第97話
本作は情景や心理描写を丁寧に描いているため、長めの文章構成になっています。
お忙しい方は、会話文「 」、キャラクター名、心の声( )を中心に追っていただくだけでも、テンポよくストーリーをお楽しみいただけます。
「冥府の? ハデス叔父上ではなく、ペルセポネにかい?」
ディオニュソス様が不思議そうに眉を上げると、テセウスは静かに頷きました。
「はい、ハデス様もすべてをご存知なのです。
ゼウス様が日の本へ向かわれた際、ハデス様はゼウス様のあまりの身勝手さに呆れ果て、
『我がギリシャの神が向こうで失礼を働いては、あの偉大な三柱に申し訳が立たぬ』
と仰られたそうです。
そして、ペルセポネ様を通じて、日の本のイザナミ様へ事の次第を伝えるよう手配されました。
その際、『ゼウスにはいくらでも、きつい灸を据えてやって構わない』という伝言と共に、正妻であるヘラ様の連絡先を日の本へ流されたのが、他ならぬハデス様とペルセポネ様なのです」
テセウスの言葉には、強い説得力がありました。
「それによって、冥府と日の本のイザナミ様との間には、強固な連絡路が開かれました。
ディオニュソス様が日の本へ渡るための縁を繋ぐのなら、その連絡路を預かるペルセポネ様を頼るのが、最も確実な道かと愚考いたします」
「なるほどね……! まさかあの厳格なハデス叔父上が、父上の悪癖に愛想を尽かして、日の本に
ヘラ様の連絡先を渡していたとは。叔父上も粋な真似をするじゃないか!」
ディオニュソス様は納得したように指先で自らの顎を撫で、ふっと唇を綻ばせました。
「面白い。
ならば僕は、すぐにでも冥府へと赴き、ペルセポネに極上の葡萄酒を貢いで道を拓いてもらうとしよう。
アリアドネ、そして最高神をも狂わせる日の本の美味……
この目で、この舌で、確かめずにはいられないからね」
ディオニュソス様は、すぐにアテナイを発ち、暗く静謐な冥界へと向かわれました。
その手には、自らの権能を注ぎ込んで醸造した、この世のものとは思えない至高の葡萄酒の甕がいくつも携えられています。
冥界を統べるハデス様、その最愛の王妃ペルセポネ様、そしてまだ見ぬ東の島国、日の本の神々へ贈るための特別な品々でした。
岩肌を伝う冷たい雫の音だけが響く冥界の深奥、漆黒の玉座の間。
そこには、相変わらず厳格な威厳を放つハデス様と、その傍らで可憐な微笑みを浮かべるペルセポネ様が並んで座してます。
「おや、ディオニュソス。葡萄酒の神が、このような陽の射さぬ死者の国に何の用だね?」
ペルセポネ様が不思議そうに首を傾げると、ディオニュソス様は軽やかに一礼し、抱えていた葡萄酒の甕を恭しく捧げました。
「ハデス叔父上、ペルセポネ。
アテナイのテセウスから、実に興味深い話を耳にしましてね。
僕の育てた最高の一雫を、ぜひお二人に味わっていただこうと参上したのです。
それと……折り入ってお願いがありまして」
ディオニュソス様は悪戯っぽく微笑みながら、ハデス様とペルセポネ様の前に極上の葡萄酒を注ぎ、自らが冥界を訪れた真の目的。
アリアドネが待つ「日の本」への道を拓いてほしいという情熱を、静かに語り始めました。
ハデス様は、ディオニュソス様が差し出した葡萄酒の甕を一瞥し、その端正な眉を深く顰められました。
「ディオニュソスよ……貴様のことだ。
この気遣いを見れば、あの愚かな弟のような無礼を働くことはあるまい。
貴様がアリアドネに恋慕の情を抱いていることはわかった。
しかし、相手は日の本の最高神達だ。
日の本の神々が貴様の訪問を許すとは限らない。
弟のことがあったばかりだからな」
冥界の主としての冷徹さが、その声音に満ちていました。
ゼウス様が日の本で引き起こした騒動の余波を、ハデス様は懸念されていたのです。
しかし、その硬い空気を和らげるように、傍らにいたペルセポネ様が鈴の鳴るような声で笑って答えられました。
「ふふっ、ハデス様。心配は無用かと。
かえって日の本の神々は、面白がってディオニュソスを迎え入れることでしょう」
「……ふむ。なるほど。確かに、あの御方達ならばそうかもしれぬな」
ハデス様はしばらく考えたのちに許可を出しました。
「……よし、ペルセポネよ。
ディオニュソスという酒の神が、自慢の酒を持って訪問すると伝えてやれ」
ハデス様は僅かに表情を緩め、甥である葡萄酒の神を真っ直ぐに見据えました。
「ディオニュソスよ。貴様の想いは、貴様自ら伝えるが良い」
流石は冥府の王、ハデス様です。
日の本の神々への敬意を払い、同時に若き神の恋情をも無下にしない、
実に配慮が行き届いた適切な指示でした。
「はっ、叔父上。決して日の本の神々に無礼が無いように振る舞います」
ディオニュソス様は深く頭を下げ、その胸に安堵と新たな決意を漲らせました。
そこへ、ペルセポネ様がいたずらっぽく片目を瞑り、優しく警告を発します。
「ふふっ、けどディオニュソス。日の本の神々は手強いぞよ?
心して行くが良い。
妾からイザナミ様、天照大神様、アリアドネに伝えておこう。
それまでしばし待つが良い」
「感謝いたします、ペルセポネ」
ディオニュソス様は、冥界の冷気の中で、まだ見ぬ東の国への連絡路が開かれるその瞬間を、心地よい緊張感と共に待つこととなりました。
いつもご愛読いただき有難う御座います。
至高の葡萄酒を手に冥府へ根回しに訪れた酒神ディオニュソス。ハデス叔父上の冷静な釘刺しとペルセポネ様の頼もしい後押しを受け、酒豪たちが待つ日の本への直通ルートがいよいよ開通秒読みとなりました。
「極上ワイン手土産作戦、速攻で陥落する自信あるわ!」と思った方は【評価(★)、ブックマーク登録】をお願いします。




