第8話
本作は情景や心理描写を丁寧に描いているため、長めの文章構成になっています。
お忙しい方は、会話文「 」、キャラクター名、心の声( )を中心に追っていただくだけでも、テンポよくストーリーをお楽しみいただけます。
「ふふふっ……!」
アリアドネの薄い唇から、現世にやってきて初めて、鈴の音のような小さな、そして心からの可愛い笑い声が零れ落ちました。
イザナミ様も、隣でアリアドネの笑顔を見て、とても嬉しそうに微笑んでいます。
羽田空港を後にした最高級セダンは、東京の中心部へと向かって滑らかに走り始めました。
しかし助手席の天照大御神様は、未だに弟の完璧な紳士ぶリが納得いかないご様子です。
「素戔のくせに、生意気じゃ……!」
ふかふかのシートに深く腰掛け、腕を組んだまま、ぶつぶつと唇を尖らせて窓の外を睨みつけています。
そんな姉神とは対照的に、後部座席のイザナミ様は、優しく目を細めておられました。
「ふふっ……素戔よ。ほんに、見違えるほど男前になったのう……」
かつて荒ぶる神として暴れていた弟が、時を経てこれほどまでに立派に、そして優しく成長した姿を目の当たりにし、大母神としての愛おしさが込み上げているようでした。
アリアドネもまた、後部座席から運転する素戔嗚尊様の広い背中を、深い感銘の目で見つめていました。
テセウスやミノタウロス、そして黄泉の鬼すらも遥かに凌駕する圧倒的な力を持ちながら、二柱の我がままやツッコミにたじたじになり、頭を掻いている大男。
それでいて、自分たちへの配慮や紳士的な振る舞いは決して崩さない。その真の強さと優しさに、アリアドネの心はこれまでにない感動を覚えていたのです。
そんな車内の視線を浴びながら、素戔嗚尊様はバックミラー越しに後部座席を見つめ、ハンドルを握りながら言いました。
「なぁ姉貴よ。お前、この2人をプロデュースするんだろ? だったら、まずは身の回りのものを整えねえとな。……今、銀座の街に、機織りの名手である天棚機姫が服屋を開いてるんだ」
素戔嗚尊様はウインカーを出しながら、言葉を続けます。
「そこで、まずは3人の服を最高に美しくコーディネートしてもらったらいいんじゃねーか?」
その提案を聞いた瞬間、助手席の天照大御神様の目がキラリと光りました。しかし、次の瞬間にはジロリと弟を睨みつけます。
「素戔……お前、奇稲田ちゃんと、ここでいつも何をしておるのじゃ……!?」
「何って……いや、ただの買い物デートだよ!」
「怪しいのう! 姉の知らぬ間に、現世の流行りにこれほど詳しくなりおって!」
「地上を俺に任せたのは、他ならぬ姉貴じゃねーか!」
またしても始まった賑やかな姉弟漫才。
車窓を流れる東京のきらびやかな高層ビル群の景色を背景に、楽しげな声が車内に響き渡ります。
その様子を見ながら、アリアドネとイザナミ様は、これから向かう「銀座」という未知の都、そして「天棚機姫」の美しい服たちに、胸を躍らせ始めるのでした。
車は滑るように走り、やがて洗練と気品が漂う街「銀座」の街角へと静かに停車しました。
車から降り立った一行の前に、美しく磨き上げられた石畳と、空高くそびえ立つモダンな建築群が広がります。
イザナミ様は、その整然とした大都会の美しさに深く胸を打たれ、感嘆の息を漏らしました。
「なんと……まぁ……。妾の産み落とした日の本が、時を経てこれほどまでの成長を遂げ、光に満ちた都となったのかえ……」
かつて荒涼とした大地から国を生み出した大母神にとって、この銀座の繁栄は、言葉に尽くせぬほどの感動の光景でした。
一方、その隣に立つアリアドネは、あまりの衝撃に周囲を見上げたまま、身体を震わせて叫んでいました。
「なっ……なんですか、ここは……っ!? ここは神々のお住まいなのですか!? ……私の知る、あのオリュンポスの神々の宮殿といえども、ここまでの威容、ここまでの美しさはあり得ません……!」
『オリュンポス』
その、日の本には存在しない異国の神の山の名を聞いた瞬間、天照大御神様と素戔嗚尊様はふっと顔を見合わせ、静かに頷き合いました。
(オリュンポス……そういうことか……)
彼女が遥か遠い、別の神々の理が支配する異世界から、宿命の糸に手繰られてここにやってきたのだということを、二柱の神は明確に察したようでした。
イザナミ様は、驚きと興奮で胸を突かせているアリアドネの手を、どこまでも優しく、そっと包み込むように握りしめました。
自分と同じように、男の理不尽な裏切りによって奈落へと突き落とされ、それでも気高さを失わない異国の王女。
そんなアリアドネの境遇と健気な姿が、イザナミ様にとっては愛おしくて、可愛くて仕方がなかったのです。
繋がれた手の温もりに、アリアドネは心の底から救われるような安心感を覚えていました。
そうこうしているうちに、四人は素戔嗚尊様の案内に従って、銀座の一等地に佇むひときわ洗練された高級ブティックの前に到着しました。
ガラス張りの美しい扉が開くと、中から心地よいお香の香りと共に、一人の麗しい女神が満面の笑みで迎えてくれました。
「あらー! 天照大御神様! ようこそいらっしゃいました!」
彼女こそ、機織りの名手であり、現代の銀座で極上の服屋を営む天棚機姫様でした。
「天棚機……ちゃん……なのかえ!?」
目の前に佇む女神を見て、天照大御神様は信じられないとばかりに美しい目を丸くし、訝しげに尋ねました。
高天原にいた頃の彼女からは想像もつかないほど、今の天棚機姫神様は洗練された最先端のモダンなスタイルに身を包み、上品で完璧なお化粧を施していたからです。
現世の「銀座」という街に見事なまでに溶け込んでいるその美貌に、主神といえども圧倒されざるを得ません。
そして、その驚きと、どこか理不尽なジェラシーの矛先は、またしてもあの男へと向かいます。
「素戔や……主……やはり、ここで遊んでおったんじゃろーーーーっ!?」
「だから! 奇稲田と来るんだから、当たり前だろーーーーっ!」
もはや様式美と化した二人の全力の姉弟漫才。しかし、出雲大社や空港の時とは違い、出雲空港で怯えていたイザナミ様とアリアドネの姿はもうありませんでした。
二人はお互いに顔を見合わせ、今度は我慢することなく、鈴を転がすような楽しげな声を上げて、心から大笑いするようになっていたのです。
神々の国への恐怖や戸惑いは、この賑やかな笑い声と共に、完全に消え去っていました。
そんな賑やかすぎる状況を見かねたのか、天棚機姫神様がふふっと上品に笑いながら、パチンと手を叩きました。
いつもご愛読いただき有難う御座います。
「銀座」に適応してる機織りの名手・天棚機姫様による最高峰のプロデュースがいよいよ幕を開けます。
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