第11話(幕間):知らせずにおくこと
ひとつだけ、決めていることがある。
この四十年で私が学んだのは、政ではない。善意で人を殺した者が、そのあとどう生きることになるか、ということだ。
忘れられない。言い訳もできない。悪意でやったのなら、まだ後悔のしようがある。良かれと思ってやったことで人が死ぬと、後悔する場所が見つからない。あのとき何をどう間違えたのかが、四十年考えても分からない。分からないまま、数だけが残る。
誰も責めてはくれなかった。皆、若い王の不運だと言った。だから私は、自分で責め続けるほかなかった。
三千百四十七という数を、私は寝台の中で数える。四十年、一度も飛ばさずに。
これは罰ではない。罰なら、いつか終わる。これはただの重りだ。背負ったところで誰ひとり生き返らず、何の役にも立たないまま、死ぬまで下ろせない。
だから決めている。
もしこの先、同じ重りを背負う者に出会うことがあれば、私はその者に、自分が何をしたのかを教えない。
教えたところで、死んだ者は戻らない。増えるのは、眠れない夜だけだ。
この重りは、私ひとりで足りる。
知らせずにおくこと。それが、四十年何もしなかった男に残された、たったひとつの仕事だと思っている。
七月二十五日の朝だった。
東からの報せが、三日前から途絶えていた。東部管区の代官所へ早馬を出したが、戻ってこない。フェリエ村という名を、私はその朝に初めて聞いた。
執務室の窓を開けさせた。よく晴れていた。
中庭で、庭師が薔薇の枝を落としていた。厨房の煙が上がっていた。城下から市の音が聞こえた。六万人が暮らす街の、いつもと同じ朝の音だった。
文机の上に、決裁を待つ書類が積んであった。いちばん上は、東部の街道の補修についてだった。半分だけ認めるつもりでいた。
筆を取った。
そのとき、音が消えた。
市の音も、庭師の鋏の音も、厨房の物音も、一度に途切れた。私は顔を上げた。窓の外で、庭師が膝から崩れるのが見えた。
胸が、動かなくなった。
息を吸おうとして、吸えなかった。そういう感覚を、私はそれまで知らなかった。苦しいのではない。苦しいという感覚を作る何かが、先に止まっていた。
文机に手をついた。指に力が入らず、書類の束が床に散った。
床が近づいてきた。
痛みはなかった。
視界の端で、扉のところに立っていた侍従が倒れるのが見えた。その向こうの廊下でも、誰かが倒れる音がした。城じゅうで、同じ音がしていた。
街でも、同じ音がしていたはずだ。
市で。議場で。寝台で。産室で。
六万人が、同時に死んだ。
私は最後に、一つだけ思った。
まだ何もしていない。
*
私は、起き上がった。
両手を床について、膝を立て、体を起こした。動作に淀みはなかった。六十五の身体は、この十年ほど朝に強張るのが常だったが、その朝は強張らなかった。
散らばった書類を拾い、順序を整え、文机に戻した。いちばん上は東部の街道の補修についてだった。
筆を置いた。
扉のところで、侍従が起き上がっていた。二人の目が合った。どちらも何も言わなかった。
窓の外を見た。中庭で庭師が立ち上がり、落とした鋏を拾い、枝を落とす作業に戻っていた。城下からは、市の音が戻っていた。ただし、先ほどまでとは音の質が違っていた。
売り買いの声がしなかった。
私は扉のところの侍従を呼んだ。
「東部管区へ早馬を出せ。三騎。別々の道を使わせろ。戻らずともよい。見たものを書いて、途中の宿場に置いてこさせろ」
侍従は復唱した。
「街道は、通れますでしょうか」
「通れる。一昨日の雨は南へ逸れた。北回りの道なら三日で着く」
侍従はもう一度復唱し、下がった。
私が命令らしい命令を出したのは、十九年ぶりのことだった。
執務室を出た。廊下を歩き、階を下り、大広間を横切った。行き会う者は皆、頭を下げた。誰も、何が起きたのかを尋ねなかった。誰も指示を求めなかった。
城門を出た。
石畳の大路を下り、街を抜け、正門へ向かった。立ち止まるたびに周囲の者も立ち止まり、歩き出すと皆も歩き出した。
正門に着いたのは、日が高くなってからだった。
門番に、跳ね橋を下ろすよう命じた。門番は命じられる前に既に鎖を巻いていた。鉄の格子が上がり、橋が地に着いた。
街道が、丘の裾まで見えた。
私は門の中央に立った。
背後で、人が並び始めた。誰が指示したわけでもない。城下の者が家を出て、道の両側に二列になって立った。壁の上にも人が上がった。屋根の上にも。窓という窓から、人が身を乗り出した。
六万人が、東を向いた。
「陛下」
侍従長が横に来た。
「何をお待ちなのですか」
私は東の丘を見たまま答えた。
「わからぬ」
「では、なぜ」
「あちらから来る」
私はそう言った。
「それだけがわかる」
侍従長はそれ以上尋ねなかった。
*
その日、誰も飯を炊かなかった。
厨房の火は落とされ、二度と入れられなかった。市の台には品が並んだまま、売り手も買い手も立ち続けた。
夜になっても、城に灯りはつかなかった。
門に立ち続けた。侍従長が椅子を運んできたが、座らなかった。
日が落ちても、門は閉じられなかった。並んだ者たちも動かなかった。夜のあいだ、街道の両側に六万人が立ったまま、誰一人として言葉を発しなかった。
その夜、侍従長がもう一度声をかけた。
「陛下。お身体に障ります」
「障らぬ」
ゆっくりと答えた。
「もう、障らぬのだ」
侍従長はそれきり何も言わず、斜め後ろに立った。以後、二人とも動かなかった。
二日目の夕方に、丘の上に人影が見えた。
小さかった。二十人ほどの列だった。先頭に、痩せた少年が立っていた。
一歩前に出た。
上着は身体に合っていなかった。この数日で痩せたわけではない。上着は、四十年前の戴冠のときから着ていた。若い頃の寸法のまま、一度も直させなかったのだ。
少年が丘を下りてきた。
門の前まで来た。
「ようこそお越しくださいました」
自然と言葉が出た。
「ヴィタリス王国国王、アンリ七世と申します」
そして、膝を折った。
六万人が、それに続いた。




