第116話:紙を早く
*カタリナのイメージイラストを後書きに追加しました。
西部方面司令部は、境から馬で二日のところにある。
着いた日は雪だった。門で名を告げると、使いの者が現れた。
「カタリナ殿ですね」
「はい」
「ナターリエ閣下がお呼びです。先に荷を置いてください、とのことでした」
荷を置く時間を先に取る司令部は珍しい。
*
「カタリナ」
ナターリエ閣下は、卓の向こうで白い手袋を外しておられた。
「参謀本部からよね」
「はい」
「何をしに?」
「紙を早くいたします」
「そう」
「はい」
閣下は手袋を卓の端に置かれた。
「では、早くしてくださる?」
*
紙は、本当に遅れていた。
六千が入る。受け入れの綴りが、中隊ごとに二十三束ある。
糧秣の切り替え、宿営の割り振り、馬の飼葉、境の柵の材。どれも別の者が別の様式で出していた。
私は様式を一つにした。
三日で追いついた。四日目からは、出す先を並べ替えた。
*
「早いのね」
閣下はそれだけ言われた。
褒められたのか、確かめられたのかは分からなかった。
*
この方が何をご存じなのかを、私は初めから考えないことにしていた。
参謀殿は、私に何も命じておられない。紙を早くせよ、のみだ。
ほかに何か言われていれば、私はそれを守る。言われていないので、守るものがない。
何も言われぬことがいちばん重い命令だ、と言う者もいる。
私はそう取らない。
取れば、命じられていないことをすることになる。
*
閣下は隠されなかった。
三日目に、境からの報せをそのまま渡された。四日目には、参謀本部へ出す控えも見せられた。
「あなたが書くほうが早いでしょう」
「はい」
「では、書いてくださる?」
私が書いた。閣下は読まれて、印を押された。
*
八日目に、柵の材が足りなくなった。
境には持ち場が五つある。材は三つ分しかない。
どこへ回すかを、閣下は即座に決められた。二つは割り当てどおりである。
残る一つを、閣下は割り当てにない持ち場へ回された。
「そちらは、割り当てにございませんが」
「そう」
理由は仰せにならなかった。
二日して、斥候が戻った。回された先の向こうで、冬のあいだ雪で使えなかった道が顔を見せていた。
閣下は、その報せを読む前に決めておられた。
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十日で、方面はより動くようになった。
閣下は、文の書ける方である。書けるのに、書かない。人に書かせて、読んで、押す。
私はその形を、参謀本部で見たことがある。
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十二日目に、便が入った。
南から回ってきたぶんである。連邦の港へ船が入り、そこから陸で来る。うちに港はないので、外の便はみなこの道を通る。月に二度ある。
束の中に、一通あった。
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差出人の欄が、空いていた。
私は束ごと閣下へ持っていった。
閣下はその一通を先に取られて、開けて、読まれた。
読み終えるまで、そう長くはなかった。
「綴じておいてくださる?」
「はい」
「外の便の綴りでよろしいわ」
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厚い。縁が硬い。東の紙は、こんなに厚く漉かない。
私は綴じた。
閣下は畳んで渡されなかった。綴じるときに、中が見えた。
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三行しかない。
時候のことと、身体を厭う言葉と、結び。
誰にでも書ける三行である。
結びに、名があった。
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ユリィ・ペトレンコ。
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参謀本部で見た名だ。帝国の将の並びに、その名があったことを思い出した。
敢えて聞いた。
「どなたからでございますか」
閣下は書き物の手を止められなかった。
「昔の男よ」
私は、次の問いを持っていなかった。
持っていないのではない。官の紙に書ける形の問いが、なかった。
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その日の夕方、参謀本部へ出す報せを書いた。
入った兵の数。糧秣の残り。柵の進み。斥候の回数。
便のことも書き添えた。
外の便の綴りに入れてあるので、読みたい者は誰でも読めるが。
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綴りを閉じた。
厚い紙は、閉じても少し浮いた。




