第77話
本作は情景や心理描写を丁寧に描いているため、長めの文章構成になっています。
お忙しい方は、会話文「 」、キャラクター名、心の声( )を中心に追っていただくだけでも、テンポよくストーリーをお楽しみいただけます。
時は少し遡り、日の本での修行(?)を終えたテセウス。
美味に涙し、織田信長や徳川家康の泰平の理に目を開いたテセウスは、ペルセポネ様の言葉に従い、再び時空の歪みである黄泉比良坂の門をくぐりました。
彼が辿り着いたのは、現世のまばゆい光とは対照的な、不気味な静寂と冷徹な闇が支配するギリシャの冥界。
日の本の衣服を身にまとい、現代日本の叡智が詰まった旅行ガイドブックと、ICカード。
そして素戔嗚尊様から餞別として授かった神気が込められたスマートフォンをしっかりと胸元に仕舞い込んだテセウスは、堂々たる足取りで冥王の宮殿へと進みます。
玉座の間。
そこには、冷徹なる冥王ハデス様と、かつてテセウスを日の本へと送り出した冥妃ペルセポネ様が並んで座し、帰還した男を厳かに出迎えました。
一年前、傲慢と剥き出しの強欲をにじませてこの地に足を踏み入れたアテナイの若き王の姿は、そこにはもうありませんでした。
一年の山籠りと日の本の旅を経て、余計な脂肪と共に傲慢さが完全に削ぎ落とされた彼の佇まいは、一人の洗練された、真に民を慈しむ「王」としての気高きオーラを放っていたのです。
テセウスは二柱の前に進み出ると、これまでにないほど深く、敬虔に頭を垂れました。
「冥王ハデス様、そしてペルセポネ様。アリアドネ様の手紙に導かれ、日の本という偉大な国より、ただ今戻りましてございます」
その真っ直ぐで濁りのない瞳と、劇的な成長ぶりに、冷徹なハデス様もわずかに眉を動かします。
『おおっテセウスや、よくぞ戻った。
あの時の傲慢な姿など微塵もない…。
ハデス様、これでアテナイも救われるかもしれませぬ』
冥妃ペルセポネ様は玉座から身を乗り出し、その厳かな瞳を細めて、見違えるほど凛々しくなったテセウスを眩しそうに見つめました。
「はっ! この命にかえましても!」
テセウスは顔を伏せたまま、力強く、迷いのない声でアテナイを救う覚悟を誓います。
その言葉の重みに、これまで数多の英雄の魂を見届けてきた冷徹なる冥王ハデス様が、静かに玉座から立ち上がりました。
「面を上げよ。
ふむ、不思議な神気を纏っておるな。
だが、良い面構えだ。
もしつまらぬ男のままであれば消してしまうかとも思っていたのだが…
日の本の神々に感謝することだ…」
「ははっ! 肝に銘じまする!」
テセウスは促されて面を上げ、ハデス様の深淵の如き眼光を正面から受け止めました。
ハデス様といえば、オリュンポスの最高神ゼウス様や、海神ポセイドン様の兄にあたるお方。
派手な天界の神々とは異なり、世界の根底たる冥界のすべてを統べる、真の実力者であり真の支配者です。
その圧倒的な威圧感の前ではテセウスは赤子同然です。
もし以前の傲慢な自分のままであれば、ここで一瞬にして魂を消滅させられていたであろうことは明白でした。
(本当に……日の本で天照大神様や素戔嗚尊様に一度どん底まで落とされ、しかも温かく見守っていただいたからこそ、今の私があるのだ……)
テセウスの胸に、衣服の下で静かに眠るICカードやスマートフォンの重みと共に、あの温かくも規格外だった日の本の全てへの感謝が激しく込み上げ、目頭が熱くなります。
あの親子丼の出汁の優しさも、手羽先の胡椒の刺激も、すべてが彼をこの修羅場に耐えうる漢へと育ててくれていたのです。
「して、テセウスよ。アテナイの窮状はペルセポネから聞いたな。
バルバロイの軍勢が迫り、国内の秩序も乱れておる。
そなたはこれから、どのようにしてあの国を導くつもりだ?」
「はっ。まず第一義はバルバロイの殲滅。
僭越ながら私が指揮をとります。
部隊を二つに分け昼はひたすら被害を抑えるよう城に立て籠もり門を固く閉ざします」
「そして、夜間のうちにもう一つの部隊を城の裏門より密かに脱出させ、敵の背後に砦を築きます。
この砦も予め木組みができるようにしておき、川上より敵の背後に流し一夜城を構築。
その上で挟み撃ちにて最小限の動きで敵の将の首をとり殲滅戦に転じます」
「さすれば我がアテナイの兵達の犠牲は最小限に抑えられ、敵の兵達も戦意を失い投降することでしょう」
冷徹な宮殿の静寂の中に、テセウスの淀みのない、かつ確信に満ちた声が響き渡りました。
それは、彼が日の本の旅で学んだ、覇王・織田信長・豊臣秀吉が墨俣で魅せた「一夜城」の奇策。
そして、徳川家康公の「民の犠牲を最小限に抑える泰平への執念」を、古代ギリシャの戦場へとアジャストさせた戦略でした。
ハデス様は戦慄しました。
これまで数多の英雄や知将の魂を冥府へと迎えてきた冥王をして、聞いたこともない驚天動地の戦略。
そして、ただの力押しではない、鮮やかな勝ち筋しか見えない緻密な戦術の数々に、さすがのハデス様も驚きを隠せないご様子で眼光を鋭く見開きます。
隣に座すペルセポネ様も、テセウスの口から「敵の犠牲をも抑え、投降を促す」という、この苛烈な古代ギリシャの世界には存在し得なかった気高き慈愛の言葉が出たことに、深く深く胸を打たれていらっしゃいました。
しかし、テセウスの開眼はそれだけにとどまりません。襟を正し一人の君主としての風格をまとった彼はさらに続けます。
「そして内政です」
「まず投降してきた捕虜を主に土木などの復興に使います。
そしてアテナイ市民の恨みが彼らに向かぬよう隔離管理します。」
「また、彼らにも恩賞を与えます。彼らは戦わねば味方に殺されるという挟み撃ちの状況にありましたが、その呪縛を解き逆手にとります。」
「そして攻めてきたかつての仲間と戦わせ、彼らの意思を見ます。
信頼に値する者は我がアテナイに受け入れ、相応の地位を与え、軍務に就かせることにより人手不足を補います」
テセウスが澱みなく紡ぐ冷徹かつ慈悲深い戦後処理の青写真に、冥王ハデス様は微動だにせず、しかしその深淵の如き眼光をますます鋭くさせて聞き入っています。
力で捩じ伏せ奴隷に落とすのが当たり前のこの時代において、敵の心理の呪縛を解き、アテナイの血肉へと変える発想はまさに異次元の智慧でした。
さらにテセウスは、衣服の胸元にそっと手を当てながら、熱い眼光を輝かせました。
「そして、市民達には料理、衣服などの研鑽に励むよう、優秀なものには恩賞を与えこれを推奨します。
私が日の本で学んだ言葉に『衣食住足りて礼節を知る』という諺がありました。
それを先ずは満たします。
……ふふっ、これは秘策と言いますか、衣食それぞれに私の小さな種を植え付けます」
若き王の唇の端が、日の本のあの楽しい思い出をなぞるように、どこか不敵で楽しげに吊り上がります。
冥府へ帰還するや否や、ハデス様を前に「墨俣一夜城」と家康流の泰平内政を淀みなくプレゼンしてドヤ顔のテセウス。
「ハデス様、丸パクリに感心しないで!」、「有能な名君ムーブ、アリアドネのジタバタが復活するな」と思った方は【評価(★)、ブックマーク登録】をお願いします。




