第29話
本作は情景や心理描写を丁寧に描いているため、長めの文章構成になっています。
お忙しい方は、会話文「 」、キャラクター名、心の声( )を中心に追っていただくだけでも、テンポよくストーリーをお楽しみいただけます。
最高の漁師めしを堪能した一行は、再び車に乗り込み、伊豆半島を北上して新富士へと向かいました。
後部座席では、天照大神様、イザナミ様、そしてアリアドネの三人が、ここまでの旅で出会った「幸せな裏切り」の数々――。
想像を遥かに超えてくるB級グルメの美味さについて、きゃっきゃと楽しそうに、かしましくも可愛らしい会話を弾ませています。
やがて車が新富士へと差し掛かると、フロントガラスの先、そして車窓いっぱいに、遮るもののない圧倒的な山が姿が現れました。
日の本の象徴、雄大な富士山です。
「わあ……! なんて、なんて美しいのでしょう……!」
アリアドネが瞳を限界まで丸くし、窓ガラスにピタッと顔を寄せるようにして、その大迫力の威容に見入っています。
「江の島から遠くに見えていた富士山も素敵でしたけれど……こんなに近くで見ると、まるで世界を支える天空の柱のようですわ! ギリシャのオリンポス山にも負けない、神聖な気高さを感じます……!」
感動の声を上げる妹分の姿に、お姉様方も嬉しそうに目を細めます。
「そうであろう。日の本の美の極みじゃからな。近くで見ると、なお一層まばゆいであろう?」
天照大神様が我がことのように胸を張り、無邪気に笑います。
「ほんに……黄泉の闇から戻り、この澄んだ空気の中で富士を仰ぎ見ることができるとはのう。素戔、良いルートを選んでくれたな」
イザナミ様も、襟元にそっと手を当てながら、感慨深げに白雪を頂く山頂を見つめていらっしゃいます。
「へへっ、お姉様方に喜んでもらえて何よりです。江の島からの景色もいいですが、ここから見る富士はまた格別ですからね」
素戔嗚尊様がどこか誇らしげに笑いました。
新富士の圧倒的な景色を前に、四人の心は次なるB級グルメに胸を膨らませていきます。
さて、素戔よ。次はいよいよ浜松の鰻じゃな?!」
天照大神様が身を乗り出し、お転婆な声を弾ませて素戔嗚尊様に問いかけます。
「うなぎ……?」
その言葉を聞いて、イザナミ様は少し怪訝そうな顔をされました。
「うなぎかえ……鰻といえばぶつ切りにして煮込むだけの大して美味くもない料理だと思うが……」
アリアドネも、その言葉に深く頷いています。彼女のいた古代ギリシャでも鰻自体は知られているものの、あまり良い印象はないようです。
現代の日ノ本や海外の一部では最高級品として扱われる鰻料理ですが、お二人が生きた神代や古代の環境を考えると、ぶつ切りの煮込みや泥臭いイメージしかなく、期待が持てないのも無理はありません。
そんな二人の様子を見て、天照大神様が最高に悪戯っぽい顔を見せて笑います。
「うふふふふっ! まあまあ。先ずは実物をごろうじろ!じゃ!」
「姉貴の言う通り、日ノ本の職人が魂込めて焼く鰻は別格だぜ。まぁ黙ってついてきな」
素戔嗚尊様が車をさらに西へと走らせました。
そうして一行が到着したのは、新浜松駅近くの名店、ここもすごい行列だ。
「ふむ、これまた物好きなものよ……。あの長い魚にこれほど並ぶとはな」
イザナミ様は、シックな服に身を包み、どこか冷ややかな目でその長蛇の列を眺めていました。
ところが――。
お店の窓からふわりと漏れ出てきた、タレが炭火でパチパチと焼ける、あまりにも芳ばしく、濃厚で甘やかな香りが一行の鼻腔をくすぐった瞬間。
ピタリ。
イザナミ様の動きが、完全に止まりました。
その大きな瞳が、驚きで見開かれます。
「な……なんなのじゃ、この、魂を激しく揺さぶるような芳しき香りは……!?」
イザナミ様が、思わず生唾を飲み込むようなスローな一瞬。
隣にいるアリアドネも、そのあまりにも魅力的な香りに、瞳をキラキラと輝かせ始めました。
「素戔嗚尊様……! これは、本当にわたくしの知っているあの鰻の香りなのでしょうか……!?」
香りの一撃だけで、二人のこれまでの鰻への常識がガラガラと音を立てて崩れ去ろうとしています。
芳ばしい香りにじらされ続け、ようやく四人の順番が回ってきました。
活気と歴史を感じさせる「100年超えの老舗うなぎ屋さん」の店内に案内され、席につくと、素戔嗚尊様がスマートかつ男らしく、完璧な時間差を見据えた注文を通します。
「まずはキンキンに冷えたビールと、白焼きを。それから時間差で、特上鰻重を四人前頼むぜ」
まず運ばれてきたのはグラスに注がれた生ビールと、職人の技で美しく焼き上げられた一皿の白焼き。
タレをつけず、炭火の熱だけで鰻本来の美味さを引き出した純白の芸術品です。
「タレをつけぬ鰻など、まこと美味いのかえ……?」と、イザナミ様がまだ半信半疑のまま、箸でひと口そっと口に運びます。
アリアドネも、素戔嗚尊様の「わさびを少し載せて、醤油をちょんとつけてみて」という紳士的な教えに従い、ドキドキしながら口へ。
サクッ、ふわっ。
「っ……!? なんじゃこれは……!!」
イザナミ様の艶やかな瞳が極限まで見開かれました。泥臭さなど微塵もなく、お口の中で上質な脂が上品にとろけて消えていきます。
「おいしい……! おいしいですわ、素戔嗚尊様!! わたくしの知っている鰻とは完全に別の生き物ですわ!」
アリアドネも瞳をきらきらと輝かせ大感激。ビールを喉に流し込む天照大神様も「ぷはぁ! これぞ至福じゃ!」と大笑いしています。
そんな白焼きの感動で完全に胃袋を掴まれた絶妙なタイミングで、本命の重箱が静かに運ばれてきました。
漆塗りの蓋をゆっくりと開けると、そこには、秘伝のタレを何度も纏って妖艶な深い琥珀色に輝く、大ぶりの鰻がびっしりと敷き詰められた特上鰻重が姿を現します。
立ち上る甘辛く香ばしい湯気、衝撃が三人を襲いました。
お姉様方とアリアドネは、もう待ちきれないとばかりに、ほかほかのタレ染みご飯とともに、ふっくらとした鰻を豪快に口へと運びます。
「……う、美味すぎるのじゃぁぁ!!」
天照大神様がまばゆい光を放ちそうなほどの笑顔で身悶えします。
カリッと香ばしい皮目と、信じられないほどフワフワな身、そして継ぎ足されてきたタレのコクが完璧に調和しています。
「ほんに……この世にこれほどの美味があろうとは。妾が黄泉で過ごした永き時間は、このひと口のためにあったのかもしれぬのう……」
イザナミ様は今や完全に鰻重の虜となり、うっとりと瞳を潤ませながら箸を動かしています。
「わたくし……もうギリシャのお城には絶対に帰れませんわ! ずーーーっとこの日ノ本で、お姉様方と、素戔嗚尊様のエスコートと共に、この鰻重を食べて生きていきたいですわー!」
アリアドネも、最高の幸せに包まれてキュートに自爆(居座り宣言)をしながら、お口いっぱいにご飯を頬張っています。
素戔嗚尊様が「だろ? だから言ったじゃねえか」と男らしく満足げに笑う中、三人は一心不乱に鰻重を平らげ、お重の隅についたお米一粒まで綺麗に完食してしまいました。
いつもご愛読いただき有難う御座います。
新富士で雄大な富士山を仰ぎ見た一行は、浜松で老舗の絶品うなぎにノックアウト。
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