第71話
本作は情景や心理描写を丁寧に描いているため、長めの文章構成になっています。
お忙しい方は、会話文「 」、キャラクター名、心の声( )を中心に追っていただくだけでも、テンポよくストーリーをお楽しみいただけます。
門を開ければ、そこには普段着をまとった天照大神様、妖艶な気品で微笑むイザナミ様、そして、パソコンの前から飛び出してきたアリアドネが、今か今かと二人の帰還を待っていました。
ついに、すべての旅を終えたテセウスが、アリアドネや日の本の神々と本当の意味で正面から相まみえる感動の瞬間。
「ほら。こっちだ。遠慮せずに入れ」
素戔嗚尊様が大きな手でテセウスの背中をポンと押し、七里ヶ浜の邸宅の扉を開け放ちます。
エントランスの向こうに広がる、夕日に照らされて黄金色にきらめく相模湾の絶景が目に飛び込んできました。
「おおっ! 美しい! 海が一望できますな。我がアテナイの海に勝るとも劣らない美しさです!」
「だろ? ここの海の眺めは、俺も格別に気に入ってるんだ」
やはり男同士、お互いに一国を背負う英雄として過酷な修羅場をくぐり抜けてきた者同士、道中のハイボールと美味い飯の話を経て、通じ合うのはあっという間でした。
広い玄関に足を踏み入れたその時、正面からふわりと、まばゆいけれどどこまでも温かい純白の光をまとった天照大神様がテセウスを迎えます。
今夜の天照大神様は、新調されたのでしょうか、清楚な白いワンピースに黒の細いベルトでキュッとウエストをマークした、現代風のとてもお洒落でキュートな女の子の出立ちでした。
「よくぞ参った。日の本の旅は楽しかったかえ?」
「ははぁーーーっ!!! 天照大神様とお見受けいたします! その節は身の程知らずにも、大変なご無礼をいたしました!」
テセウスは声を震わせ、リュックを背負ったまま床へと即座に跪いて平伏しました。
比叡山の山道で天照大神の実力の片鱗を見せつけられたあの夜の恐怖。
そして、その後に知った家康公の泰平の理への畏敬などが混ざり合い、これ以上ないほど物々しい態度を取ってしまいます。
「……むぅ。ほれ、そなた、そんなにカチカチにならずとも良いから」
せっかくお洒落をして現代風の女の子の装いを見せにきたのに、あまりにも堅苦しく平伏されてしまい、天照大神様はちょっとがっかりしたようにお転婆な口を尖らせました。
「素戔が許したのなら妾は何もいうことはない。それよりも……この服、美しかろう? ふふっ」
主神らしい絶対の包容力を見せつつも、嬉しそうに白いワンピースの裾をひらりと翻してテセウスに自慢してみせます。
「はっ! それはもう! 女神様のような……はっ、失礼いたしました! 本物の女神様に向かってなんということを……!」
「ぷっ!はっはっは! 実際に話してみるとなかなか面白い男のようじゃのう! さあ、そんな玄関に座ってないで入るが良い!」
自分の美しさを前に真面目にドギマギして慌てふためくテセウスのピュアな反応に、天照大神様はいつものまばゆい満面の笑顔を取り戻し、豪快に高笑いを響かせました。
リビングの奥へと進むと、そこに腰掛けていたのは、天照大神様の白いワンピースと対をなすような、漆黒のワンピースを身にまとった絶世の美女。
しかし、その佇まいは冥王ハデス様を彷彿とさせる、底知れぬ絶対的な威厳と妖艶な気品を放っています。
その美女が、白い指先で「ちょいちょい」と優雅に手招きをしていました。
「はっ! しっ、失礼いたしまする!!」
テセウスの全身にピリッと激しい戦慄が走りました。
目の前にいるお方が、天照大神様や素戔嗚尊様をも凌駕する威厳を放つ圧倒的な格の高さが、大母神イザナミ様その人であるということを言葉にされずとも本能で理解できたのです。
テセウスは畏れ多さのあまり、イザナミ様が座る椅子のすぐ横へと即座にスライディングするように跪きました。
「ほれ、そんなところにではなく、椅子に座らぬか。ふむ……美丈夫と思ってはおったが、近くで見ると、思った以上に端正な顔立ちをしておるのう」
イザナミ様は大きな瞳で髭を剃り落としてギリシャ彫刻の如き美しさを取り戻したテセウスの顔をじっと見つめ、艶やかにフフッと微笑まれました。
大母神からの至近距離でのお褒めの言葉に、テセウスは顔を真っ赤にして恐縮するばかりです。
「ふふっ。ほれアリアドネちゃんや、出て参れ」
イザナミ様が優しくリビングの奥へと声をかけると「はーい、お姉様!」と、弾んだ可愛い声が響きました。
現れたのはあの愛しいアリアドネでした。
数日前の腫れ上がった顔や恐怖の涙など、何事もなかったかのようにすっかり元通りに癒え、瞳をきらきらと輝かせてテセウスの前にちょこんと立ちます。
「あっ……アリアドネ様……、そっその……我は、なんと……申し上げれば良いのか……」
テセウスは、あまりの気まずさと過去の己の過ち、そして見違えるほど日の本の神子として美しく洗練されたアリアドネの姿を前に、完全に言葉を詰まらせてしまいました。
見当違いな(?)大号泣をしてきた漢が、本物の彼女を前にして、恥ずかしさと申し訳なさとで激しくうろたえています。
かつての傲慢な略奪者から、真に民を想う王へと進化したテセウス。
そして、そんな彼のすべての歩みを見続け、いつの間にかやきもちの受難を乗り越えていたアリアドネ。
「ふふっ。どちら様ですか? 私は貴方と会ったことはないわ!」
戸惑い、言葉を詰まらせるテセウスの前に立ち、アリアドネは悪戯っぽく瞳をきらめかせながら、最高にチャーミングな微笑みを浮かべました。
それは冷たい拒絶ではありません。
過去の裏切りも、鴨川での過ちもすべて日の本の海の彼方へ洗い流し、「貴方の罪はもう消えた」と告げる、どこまでも深い慈愛に満ちた赦しの言葉でした。
「あっ……アリアドネ様……。あっ、有難うございました。
貴女様のおかげで、道を踏み外していた我は、ようやく正気に戻ることができたのです……!」
テセウスは、肩を震わせながら、その言葉の奥にあるあまりにも大きな真意を悟り、膝をついたまま溢れ出る感謝の涙をボロボロと畳の上にこぼしました。
アリアドネの手紙に導かれ、お豆腐の繊細さに目を開き、家康公の泰平の理を刻み、富士山を仰ぎ見て魂をピカピカに洗練させてきた日々の答えが、今ここに結実したのです。
「だーかーらー! 私は貴方なんて知りませんわ! ほんとどちら様なの?」
テセウスが涙を流して恐縮する姿を見ながら、アリアドネはふんすと鼻を鳴らし、可愛らしい仕草でプイッとそっぽを向いてみせました。
その悪戯っぽい瞳の奥には、何があってもこの「出会ったことのない二人」というスタンスは絶対に崩さないという、気高く強い意志が満ち溢れています。
イザナミ様は、そんな愛らしいアリアドネをそっとご自身のそばに寄せると、何も言わずにその小さく健気な手をぎゅっと握り、どこまでも優しく微笑んでいらっしゃいました。
かつて高天原の入り口で、自分を裏切ったイザナギパパに向かって「はて、どちら様だったかいのう?」と痛快に三行半を突きつけた大母神。
そして今、自分を置き去りにしたアテナイの王に向かって、最高にエレガントに「どちら様ですか?」と言い放ってみせたギリシャの王女。
時空を超えた二人の女神の間には、男たちの身勝手な歴史に自分たちの力で美しく終止符を打ったかのような、どこまでも楽しげで、清々しい空気が流れていました。
いつもご愛読いただき有難う御座います。
イザナミ様の威厳にスライディング土下座をキメるテセウス。感動の再会かと思いきや、アリアドネちゃんからイザナミ様直伝の「どちら様ですか?」がまたしても、しかし慈愛とともに炸裂し、華麗に過去をリセットされました。
「アマテラス様、蹂躙の恐怖はどこいった?!ワンピ自慢してる場合か?」、「イザナミ様へのスライディング土下座て、日本の芸風馴染みすぎだろ」と思った方は【評価(★)、ブックマーク登録】をお願いします。




