第3話
本作は情景や心理描写を丁寧に描いているため、長めの文章構成になっています。
お忙しい方は、会話文「 」、キャラクター名、心の声( )を中心に追っていただくだけでも、テンポよくストーリーをお楽しみいただけます。
ひとしきり抱擁を交わした後、イザナミ様は腕の中の妹を優しく引き離し、傍らで光の眩しさに目を細めているアリアドネを指差しました。
「さて、天照や、この娘がくだんの神子じゃ。そなた、この子の面倒を見てやってくれぬかのう」
天照大御神様は、アリアドネの青い瞳と、その身に宿る異国の冥妃の微かな神気を見つめました。
そして、お姉様からの直々の頼みを受け、満面の笑みを浮かべます。
「もちろんですわ! お姉様! お姉様がこれほど気にかけられるお方ですもの、高天原で大切にお預かりいたします。……さあ、一緒に参りましょう!」
天照大御神様はアリアドネの手を優しく、しかし力強く包み込みました。
こうして、日の本の大母神イザナミ様に見送られながら、至高の光をまとう天照大御神様、そして異国から導かれた王女アリアドネの二人は、来た時とは異なる希望の光に照らされながら、生者と死者の境界である黄泉比良坂をゆっくりと登り始めたのでした。
暗く長い坂道を登り詰め、ついに現世との境界である黄泉比良坂の終点へと辿り着きました。ここから先は、生者の世界、そして光満ちる高天原へと続く道です。
しかし、その境界を前にして、イザナミ様はふっと足を止め、寂しそうな、どこか諦念を帯びた眼差しで二人を見つめました。
「さて、妾はここまでじゃ。頼んだぞよ、天照や……」
黄泉の主として、死の理に縛られた我が身は二度と日の光の下へは戻れない。そう言って、妹と異国の姫を静かに見送ろうとするイザナミ様。
しかし、天照大御神様はその言葉を毅然として拒みました。立ち止まったイザナミ様の身体を、今度は引き止めるように改めて強く、強く抱きしめます。
「お姉様! そんな寂しいことを仰らないで下さいませ。このアリアドネが黄泉に落ちてきたのは、何かの兆しです。……さあ、一緒に参りましょう!」
天照大御神様の腕に力がこもります。
「お姉様が黄泉を出られないなどという理など、私は存じませぬ! そもそも、世の理がこの妾に従わねばなりませぬ!」
日の本を統べる最高神としての、絶対的な意志の宣言でした。
そう叫ぶと同時に、天照大御神様の全身から、これまでとは比較にならないほどの苛烈で、至高の神聖なる光が文字通り爆発するように放たれました。
その光は、黄泉比良坂を包んでいた深い闇を、一瞬にして白日の下に晒します。
生と死を分かつ頑なな黄泉の理そのものが、その圧倒的な光の前に跡形もなくかき消されていきました。
そして光は、イザナミ様の身体を優しく包み込みます。
長きにわたり大母神を縛り付け、その身を蝕んでいた黒き黄泉の呪い。
死者の国の主としての悍ましき汚れが、天照大御神様の光によって、まるで朝露が太陽に干上がるかのように、見る見るうちに洗われ、かき消されてしまったのです。
光が収まった時、そこにいたのは、かつて国を生み、神々を生み落とした頃の、本来の美しく神々しい姿を取り戻した伊邪那美命の姿でした。
「ああっ……この姿になれたのは、何千年ぶりであろう……天照よ……有難う」
黒き呪いから解き放たれ、本来の神々しく美しい姿を取り戻したイザナミ様は、その目から大粒の涙を溢れさせました。
かつての確執や孤独の痛みを洗い流すかのように流れる涙。二柱の女神は再び強く抱き合い、時を超えた再会の喜びを心から分かち合っていました。
しかし、その至高の光と歓喜の空間を切り裂くように、厳格で怒りに満ちた声が響き渡ります。
「天照よ! なんと言うことをしてくれたのだ!」
姿を現したのは、日の本の父神、伊邪那岐尊様でした。かつて黄泉の穢れを恐れ、千引きの岩で境界を閉ざした張本人である彼は、激しい動揺を隠せぬまま声を荒らげます。
「これでは黄泉の穢れが現世に降りかかってしまうではないか!」
しかし、詰め寄る父神を前にしても、天照大御神様はどこ吹く風、いささかの動揺も見せません。
それどころか、すべてを見透かすような冷徹で美しい微笑みを浮かべ、毅然と言い放ちました。
「父上、どこに穢れなど御座いましょうや? 貴方が恐れる穢れなぞ、妾が焼き尽くしましたぞ!
お忘れですか、父上。
妾こそがこの日の本の主神であることを。
そして、妾の日輪の力は……貴方が一番よくご存じのはずです!」
その言葉と共に放たれた天照大御神様の威厳は、天をも圧するほどのものでした。
かつて自らが生み出した娘が、今や日の本を統べる絶対的な主神へと至っているその事実と、圧倒的な神威を前に、イザナギ様はもはや言葉を失い、ぐうの音も出ずに口をつぐむしかありませんでした
。
天照大御神様はフッと視線を和らげると、愛する姉と異国の王女へと向き直ります。
「さて、イザナミお姉様、アリアドネちゃんや。どうやら高天原は妾達を歓迎していないようじゃ。……この際、現世を楽しむことにしましょう」
そう言うと、天照大御神様は呆然と立ち尽くすイザナギ様の前を、颯爽と通り過ぎて歩き出しました。
その背中に続くように、穢れを完全に祓われた瑞々しい姿のイザナミ様、そして事の顛末を息を呑んで見守っていたアリアドネが並んで歩みを進めます。
すれ違いざま、イザナミ様は、かつて自分を拒絶し逃げ出した元夫であるイザナギ様を、凍りつくような冷たい目で一瞥しました。
そこには未練も怒りもなく、ただ過去を完全に決別した者の、静かな蔑みだけがありました。
こうして三人は、父神の制止を完全に置き去りにしたまま、光あふれる瑞々しい現世の大地へと足を踏み出していったのです。
黄泉比良坂を抜けた天照大御神様の一行が降り立ったのは、神々の息吹が色濃く残る、青々と茂った奥出雲の地でした。
どこまでも広がる澄んだ青空と、心地よく吹き抜ける現世の風。
アリアドネはその瑞々しい空気を胸いっぱいに吸い込み、自分が本当に生者の世界へ戻ってきたのだと実感します。
三人はそのまま、壮麗な社殿がそびえ立つ出雲大社へと赴き、足音も軽やかに本殿の中へと入っていきました。
いつもご愛読いただき有難う御座います。
天照大御神様の圧倒的な日輪の力によってイザナミお姉様の呪いが完全に祓われました。
「アマテラス様、理が我に従え、は言ってみたかっただけでは?」、「本来の美しさを取り戻したイザナミお姉様は見てみたい」と思った方は【評価(★)、ブックマーク登録】をお願いします。




