第50話
本作は情景や心理描写を丁寧に描いているため、長めの文章構成になっています。
お忙しい方は、会話文「 」、キャラクター名、心の声( )を中心に追っていただくだけでも、テンポよくストーリーをお楽しみいただけます。
「すまぬが、この辺りで美味い飯屋はないだろうか?」
彼が穏やかで響き渡る低い声で尋ねると、受付の女性店員は、目の前に現れたギリシャ彫刻のような超絶美形ぶりに、頭が真っ白になってしばらく「ぽーっ……」と完全にフリーズしてしまいました。
「ハッ……! あ、あっ、はい! こちらのグルメガイドマップをご利用下さい!」
女性店員は慌てて正気を取り戻すと、顔を真っ赤に染めながら、近隣の絶品B級グルメが載った手作りの地図をテセウスへと手渡しました。
「有難う」
テセウスが爽やかに微笑みホテルを出ていくのを、店員さんは胸に手を当てて見送ります。
「さっきの人……あの巨大なリュックを背負ってた髭もじゃの浮浪者風の人よね……!?
なんて、なんて凛々しくて素敵なのかしら……っ!」
フロントの奥で、その格好良さに激しく身悶えする女性店員さんでした。
その頃、京都の旧藩邸では――。
天照大神様の細工を通じ、テセウスの劇的なビジュアルビフォーアフターと、ホテルの女性を骨抜きにしたスマートな一幕がリアルタイムで受信されていました。
それを目撃したアリアドネは、瞳をこれ以上ないほど引っくり返して驚愕しました。
「なっ……なっ……、あっ、あれがテセウス様なんですかーーー?!!」
アリアドネはパソコンの前で頭をごしごしとかきむしり、椅子の上でジタバタと跳ね回ります。
「クレタ島やナクソス島、それに先日の鴨川や天照大神様にコテンパンにやられたテセウス様が、
あんなにスマートに……美しくなって……っ!
テセウス様のくせに生意気ですわーーーっ!!!」
かつて、天照大神様が素戔嗚尊様の非の打ち所がない完璧なエスコートぶりに嫉妬し、容赦なくコブラツイストを浴びせて弄り倒していた時と全く同じ理不尽な怒りと悔しさを炸裂させ、アリアドネの声にならない絶叫が京都の藩邸にこだましています。
一方テセウスは女性店員から手渡された地図を手に、ついに滋賀の本格的な夜のB級グルメへと歩みを進めてます。
フロントの女性店員さんから貰った地図を片手に、テセウスは近場にある「肉料理店」へと向かいました。
お店の暖簾をくぐり席につくと、お勧めの「焼肉重(特盛)」を注文。
そして、店員さんが教えてくれた至高の麦酒の味を思い出し、今度は「大ジョッキ」で注文します。
運ばれてきた、並々と黄金色の液体が注がれた大ジョッキ。
テセウスは「待ってました!」と言わんばかりの満面の笑顔を向け、豪快に口をつけました。
ゴッ、ゴッ、ゴッ……。
「ぶはぁーーっ!! やはり……美味い!!」
一年の山籠りで渇いていた五臓六腑に、現世の洗練された極上の喉越しが染み渡ります。
そして絶妙な時間差を置いて、本命の「焼肉重・特盛」がテセウスの前に静かに運ばれてきました。
「ふふっ、ガイドブックには『おうみぎゅう』なる至高の肉があると書いてあった。では、頂こうか」
なんとテセウスは、その天性の鋭い勘によって、いきなり日の本の至宝の一つである「近江牛」の贅沢な重箱へとたどり着いてしまっていたのです。
不器用ながらも必命に箸を操り、秘伝のタレを纏って炭火で香ばしく焼かれた近江牛の一片を、ほかほかのお米とともに口へと運びます。
「なっ……なっ……なんなのだーーー?!!! この肉の柔らかさとジューシーさは!
今まで私が食べてきた肉は一体何だったのだ!?
この肉に比べれば、我が宮廷で食してきた最高級の肉など、ただの『サンダル』ではないか!!」
口に入れた瞬間に上質な脂が上品にとろけ、爆発的な肉の旨味が広がる衝撃。
テセウスはその尋常ならざる美味さに一瞬で重箱を空にすると、なんと「おかわり!」を連発し、ICカードの財力に任せて何杯もおかわりを貪り食いました。
「はー……なんという至宝よ。先ほどの親子丼、そば、うどんにも感動したが……
この日の本では、日常にこのような至福が溢れているのか。
これは一度ホテルに戻り、しっかりと考えねばならぬ。
これこそが日の本の神々、そしてアリアドネ様が示してくださった、己の矮小さを知る道なのだな!」
テセウスは感動の涙を拭い、新たな決意をガッチリと固めてホテルへの帰路につきました。
そして、京都の旧藩邸では――。
テセウスが「我が食してきた肉はサンダル!」と大号泣しながら近江牛の特盛重をバクバクとおかわりし、そのあまりの美味さに魂を浄化させている思念が、余すことなくリビングへ届いていました。
案の定、アリアドネの最高に面白い予定調和の悶絶が、大爆発を起こします。
「キィィィーーーッ!!! サンダルって何ですの、サンダルってーーーっ!?
あんなに偉そうにアテナイの王面をして、クレタ島の宮廷料理を食べておきながら…
日の本の『おうみぎゅう』の前にはサンダル扱いですのーーーっ!?」
アリアドネはリビングのソファの上で芋虫のようにゴロゴロとのたうち回っています。
「それに……! わたくし、牛丼には涙を流して感動しましたけれど…
『おうみぎゅうの焼肉重』なんて、まだ一口も食べたことがありませんわーーーっ!!
悔しいですわ、悔しすぎますわーーーっ!!」
テセウスが自分より先に「サンダル肉のパラダイムシフト」を体験し、しかも大人の男の風格でホテルへ戻っていく姿への嫉妬。
「わ、わたくしも、明日から絶対に焼肉重を食べますわ!
お箸だって、ほらっ! こうやって、こう……あれっ?
はさまらない、お肉が逃げてしまいますわーーーっ!!」
ソファの上のクッションを近江牛に見立てて箸で掴もうとするものの、焦るあまり箸がカチカチと虚しく空を切り、クッションがポーンと天照大神様の顔面に直撃。
「おっ!? アリアドネちゃん、妾の顔に肉をぶつけよったな?!
むふふ、妾と枕投げがしたいのかえ?! それともプロレス(ごっこ)がしたいのかえ?!」
と天照大神様が笑いながらコブラツイストの構えに入り、リビングはいつものかしましい大騒ぎに包まれていきました。
近江牛の美味さに打たれて求道者のような顔で宿に戻るテセウスと、その思念を受信して箸を持ったままクッション相手に嫉妬の悶絶を繰り広げるアリアドネでした。
いつもご愛読いただき有難う御座います。
絶品の近江牛に「宮廷の肉はサンダル」と号泣するテセウスと、アマテラス様とプロレスごっこを始めるアリアドネ。
「テセウスの『宮廷の肉=サンダル発言』に悔しがるアリアドネは、ただ自分が近江牛が食べたいだけ」と思った方は【評価(★)、ブックマーク登録】をお願いします。




