第15話:止まった街
翌朝、街が止まった。
私が窓を開けたとき、既に止まっていた。
早馬は出していない。布告も書かせていない。昨夜、執務室でアンリさんにそう言っただけだ。紙にもしていない。
それなのに、朝の音がしなかった。
三日前の布告は、早馬で三日かけて届けた。届いても誰も休まなかった。
昨夜の一言は、紙にも馬にも乗せていないのに、朝には街の端まで届いていた。
私はそのことを、窓辺でしばらく考えた。
答えは出なかった。ただ、みんなよく聞いてくれるのだな、と思った。
市の台には品が並んでいなかった。荷車が道の脇に寄せてあった。炉の火は消えていた。
人は、いた。
家の前に立っていた。あるいは、家の中で椅子に座っていた。窓から見えるかぎり、どの家でも同じだった。誰も何もしていなかった。
私は城を出た。
大路に人はいなかった。歩いている者が一人もいない。それでも、どの家の戸口にも人が立っていた。私が通ると頭を下げ、私が過ぎると元の姿勢に戻った。
広場に出た。
広場には、二百人ほどがいた。
立っている者と、座っている者がいた。石段に腰かけている者、噴水の縁に並んで座っている者、地面にそのまま座っている者。
誰も喋っていなかった。
誰も動いていなかった。
私はその真ん中まで歩いた。誰かが遊んでいるのを見たかった。話をしているのでも、飲んでいるのでも、日向で寝ているのでもよかった。村の休みの日は、そういう日だった。
何もなかった。
二百人が、朝から同じ姿勢で、そこにいた。
子供もいた。
十人ほどが、噴水の脇に固まって座っていた。いちばん小さい子は三つか四つに見えた。膝を抱えて、じっとしていた。
村の休みの日、子供は必ず走っていた。走って、転んで、泣いて、また走った。うるさくて、大人が何度も叱った。
ここでは、誰も叱る必要がなかった。
私は広場の真ん中に立って、少し声を張った。
「よかったら、森の話をしましょうか」
二百人が、一度に顔を上げた。
そして、答えた。
「はい」
二百の声が、ひとつも重ならず、ひとつも遅れずに返ってきた。
私は口を閉じた。
続きが出てこなかった。
*
「あの」
しばらくして、私は近くに座っていた男に声をかけた。三十くらいの、革の前掛けをした男だった。
「休んでいますか」
「はい」
「何をしていますか」
男は、答えなかった。
私はもう一度聞いた。男は口を開けて、閉じた。
「わかりません」
やっと、そう言った。
「わからない」
「休みというものを、どうすればよいのか」
男は言った。
「思い出せないのです」
*
私は広場に立ち尽くした。
日が高くなっても、誰も動かなかった。影だけが少しずつ短くなった。
風が吹いて、荷車の幌が鳴った。それがその朝、街で聞いた唯一の音だった。
二百人が、私を見ていた。
私が何か言うのを待っていた。
*
「取り消してください」
城に戻って、私はそう言った。
アンリさんは書類の山の前にいた。手を止めた。
「命令をでございますか」
「はい」
「よろしいのですか」
「よくありません」
私は椅子に座った。手首がまだ痛かった。
「みんな、休み方が分からないと言いました。思い出せない、と」
「そうでございましょうな」
「なぜですか」
アンリさんは、次の紙を取った。
「働いていたほうが、落ち着くのでございましょう」
私はそれを聞いて、少しほっとした。
そういうことなら、分かる。私も森にいた頃、何もしない日は落ち着かなかった。薬草を採るか、木に挨拶をするか、何かしていないと一日が長かった。
この人たちも同じなのだ。長く働いてきたから、手を止めると落ち着かない。
だったら、無理に休ませるほうがよくない。
「明日から、元に戻してください」
「かしこまりました」
「でも」
私は言った。
「休みたい人がいたら、いつでも休めるようにしてください。言い出しにくいだけかもしれませんから」
「かしこまりました」
アンリさんは私の前に紙を置いた。私は印を押した。
*
翌朝、街は動いていた。
私が窓を開けたときには、もう市の台に品が並んでいた。炉に火が入り、荷車が動いていた。石を削る音がした。
昨日より、音が多いような気がした。
私はそれを見ながら、少し嬉しくなった。
みんな、働くのが好きなのだ。
休めと言われて困っていた顔より、いまのほうがずっといい。無理に休ませようとした私が間違っていた。
*
その日の昼、私は広場をもう一度通った。
昨日、二百人が座っていた場所だ。
噴水の縁に、一人だけ座っている者がいた。
昨日、革の前掛けをしていた男だった。今日も同じ場所に、同じ姿勢で座っていた。
「休んでいるんですか」
私が聞くと、男は立ち上がって頭を下げた。
「陛下がお許しくださいましたので」
「そうでした」
私は言った。休みたい人はいつでも休んでいい、と昨日決めたばかりだった。
「よかった。ゆっくりしてください」
「はい」
男は座り直した。
私が歩き出してから振り返ると、男は同じ姿勢で、同じ方向を向いていた。
その先に何があるのか、私は目で追った。
噴水でもなかった。市でもなかった。空でもなかった。
壁があるだけだった。
高さは私の背丈の三つ分ほどで、灰色で、苔も生えていない。窓もない。ただの壁だった。
その男は、休みを許された日の朝から、そこを見ている。
私は少しのあいだ、同じ場所に立って同じ方向を見てみた。
何も起こらなかった。




