第112話:見ている
昨日、この者は私を止めた。
止めたことについて、私は何も言っていない。
言わぬので、今日も呼んだ。
*
「メルダース、別件だ」
「はい」
「東の数を出せ」
「それであれば、こちらに」
紙が出てきた。早い。
対西の常備は八千である。そこへ半を入れたので、一万四千になった。
「東部は」
「二万三千が、一万七千に」
「薄いな」
「薄うございます」
帝国と接している縁が、二万を切った。
向こうは軽く三万は動かせる。
*
窓を開けた。
冬の風が入った。メルダースは寒がらなかった。寒がる者はこの部屋に入れておらぬ。
「帝国は、動くか」
メルダースは答えなかった。
答えられる問いではない。私も答えを求めていない。
*
私は数え直した。
あの男、皇帝レオニードが動かぬ理由を、まず数える。
一つ。同盟の返事を、夏から四度、出しておらぬ。
出せば決まる。決まれば、片方につくことになる。つかぬために出しておらぬ。
二つ。麦を買っている。値が上がってから買い足した。安く買うためではない。
三つ。買う相手は、西である。
*
買い手は、売り手を潰さぬ。
主計監のライマーが言ったとおりである。あの老人は自分の国の話として言ったが、同じことが向こうにも当たる。
帝国は、いま西に生きていてもらいたいのだ。
では、なぜ生きていてもらいたい。
私はそこで手を止めた。
答えは一つしか出なかった。
*
見たいのだ。
*
怪異を二十万も抱えた国が、いつまで続くのか。
その国に隣がどう出るのか。
隣が兵を入れたら、何が起こるのか。
それを、金を払って見ている。
*
あの男は買い足しながら、それを見る。
動かぬ。
動けば、見られなくなる。
*
「メルダース」
「はい」
「帝国は動かぬ」
「承知しました」
「東部は、いまのままでよい」
「はい」
メルダースは書き取った。
書き取ってから、一つだけ聞いた。
「なぜ、動かぬとお判じになりましたか」
「麦だ」
「麦でございますか」
「買う者は、売る者を潰さぬ」
メルダースは、それも書き取った。
*
私は窓を閉めた。
「レオニードは、私を小倅と呼んでいるそうだな」
「……はい」
「知っているのか」
「存じております」
「誰から聞いた」
「南から参る報せに、そのまま書かれておりました」
書かれるのか。
皇帝ともあろうものが公の卓で言い、それを書かれ、それが商人の手を通ってここまで来る。
隠す気がないということだ。
*
六十三になったはずだ。
十五で初陣に出た年、あの男はもう五十を過ぎていた。
私が初めて名を聞いたのは、父の口からだ。
父はあの男の名を、負けた話のときにしか出さなかった。
*
私は椅子に腰を下ろした。
この部屋で座るのは、久しぶりだった。
*
「あのクソじじい」
*
言ってから、メルダースを見た。
書き取っていなかった。
「三行目はどうだ」
「まだ、揃えております」
「そうか」
この者は、揃うまでは出さぬ。三年そうだった。




