第42話
本作は情景や心理描写を丁寧に描いているため、長めの文章構成になっています。
お忙しい方は、会話文「 」、キャラクター名、心の声( )を中心に追っていただくだけでも、テンポよくストーリーをお楽しみいただけます。
服が泥に汚れ、頬が赤く腫れ上がります。
「少し美しくなったくらいで生意気なことをいいおって…… 少々教育が必要なようだな。さあこい!」
テセウスは冷酷に言い放つと、アリアドネの美しいプラチナブロンドの髪を容赦なく鷲掴みにし、引きずるようにして乱暴に連れ去ろうとします。
「痛い……っ、いや……!」
あまりの痛みと恐怖、そして何よりも、日の本の神々の優しさに甘えて敵を侮ってしまった己の愚かさへの後悔で、瞳から大粒の涙が溢れ出します。
しかし、どれほど悔いてもテセウスの力に抗うことはできません。
「先ほどの赤い花はどちらだったか?!」
テセウスはアリアドネの美しいプラチナブロンドの髪を乱暴に掴み、引きずりながら、不敵な笑みを浮かべて元の黄泉の入り口である彼岸花の咲く場所を探していました。
獲物を手に入れ、アテナイへと連れ去ることしか彼の頭にはありません。
アリアドネの髪を容赦なく掴んだまま、夜の鴨川を引きずり回します。
目指すのは、先ほど見つけた元の黄泉の入り口――不気味に赤く燃え盛る、彼岸花の群生地だ。
「痛い……離して……っ!」
砂利に擦れる痛みに耐えながら、アリアドネは必死に抵抗するも、古代の英雄の怪力にはびくともしません。
やがて、むせるような花の香りが漂う赤の群生地へと辿り着くと、テセウスは彼女の身体を容赦なくそこへ投げ捨てました。
「がはっ……!」
容赦のない衝撃。
茎が折れ、飛び散る赤い花弁の中に、アリアドネは激しく叩きつけられました。
見下ろすテセウスの瞳には、一切の慈悲もありません。
「おい、いつまで這いつくばっている。見苦しいぞ?!」
テセウスは泥と花弁に汚れたアリアドネを冷酷に見下ろし、顎で指し示しました。
「ここからは自分の足で歩け。アテナイの妃となる者が、いつまでも泥にまみれているのではない!!」
髪は乱れ、服は汚れ、頬は赤く腫れ上がっています。
日の本の優しい神々に庇護されていた彼女にとって、これ以上ない屈辱と絶望の状況でした。
しかし、アリアドネの心は死んでいませんでした。
恐怖の奥底から湧き上がってきたのは、自分を愛してくれた存在への絶対的な誇りです。
「……っ」
アリアドネは震える手で地面を押し、泥を拭うこともせず、ゆっくりと立ち上がりました。
そして、真っ直ぐにテセウスを睨みつめます。
その瞳には、先ほどまでの怯えは微塵もありませんでした。
ただ、燃え盛るような強い意志だけが宿っています。
「……誰が、誰があなたなんかについて行くもんですか!」
「何だと?」
テセウスが不快そうに眉をひそめます。
しかし、アリアドネは一歩も引きません。
黄泉の入口に、彼女の凛とした拒絶の声が響き渡ります。
「私は……誇り高きイザナミ様、天照大神様、そして闘神・素戔嗚尊様の妹分よ!
どんなに痛めつけられたって、貴方になど絶対に屈しないわ!」
それは、かつて自分を置き去りにした裏切り者への、そして自らの運命への宣戦布告でした。
その抵抗に、テセウスは一瞬だけ目を開きましたが、その抵抗がさらに彼の残忍性に火をつけます。
「くっくっく…何を言うかと思えば…、日の本の神の名などを… 面白い!呼んでみるがいい!!」
テセウスはアリアドネの抵抗など意に介さず、彼女を何度も殴打しました。
「さあ! 助けを呼べ!呼んでみろ!!」
容赦のない拳が、何度も彼女の身体を打ち据えます。
乾いた音が夜の静寂を切り裂き、そのたびに赤い彼岸花が千切れ、飛び散ります。
「うっ……あ、くっ……!」
かろうじて意識は保っていたが、もう歩く力は残っていません。
視界は歪み、殴られた衝撃で口内からは鉄の味がします。
日の本の神々に愛され、守られてきた彼女にとって、これほどの暴虐は経験したことのない地獄そのものでした。
「ちっ! 面倒な。まぁ良い」
冷酷に吐き捨てたテセウスは、ぐったりと横たわるアリアドネの髪を再び乱暴に掴みました。
そして、物言わぬ荷物でも運ぶかのように、ずるずると引きずりながら冥界への扉へ向かって歩き出します。
砂利が、泥が、擦り切れた彼女の肌を容赦なく傷つけます。
アリアドネは襲いかかる激痛に必死で耐えていましたが、肉体の痛み以上に底知れぬ絶望が彼女の心へと襲いかかりました。
(このまま、連れ去られる……)
戻れば待っているのは、光の届かないアテナイの冷たい石楼。
そこで一生閉じ込められ、テセウスの慰み者にされ、その尊厳を徹底的に蹂躙される未来。
日の本の優しい神々のもとへは、二度と帰れない。
お姉様たちの笑顔も、あの逞しく温かい素戔嗚尊様の姿も、二度と見ることは叶わない。
「いや……嫌……っ、誰か…誰か…たすけ……」
涙と泥にまみれた顔で、アリアドネは声にならない悲鳴を漏らします。
絶望が全身の血を凍らせ、とうとう黄泉と冥界の境目にたどり着いてしまいました。
ここを通れば二度と日の本には戻れない。
そんな予感が彼女の瞳から光を奪おうとしました。
まさにその瞬間です。
ピキッ、と背後で、夜の空気が完全に凝固するような異様な音が響きました。
テセウスの足を止めさせたのは、自身の本能が告げた絶対的な危機感。
月光が、完全に消失、いや、消えたのではありません。
テセウスの背後から迫る、圧倒的な、漆黒の巨大な影。
それが月光を遮り、テセウスの全身を、そして彼らが向かおうとしていた冥界の扉さえも、完全に覆い尽くしました。
その影から放たれるのは、冥界の帷を極寒へと変えるほどの、凄まじい怒りと神気。
それはテセウスが「呼んでみろ」と嘲笑った、日の本の真なる神の顕現でした。
ガッ!!!
息を呑む間もなく、テセウスの屈強な首が、分厚い手によって乱暴に締め上げられました。
衣服を掴まれるどころではありません。
そのまま人間のものとは思えない桁外れの腕力によって、テセウスの身体が地面から容易く宙へと吊るし上げられます。
「うがぁっ……!?」
不意に強烈な力で締め上げられ、テセウスの喉から悲鳴が漏れました。
アテナイの王として数々の修羅場をくぐり、ミノタウロスを屠った自負のある彼の肉体が、まるで赤子のように無力化されています。
首を締め上げるその手は万力のようにびくともせず、凄まじい恐怖に襲われたテセウスは、たまらずアリアドネの髪から手を離してしまいました。
「あっ……ああっ……すっ、素戔嗚尊様……っ」
解放されたアリアドネは、激しい痛みと恐怖、そして安堵からその場に崩れ落ちそうになります。
しかし、その華奢な身体を横から差し出された温かい腕が、彼女をそっと優しく支えました。
いつもご愛読いただき有難う御座います。
絶体絶命のアリアドネ。やはり来てくれた闘神・スサノオ様。
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