で最良の王だろうよ」


 私も同感だった。


「ムフタル。あちらに司祭がいると聞いた。今日は来ていなかったようだが」


「はい。ベルナールという方かと」


「そいつが何人を動かせるかを、調べておけ」


 私は頭を下げた。


 その名を書き留めているあいだに、また胃が痛みはじめた。


     *


 薬は、まだ半分ある。

ムフタル

挿絵(By みてみん)

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