第12話:二十二年前から
石の天井で目が覚めた。
自分がどこにいるのか、しばらく分からなかった。森の家は枝と苔の屋根で、朝になると隙間から光が落ちてくる。あの光がない。代わりに、高いところに小さな窓が一つあって、そこから細い明るさが差していた。
寝台が広すぎた。
私は端に寄って寝ていたらしい。夜のあいだに転げ落ちるのが怖かったからだと思う。掛布は重く、上等で、汗をかいていた。森では苔と枯葉の上に寝ていたのだから、当然かもしれない。
起きて、外に出ようとした。
部屋の外に、人が立っていた。
昨日から立っていた。
*
「おはようございます」
私が声をかけると、その人は頭を下げた。四十くらいの女の人だった。名前を聞いたが、聞き取れなかった。何度も聞き直すのは悪いような気がして、そのままにした。
「昨日から、そこにいたんですか」
「はい」
「休んでください」
「休んでおります」
立ったままで、と私は言いかけて、やめた。都には都のやり方がある。
廊下を歩いた。
城は大きかった。どこまで行っても石の壁と、扉と、階段が続いた。私は三度、道を間違えた。三度とも、誰かが黙って先に立って案内してくれた。
どの部屋にも、人がいた。
厨房にも、洗い場にも、物置にも。誰かが必ず立っていて、私が通ると頭を下げた。夜のあいだも同じだったのだろうか。夜のあいだ、この人たちは何をしていたのだろう。
考えかけて、やめた。
私は昨日、王になったばかりだ。分からないことが多すぎて、一つ一つ考えていたら日が暮れる。
*
朝食は、大きな広間に用意されていた。
長い卓が一つ、部屋の真ん中に置いてある。端から端まで、二十歩はあった。
その端に、一人分の皿が置かれていた。
卓の周りには十人ほどが立っていた。給仕の者と、その後ろに控える者と、扉のところにも二人。全員が私を見ていた。
私は座った。
パンと、卵と、干した果実と、それに薄い葡萄酒。私が知らない料理も二つあった。どれも量が多かった。
「あの」
「はい」
「みんなの分は」
「済ませております」
答えたのは、卓の脇に立っていた男だった。私はうなずいて、食べ始めた。
誰も動かなかった。
十人が立ったまま、私が食べるのを見ていた。音を立てるのが申し訳なくなって、私はできるだけ静かに噛んだ。
半分ほど残した。
残したものがどうなるのかを聞こうとして、聞けなかった。聞けば、余ったものが捨てられていることを知ることになりそうな気がした。森では、食べ物を捨てるということが一度もなかった。
「厨房で作ったのは、どなたですか」
男が答えた。
「クロエと申す者が」
私は顔を上げた。
「あの人が」
「はい。城の料理人が作ると申しましたが、あの者が譲りませんでした」
私は椅子を引いて立った。礼を言いに行こうと思った。
「陛下」
男が言った。
「あの者は、いま眠っております」
私は座り直した。
そうか、と思った。あの人は昨日、ずいぶん疲れていた。旅のあいだも、たびたび座り込んでいた。眠っているなら起こしてはいけない。
礼は、起きてからにしよう。
*
執務室には、書類が積んであった。
私の背丈の三分の一ほどあった。アンリさんは既にそこにいて、その山を三つに分け終えていた。
「おはようございます」
「陛下。おはようございます」
「これは」
「昨日までの分にございます」
アンリさんは一番左の山を指した。
「こちらは、お目通しのみで結構なもの。中央は、ご裁可の要るもの。右は、急ぎのもの」
「急ぎ」
「本日中に決めねばならぬものが、十一件」
私は椅子に座った。座面が高くて、足が床につかなかった。
「私は、字が読めません」
「存じております」
「では」
「読み上げます」
アンリさんは右の山から一枚取った。
「東部管区、リヴォー橋。板の張り替え。四年前から申請が出ております。工期は十四日、必要な人手は三十。木材は南の林から出せます」
「それは、直したほうがいいものですか」
「腐っております。冬に落ちます」
「では、直してください」
「かしこまりました」
アンリさんは私の前に紙を置き、その隅を指した。私はそこに印を押した。木の柄のついた重い印章で、押すたびに手首に響いた。
次の紙が来た。
「北部三管区、井戸の掘り直し。十九か所」
「十九」
「はい」
「必要なんですか」
「必要です。二十二年前から申請が出ております」
「二十二年」
私は顔を上げた。
「なぜ、そんなに」
アンリさんは少しのあいだ黙った。
「予算がつきませんでした」
「今はつくんですか」
「つきます」
私は印を押した。
*
「陛下。もう一件、急ぎがございます」
「はい」
「今年の麦のことにございます」
「麦」
「東部と中央から、作柄の報せが上がっております。例年になく良い、と」
「それは、いいことですね」
「はい。この七日、畑に出る者が一人も減りませんでした。水も、夜のあいだも絶やさずに運んでおります」
私は嬉しくなった。
「みんな、よく働くんですね」
「はい」
「刈り入れは、いつですか」
「ひと月ののちかと。この分ですと、倉に入りきらぬ見込みにございます」
「入りきらない」
「はい」
「よかった。みんな、たくさん食べられますね」
アンリさんは、次の紙を取った。
「売りましょう」
「売る」
「刈り入れが済み次第、南の街へ。買い手はいくらでもおります。この量なら、値はこちらの言うとおりに通ります」
「でも、みんなの分は」
「足ります」
「本当に」
「余ります」
「みんなの分というのは、何人分ですか」
アンリさんは、紙から目を上げずに答えた。
「二十万人分にございます」
「二十万」
「はい」
私は数えようとして、やめた。
村は三十戸で、子供も年寄りも入れて百人ほどだった。その村が二千あると、二十万になるらしい。二千という数も、私には見当がつかない。
「王都に六万人。残る十四万人は、地方におります」
「地方」
「東部と、中央と、南に。村と町を合わせて、四百ほどにございます」
私はしばらく黙っていた。
「私が会ったことのない人のほうが、ずっと多いんですね」
「さようでございます」
アンリさんは、次の紙の角を揃えた。
「四十年おりましたが、私も同じでございます」
私は印を押した。
押しながら、少しだけ引っかかった。倉に入りきらないほど穫れて、それでも余るというのが、どういうことなのかよく分からなかった。
村では、豊作の年でも余ったことはなかった。余ったぶんは冬に食べたし、それでも足りない年のほうが多かった。
都は蔵が大きいのだろう、と私は考えた。




