第104話:何が残る
「ライマー」
「はい」
「なぜ挙げた」
「売り手を替える、と前に申し上げましたな」
「申した」
「替える先が、ございませんでした」
ライマー老は、卓の向かいへ顔を向けた。
「エルヴィーン参謀殿。あの畑を取りましたとして、耕す者はどちらから出しますかな」
「こちらから出すほかございませぬ」
「その者たちは、向こうで暮らしますな」
「暮らします」
「暮らせば、いずれ死にますなぁ。老いても、病んでも」
参謀は答えなかった。
答えないのが答えだった。上申の二の項に書いてある。起き上がる側と、起き上がらぬ側とがある。起き上がる側は西である。
「増えますなぁ。死んだら焼けばよろしいが、油が高く付きます」
ライマー老はそう言って、手を膝に戻した。
「見合いませぬ」
*
「ブリッツ」
「うす」
「そこの爺様と同じっすね。行けと言われれば行くつもりでしたけど、なんか割に合わなそうなんで」
卓のこちら側で、誰かが息を吸う音がした。
ホルスト軍監が彼の名を呼ぶ前に、ライマー老のほうが先に口を開いた。
「善哉」
「額を見たか」
「いや、見てないっす」
ブリッツは壁ぎわで肩をすくめた。
「見なくても分かりません?」
*
「ナターリエ」
「西部は、わたくしの方面でございますので」
ナターリエ閣下は、白い手袋の指を卓の縁に置かれた。それだけだった。
理由になっていない。
わたしは書き取った。書き取れる言葉は、それしかなかった。
「参謀」
ナターリエ閣下が、卓の向かいへ顔を向けられた。
「馬で一日、と書いてありましたわね」
「書きました」
「どこから、どこまでの一日かしら」
「境の杭から、東の端までにございます」
「東の端」
「同じ月に失ったもののうち、最も遠いところにございます」
白い手袋の指が、卓の縁から離れた。
「森は」
「森も、同じ月にございます」
ナターリエ閣下は、それきり言われなかった。
手が膝の上へ下りて、そこで止まった。
*
わたしは書き取った。
問いが三つ、答えが三つ。並べて読み返して、わたしは筆を止めた。
一つ、引っかかりがある。
そこへ戻ろうとした、その時だった。
*
「攻めぬ」
*
卓が動かなくなった。
息を吸う音も、紙の音もしなかった。スヴェン書記の筆だけが、少し遅れて動いた。
わたしは、その遅れを聞いていた。
「陛下」
エルヴィーン参謀が言った。
「言え」
「境は動いております。夏より一月の末までで、馬にて一日ばかり。割れば三年でございます」
「読んだ」
「三年で、王都に届きます」
「それは、お前の紙に書いてある」
「一つ、書かなかったことがございます」
参謀は、そこで卓の中央を見た。
「一月の末、境の東の森が、起き上がる側へ移りました。あの森は、いまも我が国の内にございます」
誰も何も言わなかった。
わたしは筆を止めなかった。止めれば、それも記録になる。
「届いたときに、我が国の民がどうなるかは、書くまでもございませぬ。二十万は、二十万のままこちらへ入ります」
*
「勝ったとして、何が残る」
*
参謀は、すぐに答えた。
「仰せのとおりにございます」
わたしは顔を上げた。
この方は、言い返さなかった。土地が取れることも、恒久に倒せることも、一つも言わなかった。
「何も残りませぬ」
参謀は続けた。
「それでも、出るべきかと存じます」
*
「焼けば縮むか」
「書かれておりませぬ」
「では、焼いてみねば分からぬな」
「はい」
「待てばどうだ」
「主計監の案が戻ります」
「三日から百日の紙を、二百十日を過ぎた者に当てるか」
「当てられませぬ」
陛下は、それ以上言われなかった。
卓の何人かは、いま何が塞がれたのかを分かった顔をしていた。何人かは、していなかった。
わたしは書き取りながら、どちらが多いかを数えそうになって、やめた。
*
「陛下」
ホルスト軍監が言った。
「言え」
「兵は集まっております。集めて出さぬのは、これまでにございませぬ」
「そうだな」
「境の者は、出るものと思うて支度をしております。糧秣も、馬も、油も」
「そうだろうな」
「先王陛下であれば」
「もうよい」
軍監は口を閉じた。
この方が先王に触れられるのを好まれないことは、この場の全員が知っている。知っていて、軍監は毎回触れてくる。
毎回、同じところで止められる。
*
東部のトビアス閣下が何か言いかけて、やめた。北部のヘンドリック閣下は、卓の一点を見ていた。
誰も、陛下の問いに答えなかった。
勝ったとして、何が残るか。
わたしは、今日ここで出た数を見返した。日数がある。糧秣がある。荷がある。額がある。戻りの十九日と、そこに積む者の数もある。
「では、どうする」
陛下が言われた。




