第10話(幕間):何もしなかった王
二十五で王になった。
父が落馬して死んだ。三日寝込んで、四日目の朝に息を引き取った。私は葬儀の翌日に戴冠し、その翌週には玉座に座っていた。何も分からないまま、決裁の書類に印を押していた。
二十五という年齢は、王として若すぎるわけではない。父も二十七で即位している。ただ、父には十年の準備があり、私には四日しかなかった。
最初の二年は、宰相の言うとおりに動いた。
三年目に、私は自分の意思で一つのことをした。
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その年、南部が不作だった。
二年続きの凶作で、村がいくつか消えた。消えたというのは、人がいなくなったという意味だ。死んだ者もいるが、多くは逃げた。逃げた先で野盗になり、街道が危なくなった。
私は税を下げることにした。
南部三管区の年貢を、三年のあいだ半分にする。それだけの布告だった。今から思えば、驚くほど単純な考えだった。取る量を減らせば、民の手元に残る。残れば飢えない。飢えなければ逃げない。
議会は反対した。当時の議会はいまより力があり、貴族の集まりだった。南部の税を減らせば、その分をどこかで補わねばならない。補う先は北部と中央であり、そこには彼らの領地があった。
私は押し切った。
二十八の私は、それを勇気だと思っていた。玉座に座って三年、初めて自分の意思で何かを決めた。父の代からの宰相が渋い顔をしたが、私は聞かなかった。民を飢えさせないことより優先される事柄があるとは思えなかった。
布告が出た日のことを覚えている。
私は執務室の窓を開けさせて、城下を見ていた。何も変わって見えなかった。当たり前だ。布告が南部に届くのは十日後で、効き目が出るのは翌年の収穫からだ。それでも私は窓辺に立って、自分がこの国に何かをしたのだという感覚を、しばらく味わっていた。
二十八の男が、初めて自分の手で世の中を動かした気になっていた。
布告は、その年の秋に出た。
冬に、北部で反乱が起きた。
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三千人が死んだ。
私はいまでもその数を覚えている。正確には三千百四十七人だ。反乱そのものによる死者が千二百、鎮圧の過程で八百、その冬の飢えと病でさらに千百。北部の負担が増えたことで、そちらの村が今度は立ち行かなくなった。
南部で救おうとした人数より、北部で死んだ人数のほうが多かった。
私は税を元に戻した。翌年の春だった。
それから四十年、私は何も変えなかった。
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誤解のないように書いておくが、私は臆病になったのではない。
いや、なったのだ。順序が逆で、臆病になった自分に理屈をつけたのだと思う。
私はこう考えるようになった。国というものは、一人の男が思いつきで動かせるほど単純ではない。ある場所を押せば、必ず別の場所が凹む。そして凹んだ場所で人が死ぬ。ならば動かさないほうがいい。何もしなければ、少なくともこれ以上は悪くならない。
この考えは、間違ってはいなかった。
私の治世の四十年は、記録の上では平穏である。大きな反乱はあの一度きり。飢饉は何度かあったが、そのつど蔵を開けて凌いだ。凌いだだけで、原因は何も直していない。だから十年ごとに同じことが起きた。そのつど蔵を開けた。
議会は少しずつ力を失い、代わりに市民の議席が増えた。増えたが、何も決められない議会になった。私が何も決めなかったからだ。上が動かない国では、下も動きようがない。
東との戦は、二十年負け続けた。
ギヨームという将がいる。よく戦う男だ。あの男は毎年、兵の増員と装備の更新を求めてきた。私は毎年、半分だけ認めた。全部認めれば北部の負担が増える。増えれば、四十年前と同じことが起きる。
半分の兵で、あの男は二十年戦った。そして負け続けた。
三年前だったか、あの男が単身で登城したことがある。書面ではなく、直に言いに来た。
「陛下。此度こそ、全てを!」
「半分だ」
「半分では、また負けます!」
「わかっている」
「わかっておられて、なぜ!」
私は答えなかった。
答えなかったのではない。答えを持っていたが、口に出せば言い訳になると思った。北部の民を飢えさせないためだ、と言えばもっともらしく聞こえる。だが本当のところ、私はもう一度自分の決断で人が死ぬのを見たくなかっただけだ。
ギヨームは長いあいだ、何も言わずに立っていた。
「陛下は、お優しい」
そう言って、あの男は退がった。
褒められたのだと、そのときの私は思うことにした。
私はそれを、慎重さと呼んでいた。
*
六十五になった。
この数年、夜に目が覚めることが多くなった。目が覚めると、決まって同じことを考える。
私は何を成したのか。
答えは出ている。何も成していない。壊しもしなかった代わりに、何一つ作らなかった。私が死んだあと、この国に「アンリ七世の」と冠されるものは一つも残らない。橋も、法も、街道も、学問所も。
あるのは、二十年負け続けた国境線だけだ。
三千百四十七人を殺した男が、それ以上殺さないために四十年何もしなかった。それが私の生涯である。
私はそのことを、誰にも言ったことがない。
*
では、何もしない王が四十年で何をしていたのか。
書類を読んでいた。
決裁は日に三十件から五十件ある。私はそのすべてに目を通した。動かないと決めた男に、それ以外することがなかったからだ。半分だけ認めると決めるにも、全部読まねば決められない。
四十年で、六十万件ほどになる。
妙な話だが、私はこの国のことを、おそらく誰よりも知っている。どの管区で何が採れ、どの道が雨で何日潰れ、どの村の井戸が何年に涸れたか。橋の掛け替えの年も、川の水位も、麦の作柄も、四十年ぶんが頭に入っている。
数はよく覚える。子供の頃からそうだった。三千百四十七という数を四十年忘れられずにいるのも、たぶん同じ性質のせいだ。
東のことも調べた。
戦えないのだから、せめて知ろうと思った。歴代の王の名、法の変遷、徴税の仕組み、どの将がどういう負け方を嫌うか。使者が持ち帰る些細な話まで、全部書き取らせて綴じさせた。東の若い王のことも、初陣から昨年の戦まで、一戦も落とさずに追っている。
あの若い王が、いつ、どこで、何を捨てて勝ったか。私はおそらく、彼の側近よりも詳しい。
そして私は、その全部を一度も使わなかった。
使えば、動くことになるからだ。




