第129話:鳴ってくれた
鐘だった。
この領で、夜に鐘が鳴ることはない。
私は父の手を握ったまま、しばらく動けなかった。動けなかったのは、鐘が何を意味するかを、頭のほうが先に思い出していたからだと思う。
「ライアン様!」
モーリスが戸口にいた。
「教会の御方が、門に!」
私は父の手を優しく離してから、走った。廊下を走ったのは、子供のとき以来だ。
*
門のところに、馬が一頭と、若い男が一人いた。
白いマントを羽織っている。その中は鎧だろう。マントは教会騎士のものだったから。
鐘は、この男が鳴らしたのだと分かった。教会の者は断らずに鐘を鳴らしてよい。この領ではそういうことになっている。
「教会騎士団のペドロと申します。ロロア領のご嫡子でいらっしゃいますか」
「ご丁寧にありがとうございます。はい、ロロアのライアンです」
「先触れにございます」
男は懐から紙を出そうとして、やめた。
「口で申し上げます。急ぎましたので」
*
「ベルナール司祭が、明日の昼までにこちらへ到着なさいます」
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私は、その場でうまく息が吸えなかった。
「……ありがたい、です」
「エイブラム伯爵のご容態は」
「良いとは、言えません」
「承知しました、戻ってベルナール司祭にお伝えをいたします」
私は深く、深く、頭を下げた。
頭を下げること以外に、今の気持ちを表現する術を持たなかったからだ。
*
父の部屋へ戻ると、息が変わっていた。
二度に一度あった間が、なくなっている。
モーリスが灯りを一つ足していた。
「父上」
「……ああ」
「鐘が鳴りました」
父は、目だけをこちらに向けた。それから、少し時間をかけて、言った。
「来られたか」
「明日の昼までに」
「そうか」
父はそれきり黙った。黙ってから、しばらくして、また言った。
「灯りを、消せ」
「暗くなってしまいます」
「明るいと、寝られん」
私はモーリスを見た。
モーリスは微笑みを浮かべて、足した灯りを消した。
*
部屋を出て、私は門へ戻った。
教会騎士のペドロは、馬に水をやっていた。聞けば今夜のうちに戻るのだという。
「一つ、伺ってもよろしいですか」
「なんなりと」
「司祭様は、おひとりで来られますか」
「いいえ」
男は、水の桶を置いた。
「司祭様のほかに、教会騎士が十名。それから、ヴィタリス王国の巡察隊が三十名」
「ヴィタリス?すべてが教会騎士ではなく、ですか?」
「はい」
私は、その数を頭の中で並べた。
この領に、四十を超える客が入る。いま館にいるのは、私とモーリスと父と、館の者が数名である。
「それだけの人数で、なぜでしょう」
「布教にございます。西の小国群へ向かわれる途上と伺っております」
なるほど、そういうことか。だが同時に二つの疑問が浮かんだ。
一つは、司祭様が布教に三十名もの兵を連れて行かれるものだろうか。
そして。
「あの」
「はい」
「その、何ゆえに、ヴィタリス王国の兵なのでしょうか」
男は、少し不思議そうな顔をした。答えを渋ったのではない。私がなぜそれを聞くのかが分からない、という顔だった。
*
「ヴィタリス王国のエリアス陛下が、ご同行なさっているからです」
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私は、聞き返さなかった。
聞き返すと、聞き間違いではないことになる。
ペドロは馬に乗って、行った。
私は門のところに残った。
ペドロの姿はとうに夜の闇に飲まれて消えている。
私はその闇に目をやりながら、夕方に商人が言ったことを思い出していた。
*
畑に、人が出ておるそうです。
昼夜問わず休みなく、です。強いられているのではございません。
*
礼拝堂の鐘は、もう鳴ってはいない。
鳴ってくれた、と私は思った。
二年ぶりに、鳴ってくれた。




