第160話:一度も
館が静かになったのは、昼過ぎだった。
誰も死んでない。血も出てない。俺は正直、拍子抜けした。
こういうのは、たいてい誰か一人は死ぬもんなんだけどな。
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鐘が鳴った。人を集める鐘だと、あとで聞いた。
畑から来たやつ、厨から来たやつ、槍を持ったまま来たやつ。
八百と聞いていたが、並ぶと聞いたときより多く見える。数ってのはそういうものだ。
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ちっちゃい眼鏡が、階段の三段目に立った。
背が足りないから、そこまで上がったんだと思う。
「館は押さえた」
挨拶もなかった。
「父も姉も無事。ガーレンの四人も押さえた。誰も死んでない」
ざわついた。
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「うちの倅はどうなる」
前のほうで、爺さんが言った。
「ガーレンに徴られてるんだ」
「ロレンソだね。去年の秋に出た。いま南の街道の普請場にいるはずだよ」
「……なんで知ってる」
「書いてあるから」
「帰ってくるのか」
「ガーレンが退けば帰ってくる。退かなければ帰ってこない」
「税はどうなる」
「セフォーのぶんに戻る。去年の秋に上がった分は、上がる前に戻る」
「本当か」
「本当かどうかは、来月の取り立てで分かるでしょ」
俺は、その言い方に少し感心した。
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「騙されるな!」
後ろのほうで声が上がった。館の者だ。あのクソ親父のそばにいた男らしい。
「その娘は、館を売ったのだぞ! 実の父を縄で縛ったのだぞ!」
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場が揺れた。
こういうのは知ってる。一人が言えば十人が思い出す。
十人が思い出せば、三百が動く。
俺は、鎧の下で手の位置を変えた。
「縛った。それは本当」
ちっちゃい眼鏡は否定しなかった。
「館を売ったというのも、まあ、そう見えても仕方ないかな」
「認めるのか!」
「認めるよ。そのうえで聞くけど、ここにガーレンの兵が入ってきたら、ソルはどうなると思う?」
誰も答えなかった。
「蔵は空になる。畑は踏まれる。そのあと戦になって、勝っても負けても、ここは残らない」
迷いのない言葉が響く。
「僕はそれが嫌だった」
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「恨むなら、どうぞご自由に」
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そこで、一人が前に出た。
鎧を着てる。五十くらいだ。
「ガリンド様だ」
隣のやつが小さく言った。見たところ、ソル軍の隊長っぽいな。
「一つ、伺いたい」
「どうぞ」
「わしの命令は、誰から来る」
いい問いだ。
俺みたいなのが二百いても、命令が来なけりゃ石と同じだ。
そして命令をくれる男は、いま縄で縛られている。
ちっちゃい眼鏡は少し黙った。考えてる顔じゃない。言い方を選んでる顔だ。
「今日からは、あんたが出せばいいよ」
「わしが」
「僕は命令できる立場にない。誰かが出さないと、二百が石になる」
「セフォーの言うことを聞け、ということか」
「違う。あんたが決めて、あんたが出す。セフォーはソルの兵を戦に使わない」
ガリンドという男は納得したように頷いてから、後ろを振り返った。
「聞いたな」
二百の兵士が返事をした。
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王女殿下といい、ちっちゃい眼鏡といい、セフォーの連中はどうしてこう、欲がないのかね。
兵士がちっとも増えないじゃねぇか。
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そこからは、俺の仕事だ。
門を開けてセフォーの兵士を引き入れ、ソル兵の鎧を貸し与える。
合わない。当たり前だ。人の鎧が合うわけがない。
肩の上がらんやつと、胴の余るやつと、兜がクルクル回るやつが出た。回るやつは笑った。
旗はそのままにした。門も開けたままだ。
マルセロという倉役人には、いつもどおりの文を書かせた。手が震えていたが、字はもともと下手らしいから分からねぇ。
外には、ヴォルフとゴンサロ将軍の本隊が伏せる。
ガーレンのクソ共が来るまで少し時間があるみたいだが、早く姿を見せてほしかった。
合わない鎧は体が痛むんだよ。
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夜になって、ちっちゃい眼鏡が倉の前に座って、何か書いていた。
俺は横に座った。
「よくやったな」
「うん」
そういえばこのちっちゃい眼鏡は、一度も「頼む」と言わなかったな。
八百人の前に立って、一度もだ。
「才能あると思うぜ。政治家か詐欺師になれよ」
「ありがと」
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「腹が減ったな」
「僕も」
真面目くんを探して、三人でメシにするか。




