第119話:呼ばれない
参謀本部から回ってきた紙に、宛名が書いてある。
メルダース士官。
名で呼ばれたことは陛下以外には一度もない。
いや、ある。
*
夜、その束を抱えて廊下を歩いていた。
「クラウちゃん!」
これだ。
「はい」
返事をした。しないほうが長引くからである。
ブリッツは壁にもたれていた。彼はいつもそうしている。卓につかず、壁に背をつけて、腕を組んでいる。
「重そうっすね! 持ちますよ」
「軍務です」
「軍務は持てないんすか」
「持てません」
毎回それを聞かれる。毎回同じ答えを返している。三年で変わったのは、わたしが返事をするようになったことだけである。
剣を提げていない。彼が人が剣を持たずに立っているのを、わたしは久しぶりに見た。
*
「俺、最近呼ばれないんすよ」
*
わたしは足を止めた。
「陛下に。ここ二月、一度も」
足を止めるつもりはなかった。
「呼ぶご用がないからです」
「そうなんすよねー」
彼は語尾を伸ばす。伸ばしたところで、中身が増えるわけではないのだが。
「出ないって決まったんで、俺の出番がない。それは分かってるんすけど」
わたしは束を抱え直した。
「じゃあ、用ができたら本当に呼ばれるのかな、って」
*
そのとおりである。
そのとおりであることを、わたしは毎日書き取っている。柵。斥候。骸。油。隊を残す。
用は、増えている。
「クラウちゃんは、書く人でしょ」
「書きます」
「書けないこと、増えてません?」
わたしは答えなかった。
「なぜ、そう思われますか」
「顔じゃないっすよ。持ってる紙の量」
「量とは」
「去年の秋より多いっす。で、廊下を歩くのが夜になった」
彼は数える。数えて、口に出す。
卓の上の者も数える。数えて、口に出さない。
「多いと思われるなら、書くことが増えている証拠ではないかと」
「それ以上に、書けないことも増える、っと」
彼が一兵卒でない理由は、こうしたところにもある。
「陛下、大丈夫っすかね」
*
誰も言わない言葉である。
卓では出ない。参謀本部でも出ない。
「大丈夫です」
わたしはそう答えた。命じられて答えたのではない。聞かれたので答えた。
同じことではない。
「ならいいんすよ」
彼はそれで納得した。納得したので、壁から背を離した。
「じゃ、俺は寝ます。呼ばれないんで」
廊下の端まで行って、振り返らずに手だけ上げた。
あの手の上げ方は、初めて見たときから変わらない。
その初めてがいつかは覚えていないが。
*
部屋へ戻って、命じられていない紙を出した。
日付を書いた。
*
陛下は大丈夫である、と答えた。
*
書いてから、誰に答えたのかを書いていないことに気づいた。
書き足さなかった。




