第69話
本作は情景や心理描写を丁寧に描いているため、長めの文章構成になっています。
お忙しい方は、会話文「 」、キャラクター名、心の声( )を中心に追っていただくだけでも、テンポよくストーリーをお楽しみいただけます。
珈琲の味を覚え、新横浜の未来的な進化に魂を震わせながら、いよいよ最終目的地「東京」へと向けて最後の一歩を踏み出そうとするテセウス。
そして、そのスマートさに負けじとパソコンの前で面白悶絶するアリアドネでした。
新横浜を出発した新幹線は、その速度を緩やかに落としながら進んでいきます。
テセウスは車窓に釘付けになったまま、額から一筋の冷や汗を流していました。
新横浜を過ぎてからというもの、窓の外にはどこまでも途切れることのない巨大な都市の街並みが延々と続いていたからです。
「名古屋の巨大さにも度肝を抜かれたが……
あの巨大な大都会すら、この国においてはまだ序章も序章だったというのか……!?
なんという……なんという恐ろしい国だ……!」
連なる無数のビル群、網の目のように交差する道路や線路、そしてひしめき合う人々の気配。
テセウスはいわゆる「首都圏」という現代世界の巨万のスケールに、魂の芯から度肝を抜かれていました。
そして新幹線は、ついに巨大な要衝品川駅へと到着します。
リュックを背負い、ホームへと降り立ったテセウス。
駅の改札を出て周囲を見渡すと、彼の脳内美食・為政者談義はついに表現する言葉すら失い、完全なる沈黙を迎えました。
西口に広がる、洗練された歴史ある格式高き街並み。
そして東口を見上げれば、天を衝く恐るべき摩天楼がどこまでも連なる品川インターシティ。
もはや、彼のアテナイの知識では表現することなど何も残されてはいませんでした。
テセウスはただただその圧倒的な現実の前に佇み、この偉大なる日の本を統べる天照大神様や素戔嗚尊様という主神たちの、底知れぬ御神威へ心からの深い敬服の念を捧げていました。
一年の山籠りとこの東海道の歩みを経て、かつての傲慢な略奪者は、この偉大な国を心から崇敬する、真に謙虚で気高き為政者へと完璧に生まれ変わったのです。
その頃、七里ヶ浜の邸宅では――。
天照大御神様の細工を通じ、品川駅の摩天楼を見上げて「なんと偉大な国なのだ……」
と静かに涙を流して平伏しているテセウスの、究極に洗練された美しい求道者の思念が、リアルタイムでリビングへと届いていました。
「ふふん……。テセウス様、とうとう品川まで辿り着いて、お姉様方の本当の偉大さに魂の底から気づかれましたのね……。
一人の旅人として、まこと天晴れな見識の広がりですわ!」
アリアドネは、もう地団駄を踏むこともやめ、どこか誇らしげに、そしてちょっぴり嬉しそうに瞳を細めて画面を見つめていました。
彼が手紙の一文を胸に、本当の意味で己の矮小さを知り、立派な漢へと成長を遂げた姿を、静かにその目へと焼き付けています。
そんなリビングの様子を見守りながら素戔嗚尊様が立ち上がりました。
「どれ、ちょっと俺、あいつを迎えにいってやるわ。一駅ずつの旅をしっかり噛み締めて、ここまで立派に育ったんだ。
そろそろ、アテナイ(古代ギリシャ)に返してやらないとな」
「おおっ! 素戔、あのおのこを迎えに行くか!」
「しっかりとその目でやつを見極めてくるのじゃぞ!」
天照大神様とイザナミ様が笑って送り出します。
「素戔嗚尊様……よろしくお願いいたしますわ」
アリアドネが健気に深く一礼する中、素戔嗚尊様は車にのりこみ七里ヶ浜の邸宅を後にしました。
エンジンが静かに、しかし力強く唸りを上げ、車はテセウスの待つ終着駅、東京駅へと向かって、夕暮れの湾岸道路を滑らかに駆け抜けていきます。
新横浜から始まった巨大な首都圏の威容を胸に刻みながら、テセウスは東京駅へ向かう最後のルートを慎重に選んでいました。
新幹線という鉄のドラゴンの旅も至高でしたが、駅のホームにはさらに無数の青や緑の電車が、蜘蛛の巣のように張り巡らされた線路の上を寸分の狂いもなく行き交っています。
「むう。ここまで来れば、目的地までは目と鼻の先のようだ。
最後の最後は、この巨大な都市を支えている血液の如きインフラを、しかとこの目に焼き付けておこう」
テセウスは駅の案内に従い、東京の心臓部を円状に繋ぐ山手線の車両へと足を踏み入れました。
リュックを背負ったまま、窓の外に広がる車窓をじっと見つめます。
一駅ごとに目まぐるしく姿を変える高層ビル群、ひしめき合う看板の海、そして整然と歩く何百万もの人々の姿。
それはまさに、人類が何千年もかけて築き上げた究極の夢の都市そのものでした。
そして、ついに彼が目標としていた終着駅、東京駅へと滑り込みます。
自動ドアが開き、テセウスがガイドブックの最初のページに目をやると、そこには東京駅のすぐ目の前に、日の本の最高神たる天照大神様のご子孫が今も暮らす宮、皇居があると記されていました。
「……すべての頂点たるお方の宮か。一人の為政者の卵として、見届けねばならぬな」
彼は東京駅の西口(丸の内口)から現世の光の中へと降り立ちました。
目の前に広がるのは、先ほどの品川をも凌駕する、極限まで洗練された美しき摩天楼の林。
ガラスの巨塔が織りなすその芸術的な景観に圧倒されながら、テセウスはガイドブックの記述に従い、ふと後ろを振り返りました。
そこには、大正の世からこの巨大都市の歴史を見守り続けてきた、気高くも壮麗な東京駅丸の内駅舎の威容が、写真以上の圧倒的な迫力で佇んでいました。
まるで、この素晴らしい都市そのものを世界へ誇るかのようなその佇まいに、テセウスは深く息を呑みます。
そのまま真っ直ぐに伸びる美しい行幸通りを進み、テセウスはついに皇居へとたどり着きました。
当然、周囲には厳重な警備が敷かれ、これ以上の立ち入りは禁止されています。
「……ここがこの巨大にして至高の国家の元首、八百万の神々の血を引くお方の宮なのだな。
これまで掛川や駿府、小田原で様々な城や悲劇の歴史を見てきたが……その全ての頂点が、この静寂の森に座していらっしゃるのだ」
テセウスは、自らの矮小さを教えてくれた日の本のすべての歴史と神理に感謝を捧げるように、皇居の森に向かって、最も深く、最も敬虔な一礼を捧げました。
これで、アリアドネの手紙に導かれた、己の矮小さを知る旅はついに終わりを迎えた――。
そう確信し、彼は東京駅へと戻ろうと、静かに踵を返しました。
その、刹那でした。
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カブトムシの成長にドヤ顔の保護者面を決めるアリアドネちゃんに見送られ、スサノオ様がお迎えの車を走らせます。
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