第125話:二日持たせた
三日のあいだに、父は水を一度しか取らなかった。
熱は高くない。言葉もしっかりしている。それなのに、飲まない。
飲まないのは、飲む理由が減っているからだと思う。私はそう考えて、考えたことをすぐに打ち消した。
寝台の脇に椅子を置いて、そこにいることにした。
父は眠っている時間が長くなった。眠っているのか、目を閉じているだけなのか、見ていても分からない。
部屋には薬草の匂いがする。効かないと分かっていても、モーリスが毎朝替えてくれる。
*
この傷は、去年の夏のものだ。
ドラント王国が北から入ってきた。麦の穂がまだ青い頃で、刈り入れまで二十日あった。
父は野で当たらなかった。北の谷の、いちばん狭いところまで下がって、そこで止めた。
あとで聞いた話では、家中の者はみな反対したそうだ。谷まで下がれば守りが薄くなる。
父はこう言ったという。
二日持たせれば刈り入れが終わるのだ、と。
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二日持たせた。
麦は刈れた。
父は三日目に運ばれてきて、寝たきりになってしまった。
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「ライアン様」
モーリスが入ってきた。手に紙を持っている。
「西のご領主から、返しがございました」
「内容は」
「四つの館が、ガーレン王国の旗に替わりました」
「やっぱりか」
替わるのはもう、驚くことではない。ガーレン王国は兵を出さない。人を出す。金と、縁組と、いくらかの塩を持って、館を一つずつ回る。
我らが王が動かない以上、ガーレンの誘いに乗るしかない。
誰も旗を変えることを責められないのだ。
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一度だけ、父にそれを言おうとしたことがある。
二年前だった気がする。私はまだ二十で、王のことを『愚か』と言いかけた。
父は最後まで聞かなかった。
「ライアン」
「はい」
「あの方は、迷っておられる」
それだけだった。
父が王を悪く言ったことは、今までに一度もない。
迷っておられる、が二年で何度も繰り返された。
私はそのたびに、迷っているうちに館が減っていくのだと思った。口には出さなかった。
出さなかったのは、父の忠義を汚したくなかったからだ。
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夕方、麦を買いに来る商人が館へ寄った。
年に四度来る。買う量は年々減っているが、来ることはやめない。
値の話が済んでから、隣国の、小国群ではない方の、話をし始めた。
「東の隣国のことでございますが」
「ヴィタリス王国だね」
「はい。相変わらず奇妙です」
我々のように小さな自治領でも、こうして商人を経由してヴィタリスの噂を耳にする。ただどうも荒唐無稽で要領を得ない、と相手にしてこなかった。
「畑に、人が出ておるそうです」
「よいことじゃないか」
「昼夜問わず休みなく、です。強いられているのではございません」
私は黙った。
商人も、それ以上は言わなかった。言わずに、値の紙を巻いて、帰っていった。
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夜、私は礼拝堂へ行かなかった。
父の部屋にいた。
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昼夜問わず休みなく、を何度か口の中で繰り返した。
昼に動いて夜は寝る。当たり前の話だ。
土に帰ったものは、昼も夜も動かない。
ではもしも『帰っていない』のだとしたら?
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私は父の顔を見た。
この人は、あと何日か。
そして、帰るのだろうか。
考えてから、自分を恥じた。
帰るに決まっている。すべては大地より生まれ、大地に帰る。
私が女神テラリーズを疑ってどうする。
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父の息が変わったのは、夜半を過ぎてからだった。
二度に一度、間が空くようになった。
私はモーリスを呼んだ。
モーリスは父の顔を見て、それから私を見た。何も言わなかった。
私は父の手を取った。冷たくはなかった。
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句を唱えるべきだと思った。
思ったが、出てこなかった。
情けない。
十で覚えて、何百回と唱えた句が、口から出なかった。
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そのとき、鐘が鳴った。




