第14話
本作は情景や心理描写を丁寧に描いているため、長めの文章構成になっています。
お忙しい方は、会話文「 」、キャラクター名、心の声( )を中心に追っていただくだけでも、テンポよくストーリーをお楽しみいただけます。
「ったく、お姉様が止めてくれなきゃ、本気で高天原に強制送還されるところだったぜ……」
素戔嗚尊様が恨めしそうに姉神を睨みつけると、天照大御神様はどこ吹く風で何事もなかったかのように上品にソファーへと腰掛けました。
リビングには、まだ二人の笑い声の余韻が心地よく響き渡っています。
黄泉の国のあの冷たく陰惨な静寂は、この温かい笑い声によって、跡形もなく完全に消し去られていたのでした。
「ふふっ、天照も弟が可愛くてしょうがないようじゃのう。分かっておやり、素戔や。姉の不器用な愛情表現じゃ」
イザナミ様がワイングラスを揺らしながらからかうと、二人は弾かれたように同時に叫びました。
「「絶対に違う!!!」」
全否定の言葉が見事なまでにぴったりとハモってしまい、二人は気まずそうに顔を見合わせます。
その様子を見たイザナミ様とアリアドネは、ますます可笑しそうに声を上げて笑いました。
そんなかしましくも楽しげな時間が流れるリビングに、突如として厳かな神気が揺らめきました。
天照大御神様の元へ、高天原からの呼び出しが入ったのです。
その主は、他ならぬ伊邪那岐尊様でした。先日の黄泉の理の崩壊という前代未聞の事態、そしてイザナミ様が現世へ向かったことについて、どうしても問い詰めたい様子です。
しかし、天照大御神様は通信の気配に向けて、ひどく気怠そうにヒラヒラと手を振りました。
「はーい。そのうち行きまーす!」
言うが早いか、あっさりとパパからの神聖な通信を遮断してしまいました。日の本の最高神の前に、お小言など通用しません。
「ふんっ。せっかく皆で楽しんでいるのに水を差しよって。パパ上は相変わらずじゃ!」
ぷんぷんと口を尖らせる天照大御神様でしたが、ふと隣を見た瞬間、その目が真剣なものへと変わりました。
そこには、先ほどまで少女のように笑っていたイザナミ様の、なんとも言えない、少し陰を帯びたお顔がありました。
今はこうして現世の衣服をまとい、牛丼やワインを心から楽しんでくれている。
けれど、やはり「イザナギ」という名や存在に触れると、何千年も黄泉の暗闇で一人耐え続けてきた記憶や、かつて愛した夫に対する複雑な想いが、どうしても胸を過ってしまうのでしょう。
イザナミ様の静かな横顔を見つめていたアリアドネもまた、その胸中を察するように、そっと寄り添うように座り直しました。
お姉様の心に残る最後の澱を、どうにかして綺麗に消し去りたい……。
それを見た天照大御神様は、悪戯っぽく、しかし頼もしい光をその瞳に宿し、脳内で新たな計画を企てているようです。
「ふむ……。お姉様。妾に一計がありますぞ」
天照大御神様は、イザナミ様の寂しげな表情を吹き飛ばすように、不敵な微笑みを浮かべました。
「おりよくパパからの呼び出しがありましたの。せっかくじゃから、イザナミお姉様も一緒に高天原への呼び出しに同席して頂けませぬか?」
「妾が……高天原へ……?」
驚くイザナミ様に、天照大御神様は身を乗り出し、悪戯っぽく声を潜めて言葉を続けます。
「パパ上は今の、黒き呪いが完全に祓われて最高に美しくなったお姉様を見ても、絶対に『あの黄泉の主』だとは気づかないと思いますのじゃ」
「ふむ……?」
「そこで! パパ上は自分好みの絶世の美女が天照の連れとして現れたと思って、間違いなく鼻の下をだらしなく伸ばすはずですじゃ! 」
「……そこへお姉様が、満面の笑みで正体を告げるのじゃ! パパ上の腰が抜けるほどびっくりする顔、今から見ものじゃありませぬか?」
何千年も自分を拒絶し、千引きの岩で境界を閉ざしたかつての夫。その男が、呪いを祓われて生まれ変わった自分に気付かず、鼻の下を伸ばして言い寄ってくる……。
「ふむ。そううまくいくかのう……」
イザナミ様は少し呆れながらも、そのあまりにも痛快で大胆な計画を頭の中に思い描き、思わずフフッと美しい笑みをこぼしてしまいました。
その胸の中にあった寂しい影は、妹の突拍子もない優しさによって、一瞬にしてワクワクとした高揚感へと塗り替えられていきます。
そして、その真横で話を聞いていたアリアドネもまた、ギリシャの神々をも真っ青にするような日の本の女神の悪戯心に、その青い瞳を最高に輝かせていました。
(なんて素敵な計画かしら……! 悪いおのこ(男)には、そのくらいの仕返しが絶対に必要ですわ!)
男の裏切りの痛みを誰よりも知るアリアドネにとって、この「イザナギパパびっくり大作戦」は、これ以上ないほどスカッとする、共感度100パーセントの計画だったのです。
女性陣が「パパ上の驚く顔が楽しみじゃのう」「どんな風に正体を明かしましょうか!」と一気に盛り上がる中、ただ一柱、ソファの隅で凍りついている男がいました。
「あー……」
素戔嗚尊様は、左手を顔に当てて深く大きなため息をつきながら、天井を見上げました。
自らの生みの親である父、伊邪那岐尊。
かつては威厳に満ちていたはずのその父が、これから最高神の姉と、ブチ切れた大母神のお姉様、そして異国の王女という「世界最強の女性陣」によって、なぶり殺しのような精神的トラップに嵌められようとしているのです。
「親父よ……まぁ、自業自得だが……健闘を祈るぜ……」
素戔嗚尊様は深い同情と哀愁を込めて、父神の不憫な未来へ向かって、静かに祈りを捧げるしかないのでした。
それからのしばらくの間、一行は鎌倉の街をどこまでも贅沢に、心ゆくまで楽しんでいました。
とりわけ、海に浮かぶ緑豊かな「江の島」への道中は、イザナミ様とアリアドネにとって忘れられない時間となります。
島の参道をそぞろ歩き、現世の人間たちが活気よく商う店先から漂う、香ばしい磯の香りに二人は足を止めました。
「お姉様、アリアドネちゃん、これがお勧めなのじゃ!」
天照大御神様に促され、素戔嗚尊様がスマートに差し出したのは、穫れたての新鮮な魚介類。
香ばしく焼き上げられたサザエの壺焼きや、贅沢な丸焼きのイカでした。
「おぉ……海の生命の濃密な香りがするのう……」
「クレタ島でも、このような香ばしいお料理は見たことがありませんわ……!」
二人は目を輝かせながら、現世の豊かな海の恵みを一口ずつ丁寧に口へと運びました。
濃厚な出汁と醤油の絶妙な味わいが口いっぱいに広がるたびに、二人の頬には幸せな赤みがさしていきます。
食後はさらに足を伸ばし、小町通りの風情ある甘味処へと向かいました。
そこでは、目にも鮮やかな季節の和菓子や、ひんやりとした冷菓が四人を迎えます。
「なんとまぁ……日の本の菓子は、食するのが惜しくなるほど繊細で美しい造形をしておるのじゃな……」
イザナミ様は、美しい和菓子を前にうっとりとため息を漏らされます。
「本当に……まるでお皿の上に、小さな庭園が広がっているようですわ!」
アリアドネも匙を動かすたびに深い感動を覚えていました。
いつもご愛読いただき有難う御座います。
江の島グルメや小町通りのお菓子を堪能する一同。しかしその裏では、天照大御神様による前代未聞の「イザナギパパドッキリ大作戦」が着々と動き出します。
「世界最強の美女軍団を敵に回した時点でイザナギパパの未来は決まっていた」、「この美女軍団江ノ島か小町で見かけたかも」と思った方は【評価(★)、ブックマーク登録】をお願いします。




