第25話
本作は情景や心理描写を丁寧に描いているため、長めの文章構成になっています。
お忙しい方は、会話文「 」、キャラクター名、心の声( )を中心に追っていただくだけでも、テンポよくストーリーをお楽しみいただけます。
「最近見たばいぶる(少女漫画)では、食パンをくわえて街の曲がり角でぶつかると、殿方は一瞬で恋が芽生えるそうですわ! えーっと、ぱん、ぱん……」
アリアドネは素戔嗚尊様が焼いてくれたパンを見つけて、リビングの大きな柱の陰へと身を潜めました。
「あっ、ありましたわ! 素戔嗚尊様はもうすぐ、洗濯物を抱えてこちらを通りますわ! ぶつかったら、すかさず『ちょっと! どこ見てるのよー?!』と言い放ち、大人のツンデレを演出するのですわ……!」
足音が近づいてきます。
「来ましたわ! えいっ!」
タッタッタ、と勢いよく柱の陰から飛び出し、作戦通り正面から突撃したアリアドネ。ドスッ! と小気味よい衝突音が響きました。
ぶつかるところまでは、確かに完璧に成功したのです。
しかし、相手はミノタウロスを遥かに凌駕する質量と、鋼のような筋肉を持つ日の本の闘神です。
曲がり角の食パン少女という可憐なシチュエーションなど物理法則の前には通用せず、アリアドネは突進した勢いのまま、自分で自分を跳ね飛ばすように後ろへと派手に吹っ飛んでしまいました。
「きゃーーーーっ!?」
くわえていたパンが宙を舞います。
しかし、その身体が床へ叩きつけられる直前、凄まじい速さで、抱えていた洗濯物を放り出した素戔嗚尊様の両腕が、アリアドネをさっと抱きとめました。
「おっと! ……危ねえ、大丈夫かい? アリアドネちゃん」
息を呑むほどスマートに彼女を支え、怪我がないかを確かめる素戔嗚尊様。
そして、驚いて目を丸くしているアリアドネを、安心させるように「よしよし、びっくりしたな」と、またしても大きな手で優しくなでなでしてくれました。
抱きとめられた素戔嗚尊様の胸のぬくもり、そして頭を撫でる手の優しさ。
(あ、あーびっくりした……。素戔様、やっぱりものすごく強くて、優しくて、素敵……。トクン、トクン……)
アリアドネの小さな心臓が高鳴ります。
しかし、次の瞬間に彼女は自分の胸の鼓動の意味にハッと気がつき、頭から湯気が出そうなほど顔を真っ赤に染め上げました。
「って……私が! 私の方がドキドキしてしまってますわーーーーっっっ!!!???」
素戔嗚尊様を骨抜きにするはずが、仕掛けた自分がノックアウトされ、完全に悩殺されてしまっているという信じがたい現実。
「なんでこうなるんですのーーーっ?!! 理不尽すぎますわーーーっ!」
リビングの真ん中で頭を抱え、ぶんぶんと激しく身悶えして悔しがるアリアドネ。
そんな彼女の姿を特等席で見ていたイザナミ様と天照大御神様は、またしてもハートを「きゅーーーん」と撃ち抜かれ、お腹を抱えて笑いながら、かわるがわる彼女をハグして甘やかすのでした。
闘神をドキドキさせるための大人の階段は、アリアドネにとってはまだまだ遥か先にあるようでした。
「はふーっ……やっぱり、わたくしはまだまだお姉様方のようにはいきませんわね……くすん。しばらく悩殺作戦は封印ですわ」
ハグもカクテルもパンも通用せず、ことごとく作戦が失敗に終わったアリアドネは、がっくりと肩を落としました。
瞳に薄っすらと涙を浮かべながら、トボトボと情けない足取りで自分の部屋へと帰っていきました。
しかし、彼女の背中が見えなくなった瞬間、それまで完璧なポーカーフェイスを保っていた素戔嗚尊様が、壁にドサリと背中を預けて大きく息を吐き出しました。
「あ、あっあぶねー……! なんだあの可憐さは……っ! どんな男も、あの純粋な真っ直ぐさには太刀打ちできんぞ?!
もしかしたら、姉貴たちの色気より、アリアドネちゃんのあの破壊力の方がまじでヤバくないか…っ!?」
素戔嗚尊様は未だにバクバクと激しく波打つ自らの胸を押さえながら、冷や汗を拭っていました。
実は必死に理性を保って「お兄ちゃん」を演じていただけ。
アリアドネの仕掛けた健気な攻撃は、闘神の防御壁を何度もぶち破り、かなりいい線(致命傷寸前)までいっていたのです。
そんなことにはこれっぽっちも気づかず、自室のベッドで枕に顔を埋めて悔しがっているアリアドネでした。
「よしっ、これで完璧だろう」
素戔嗚尊様は、テーブルの上のスマートフォンと地図を満足そうに見つめ、力強く頷きました。
彼が綿密に組み立てたのは、ただの移動ルートではありません。最終目的地である「京都の鴨川沿いにある、神々の屯所として使用している旧藩邸」までの長い道のり。
その東海道の道中に、日の本の民が愛してやまない至高のB級グルメの名店を贅沢に散りばめたグルメ旅の計画書でした。
「どれどれ?」
天照大御神様が、素戔嗚尊様の逞しい頭と肩にぐいっと体重をかけて寄りかかり、その画面を覗き込みました。
ルートの出来栄えと、あまりにも食欲をそそるお店のラインナップを確認した瞬間、最高神の目が爛々と輝きます。
「うむっ!そなた大したものじゃ!」
天照大御神様は嬉しさのあまり叫ぶと「朝メシの褒美の続きじゃ!」と艶やかに、しかし無邪気に微笑みます。
そして、彼の頬へとチュッと優しく、情熱的なお礼の「きす」を喰らわせたのでした。
「よし! これより出発するぞえ!」
上機嫌でドレスの裾をひるがえす姉神の横で、素戔嗚尊様は心臓をドキドキと高鳴らせていました。
実の姉とはいえ、絶世の美女からのこの強烈すぎるスキンシップは何度喰らっても心臓に悪すぎます。
しかし、主神が認めた今、もう躊躇う理由はありません。
ソファーでその様子を眺めながら「ふふ、ほんに仲が良いのう。さあ、出立じゃな」と上機嫌で立ち上がるイザナミ様。
そして、自室で悩殺作戦の失敗を悔やんでいたものの、旅の始まりに「わあ、いよいよですね!」と瞳を輝かせて飛び出してきたアリアドネ。
お洋服をトランクにたっぷりと詰め込み、四人はついに、鎌倉の隠れ家を後にしました。
素戔嗚尊様が運転する高級セダンのエンジンが、これからの旅路を祝うように力強く、滑らかに鳴り響きます。
10億円のブラックカードを胸に、絶世の三柱の女神を乗せた車は、まずは最初の東海道の美味なる目的地を目指し、鎌倉の地から西へと向かって颯爽と走り出したのでした。
いつもご愛読いただき有難う御座います。
「食パン曲がり角作戦」で自爆して撃沈したアリアドネ。アマテラス様からの情熱的なご褒美を受け、一行は東海道B級グルメツアーへと走り出します。
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