第123話:まだ実る
我らロロア領の名産は麦と豆だ。
セフォー王国はレーヌ小国群の中でも最も内地に位置しているので、海寄りの小国よりも農業に適している。
三月の畑に、人が二十人いた。
去年は五十人いた。その前の年は、数えたことがない。数える必要がなかったからだ。
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「ライアン様」
畦の向こうからモーリスが来た。年寄りだが、この男は畦を歩くのが速い。
「北の畑は、今年は蒔きません」
「そうか」
「蒔く手がございません。申し訳ございません」
「気にしないでくれ。私が蒔いてみるよ」
モーリスは足を止めた。
止めてから、頭を下げた。
「旦那様が、お呼びでございます」
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父の部屋は、館のいちばん奥にある。
窓を閉めてある。開けると、風で灯りが揺れて、傷を診る者が手元を見誤るからだ。
もっとも、この半月は誰も診に来ていない。
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父は寝台にいた。
腿の傷は、去年の夏のものである。塞がりかけて、また開いた。開いてからは、塞がる話を誰もしなくなった。
「ライアン」
「はい、父上」
「畑は」
「北の畑が人手不足ですが、ご安心ください。なんとかしますゆえ」
「そうか」
父はそれきり黙った。
息を継ぐ音が二度した。
「モーリス」
「はい」
「読め」
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モーリスが紙を出した。
「一つ。ドゥエの館が、旗を替えました」
「二つ。ソルの館も、同じ日にございます」
「三つ。使いは、いまだ戻りませぬ」
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父は天井を見ていた。
「二つか」
「二つでございます」
「先月は」
「三つにございました」
「減ったな」
「はい」
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私は口を挟まなかった。
減ったのは、替える館が残っていないからである。
それは父も分かっている。分かっているうえで、減ったな、と言われた。
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「使いは、何日目だ」
「二十二日目にございます」
「王のご返答は」
「ございません」
父は目を閉じた。
閉じてから、しばらく開けなかった。
私が幼い頃、父は毎年、収穫のあとで王都へ上がっていた。上がるたびに何かを持って帰ってきた。塩の許しだったり、橋の材だったり、私の背丈ほどもある地図だったりした。
地図は、いまも広間に掛けてある。
あの頃、返答が二十二日も来ないということは、なかった。
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「ライアン。お前は畑に出るな」
「なぜでしょうか」
「領主が鍬を持つと、民は明日を諦める」
答える言葉は、二つある。
一つは、諦めていないから出るのだ、というものだ。
もう一つは、もう遅い、というものだ。
だが、どちらも言えなかった。
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部屋を出て、私は礼拝堂へ行った。
石の小さな建物で、屋根に鐘が下がっている。この領には司祭がいないので、鐘は年に二度しか鳴らない。
私は膝をついて、いつもの句を唱えた。
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すべては大地より生まれ、大地に帰る。
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女神テラリーズは、急がない。
種を蒔いてから実るまでを、女神は決して早めない。早めないから、遅らせもしない。
だから私は、まだ実ると思っている。
立ち上がって、外を見た。
畑の二十人が、まだ畦にいた。
日が落ちるまでには、あと一刻ある。
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夜、父がまた私を呼んだ。
灯りを一つだけ点けさせて、モーリスを下がらせた。
二人になるのは、久しぶりだった。
「紙を」
私は紙と筆を持ってきた。
「書け」
「はい」
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「ベルナール殿へ」
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私は筆を止めた。
止めてから、書いた。
「ベルナール司祭様ですか!」
「そうだ」
「……何と」
父は息を継いだ。
二度継いで、それから言った。
「最後の祈りを頼みたい」
私は書いた。
書いてから、次を待った。
父はまだ何か言うつもりでいる。言うつもりでいて、言う順を決めかねている。そういうときの息の継ぎ方を、私は知っている。
「それから」
「はい」
「息子を頼む、と」
私はそれも書いた。
「読み返せ」
私は読んだ。二行しかないので、すぐ終わった。
「短いな」
「はい」
「それでいい」
私は、すぐに顔を上げることはできなかった。
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紙を巻いて筒に収めた。明日の朝、教会に預ける。
教会は独自の伝達網を持っているようなので、あとは一刻も早くお手元に届くことを祈るしかない。
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部屋を出るとき、父が言った。
「ライアン」
「はい」
「すまぬ」
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私は扉を閉めた。
閉めた後も、しばらく廊下に立っていた。




