第60話
本作は情景や心理描写を丁寧に描いているため、長めの文章構成になっています。
お忙しい方は、会話文「 」、キャラクター名、心の声( )を中心に追っていただくだけでも、テンポよくストーリーをお楽しみいただけます。
大興奮のアリアドネの様子を見て、リビングの三柱の神々は優しく微笑みながら、彼女をなだめるように言葉をかけました。
「アリアドネちゃん、お箸をそんなふうに振り回したら危ないって。あいつが何を食おうが、君がここで特製手羽先や、地元カレー名店の極上カレーをみんなと楽しく食べたっていう事実の価値は、何一つ変わらないんだぜ? ほら、少し落ち着きな」
素戔嗚尊様が、男らしくもどこまでも優しい声で彼女をそっといさめます。
「そうじゃぞ、アリアドネちゃんや。あやつはあやつで、己の小ささを知るために泥臭く旅をしておるのじゃ。
そんなに悔しがらなくとも、この七里ヶ浜の隠れ家には、まだまだあやつの知らぬ現世の至高の美味がいくらでもあるではないか」
イザナミ様もアリアドネの髪を優しく撫でてあやします。
「うむ。 妾たちのいるこの場所こそが、常に日の本の美味の中心じゃからな! 遠くでウナ茶をすすって泣いているカブトムシなど、大きく構えて放っておくが良いわ」
天照大御神様も笑いながらお茶を差し出し、アリアドネは「くすん……そう、そうですわね……っ。お姉様方の仰る通りですわ……っ」と、ようやく少しだけ箸を引いて、飴をもらった子供のようにふにゃりと頬を緩めました。
しかし、瞳の奥の対抗心の炎は、まだ静かにパチパチと火花を散らしています。
浜松での夜、次なる寝床を探していたテセウスの鋭い野生の勘が、夜の街に光る不思議な看板を捉えました。
そこには「ドリンク飲み放題」「ソフトクリーム食べ放題」という、現代日本の魅惑的な文字が躍っています。
「むっ! ソフトクリームとな……? そして、漫喫とはなんであろうか」
常に計画を立てず、その日の直感で行き当たりばったりの宿を決めるテセウス。
彼はその甘美な「食べ放題」の響きに強く惹かれ、吸い込まれるようにしてネットカフェの自動ドアをくぐりました。
フロントで大きなリュックサックを背負ったテセウスを見た店員さんは、親切にも荷物が余裕で置けるフラットタイプの大きめの個室を用意してくれました。
案内されたその空間は、昨夜のホテルの機能美とはまた全く異なる、漆黒の壁に囲まれた自分だけの至高のプライベート空間でした。
「すまぬ、店員よ。このソフトクリームとは何なのだ?」
使い方の説明を受けながら、サーバーからコーンに巻いた白い冷たい山を、テセウスは恐る恐るひと口含んでみました。
「……っ!? なんという冷たさ、そしてとろけるような乳の甘み……! これは、神々の飲み物ネクタルを凍らせたものか……!?」
彫刻のような美男子の顔から、一瞬でとろけるような至福の笑みがこぼれ落ちます。
テセウスはあろうことか、ドリンクバー用の大きめの紙コップに、なみなみとソフトクリームを巻き上げると、それをなんと5杯分も自分の個室へと大事そうに持ち帰りました。
個室の大きな液晶画面に触れると、そこには膨大な「漫画・アニメ見放題」の世界が広がっていました。
どうやらテセウスという男は、日の本の誇る「◯◯し放題」という、底知れぬ物量の誘惑に滅法弱い性質のようです。
彼がアイスをスプーンで貪りながら、画面で偶然再生したのは、明治の世を舞台にした、圧倒的な剣撃のアニメーションでした。
「なっ……なんなのだ、この剣客の凄まじい剣技は……! この日の本には、アテナイの戦士をも一瞬で両断するような、これほどの達人がかつて実在したというのか……っ!」
テセウスは、自分と同じ「剣を振るう漢」として、その緻密で熱い物語と技の描写に完全に目を奪われました。
アリアドネが動画サイトの沼にドップリ浸かっているのと同じように、テセウスもまた、日の本が誇る「ヲタク道」という深い深いカオスの沼へと、自ら勢いよく飛び込んでしまったのです。
そして、七里ヶ浜の邸宅では――。
天照大神様の細工を通じ、テセウスが暗い個室で正座し、口の周りを真っ白にしながら『幕末剣客物語』の画面に向かって
「九閃の同時斬撃……恐るべき絶技なり……っ!」
と大粒の涙を流して画面に平伏している、最高にシュールなオタク的思念がリアルタイムで届いてしまいました。
当然、これを受信したアリアドネの、最高に面白おかしい理不尽な悶絶が、深夜の七里ヶ浜で再び大爆発します!
「キィィィーーーッ!!! な、なんですのその素敵な剣客はーーーっ!?
わたくしが一生懸命『お顔だけの子たち』とお勉強をしていますのに、テセウス様のくせに、わたくしの知らない格好いいサムライのアニメを、ソフトクリームを5杯もコップに山盛りにしながら深夜までかじり付いていますわーーーっ!!」
アリアドネはリビングの絨毯の上で激しくゴロゴロとのたうち回っています。
「悔しいですわ! 悔しすぎますわ!
◯◯し放題なんて、そんな楽園のような場所が浜松にあったなんて聞いていませんわーーーっ!!
テセウス様のくせに、日の本のディープなオタク文化の最先端に一人で突き進んでいくなんて、
カブトムシのくせに生意気ですわ、許せませんわーーーっ!!」
地団駄を踏みながら悔しがるアリアドネ。
そんな彼女の横で、素戔嗚尊様が「幕末剣客物語か! あいつ、なかなか良いセンスのアニメを選びやがったな」と感心してます。
天照大神様やイザナミお姉様も「ふむ、お顔だけの子の次はサムライかえ、日の本の文化はまこと飽きぬのう」とお茶をすすって微笑ましく見守っていらっしゃいます。
満喫の個室でソフトクリームの甘みと『幕末剣客物語』の剣撃に魂を震わせ、すっかりヲタク道の洗練を始めようとしている超絶美形旅人テセウス。
そして、負けじとパソコンの前で「わたくしもそのサムライの技をいんたーねっとで調べますわ!」とパニックになりながら面白悶絶するアリアドネでした。
いつもご愛読いただき有難う御座います。
「〇〇し放題」の甘美な響きに釣られて漫喫へ吸い込まれ、山盛りソフトクリーム片手に明治の剣客アニメへ平伏・号泣するテセウス。未知の楽園とオタク文化の先を越されたアリアドネちゃんは、深夜の絨毯で理不尽に大暴れしております。
「ソフトクリーム5杯は著者体験?」、「カブトムシのオタク道開眼にブチギレるアリアドネが良き」と思った方は【評価(★)、ブックマーク登録】をお願いします。




