第6話
本作は情景や心理描写を丁寧に描いているため、長めの文章構成になっています。
お忙しい方は、会話文「 」、キャラクター名、心の声( )を中心に追っていただくだけでも、テンポよくストーリーをお楽しみいただけます。
「なっ……なんじゃ!? あの悍ましき鉄の鳥は……っ! あのような巨大な怪物が、この現世の空を支配しておるというのかえ!?」
イザナミ様は、かつて黄泉の国で目にしたどの化け物よりも未知なるその姿に、美しい目を見開いて戦慄しています。
そしてアリアドネは、故郷のミノタウロスを遥かに凌駕するその巨躯と轟音の前に、完全に腰が抜けそうになっていました。
ナクソス島で裏切られ、ようやく救われたと思ったのも束の間、さらなる絶望の淵に立たされたのだと頭が真っ白になります。
「わ、私は……私はあの巨大な鉄の鳥の、生贄として捧げられるのでしょうか……っ!?」
彼女はガタガタと全身を激しく震わせ、涙目で自分の身体を抱きしめました。
神々の住まう国とはいえ、現代の人間たちが作り出した文明の利器「飛行機」は、古代ギリシャの世界からやってきた彼女にとって、この上ない恐怖の対象として映ってしまったのでした。
激しく怯えるイザナミ様とアリアドネの前に、素戔嗚尊様が再びすっと歩み出しました。
その表情には、二人の恐怖をすべて包み込むような、底知れない包容力と優しい微笑みが浮かんでいます。
「そうか、すまねえ。驚かせちまったな。……イザナミお姉様、アリアドネちゃん。あの鳥はこの日の本の手下です。とても不器用な鳥で、喜びの表現があの轟音なのです」
素戔嗚尊様は、滑走路で静かに佇む飛行機を愛おしそうに見つめながら、言葉を続けます。
「貴女達をお乗せして飛べるという光栄を、あのような咆哮でしか表せないのですよ。まぁ、この素戔もあまり人のことは言えませぬが、な。わっはっは!」
豪快に笑い飛ばすその声は、アリアドネたちの心の芯にあった恐怖を綺麗に吹き飛ばしていくようでした。
「ともあれ、貴女方はこの鳥を御する立場の御方達です。なに、何かございましたらこの素戔が、御二人を必ずやお守りします。さあどうぞ、快適な空の旅をお楽しみ下さい」
これ以上ないほど洗練された紳士的な所作で、素戔嗚尊様は二人にそっと手を差し伸べました。
その頼もしさは、アリアドネが知るいかなるギリシャの英雄をも遥かに凌駕する、真の「強者」の優しさでした。
しかし、その完璧すぎる紳士ぶりを真横でじっと見ていた天照大御神様は、みるみるうちに眉を吊り上げていきました。
「なっ、なんじゃ貴様?! 素戔のくせに、生意気じゃーーーっ!」
天照大御神様は、まるで我が物顔で良いところをすべて持っていった弟が許せないとばかりに、その美しい足を鋭く突き出しました。
バシィィィン! と、再び容赦のない、主神の神威がこもった蹴りが素戔嗚尊様に炸裂します。
「いってぇぇぇっ! おい、姉貴! お前、人がせっかくエスコートしてやってるのに、邪魔すんじゃねえよ!」
「うるさい! あんたが紳士ぶるなんて、百年、いや万年早いのじゃ! ほら、さっさと案内せぬか!」
つい先ほどまで世界を包み込むような威厳を放っていた神々が、まるで人間の姉弟のように本気でじゃれ合い、小競り合いを演じている……。
そのあまりにも微笑ましく、賑やかな光景に、イザナミ様とアリアドネは呆気に取られながらも、先ほどの飛行機への恐怖をすっかり忘れ、思わず顔を見合わせて小さくクスリと笑ってしまうのでした。
素戔嗚尊様にエスコートされ、恐る恐る足を踏み入れた「ふぁーすとくらす」と呼ばれる機内は、まるで地上の豪華な宮殿の一室をそのまま切り取ったかのような、信じられないほど贅沢な空間でした。
ふかふかの椅子に腰掛け、その心地よさにアリアドネとイザナミ様がほんの少しだけ酔いしれ、息を吐いた、まさにその束の間のことでした。
『ポーン……』
静かな機内に、どこか不穏な電子音が響き渡ります。
次の瞬間、先ほど外で聞いたものを遥かに凌駕する、地鳴りのような凄まじい轟音が機体全体を激しく震わせました。
ゴオォォォォォォッ!!!
「な、なんじゃあぁぁぁっ!?」
イザナミ様が叫ぶ暇もなく、巨大な鉄の鳥は猛烈な勢いで滑走路を走り始めました。
背中が椅子に強く押し付けられるほどの、未だかつて経験したことのない凄まじい速度と衝撃が三人を襲います。
「いやぁぁぁぁぁっ!!!」
アリアドネは、恐怖のあまり隣に座っていた天照大御神様の衣服に、全力でしがみつきました。ただひたすらに目を固く瞑り、声を枯らして絶叫をあげます。
そして、イザナミ様もまた、日の本の大母神としての威厳を完全にかなぐり捨てていました。
「素戔ーーーっ! 助けよーーーっ!!!」
イザナミ様は、隣の席でどっしりと構えていた素戔嗚尊様の太い腕に、まるで命綱にでもすがるかのように全力でしがみつき、同じく大音量で絶叫を響かせていました。
鉄の鳥がさらに加速し、ついに現世の大地を離れて大空へと飛び立つその瞬間まで、ファーストクラスの贅沢な空間には、千年の時を超えて現世に舞い降りた二人の、引き裂くような悲鳴が響き渡り続けていたのでした。
猛烈な上昇がやがて収まり、飛行機の揺れがピタリと止まって、心地よい安定した飛行へと移っていきました。
「ふふっ! ほらっ、アリアドネちゃん。お外を見てごらん!」
髪や衣服をアリアドネにすがりつかれ、くしゃくしゃにされながらも、天照大御神様は気にすることなく、どこまでも優しく、楽しそうな声で語りかけました。
「お姉様。もう大丈夫ですよ。今日は雲海が見事に広がってますよ」
素戔嗚尊様もまた、自分の太い腕に全体重をかけてしがみついていたイザナミ様を安心させるように、窓の外を指差しながら穏やかに微笑んでいます。
神々からの温かい言葉に促され、アリアドネとイザナミ様は、恐る恐る、本当に少しずつ瞼を開けました。まだ涙の滲む瞳で、厚いガラスの窓の向こうへと視線を向けます。
「あ……っ……」
二人の口から、同時に小さな、しかし心からの感嘆の声が漏れ出しました。
そこには、これまでの人生で一度として見たことのない、息を呑むような光景が広がっていました。
自分たちが乗る鉄の鳥は、いつの間にか遙か上空、雲よりも高い世界を飛んでいたのです。
遥か眼下に広がるのは、太陽の強烈な光を浴びて、まるで眩い絹の絨毯のようにどこまでも波打つ、純白の雲の海。
それは、生と死を隔てる境界の暗闇とも、地上の泥臭い世界とも完全に切り離された、まさに神々の領域にふさわしい「白銀の世界」でした。
いつもご愛読いただき有難う御座います。
期待通りの女神による大パニックの絶叫ファースラスになりました。私生贄?!のアリアドネちゃんは書いてて可愛いかったです。
「スマートに決めても姉に蹴られてて草」、「大絶叫の2人は尊死」と思った方は【評価(★)、ブックマーク登録】をお願いします。




