第12話
本作は情景や心理描写を丁寧に描いているため、長めの文章構成になっています。
お忙しい方は、会話文「 」、キャラクター名、心の声( )を中心に追っていただくだけでも、テンポよくストーリーをお楽しみいただけます。
「さて、腹も膨れたことだし……素戔ちゃん」
天照大御神様は、生ビールのグラスをトントンとテーブルに置きながら、ニヤリと悪戯っぽい笑みを弟へと向けました。
「そなた、妾に隠れて奇稲田ちゃんとコソコソ現世へ遊びに来てたのは、すべて存じておるぞ。……そなたの『隠れ家』に、妾たちを案内せよ!」
主神であり姉である彼女の、さもすべてを見透かしたことにしたい、という要求に、素戔嗚尊様は一瞬だけ顔をしかめました。
しかし、すぐに頭を掻きながら、呆れたように息を吐きます。
「別に隠れてコソコソなんてしてねーよ! 普通のデートだっての。……まあ別にいいけどよ、あそこは狭いぜ?」
そう言いながらも、素戔嗚尊様は伝票を持って席を立ち、会計を済ませました。
再び三人の女神を車へとエスコートします。
イザナミ様とアリアドネが後部座席のシートに落ち着くと、車は銀座の夜の街を滑るように発進し、そのまま首都高の入り口へと滑り込んでいきました。
車がぐんぐんと加速し、高架の上の道へと駆け上がります。
さっきまでは空腹と未知の世界への緊張のあまり、外の景色をゆっくりと眺める余裕などなかったイザナミ様とアリアドネ。
しかし、お腹が満たされ、心に安らぎを取り戻した今、二人は改めて車窓の外へと目を向けました。
その瞬間、二人は言葉を失い、ただただ息を呑んで硬直しました。
「なっ……なんという光の海じゃ……」
「これが……人の作った街なのですか……?」
窓ガラスに映る二人の瞳に、果てしない東京の「摩天楼」が色鮮やかに飛び込んできます。
闇の中にそびえ立つ数え切れないほどの高層ビル群。
それらの窓から漏れる無数の生活の灯り、赤や青にきらめくネオン、そして地上の道路を途切れることなく流れていく自動車たちの、まるで光の河のようなヘッドライトの列。
それは、ギリシャの神の山オリュンポスの神殿の輝きも、黄泉の国のどんな厳かな灯火をも、遥かに凌駕する圧倒的な人間の繁栄の証でした。
どこまでも続く光の迷宮のような東京の夜景。アリアドネは、その美しすぎる現世の威容に、ただただ深く驚愕し、魂を奪われたように窓の外を見つめ続けていたのでした。
横浜の美しい夜景を見せようという素戔嗚尊様の粋な計らいにより湾岸線へと合流しました。
車は滑らかに速度を上げ、夜の闇を切り裂くように進んでいきます。
しかし、ある区域に差し掛かった瞬間、後部座席の空気がピキリと凍りつきました。
イザナミ様とアリアドネが、突如として身を硬くし、互いに身を寄せ合って怯え始めたのです。
二人の視線の先、暗がりに広がっていたのは、異様な光景でした。
それは「京浜工業地帯」。
夜の闇の中にそびえ立つ、無数の巨大な鉄の塔、複雑に絡み合う無機質な配管、そしてその巨躯の至る所で瞬く、冷徹な白いライトと警告の赤灯。
何よりも二人を戦慄させたのは、それらの巨大な構造物の底から、地響きのように重く、低く響いてくる『ゴォォォ……』という大地の唸りのような駆動音と、煙突の先から夜空へと激しく噴き出す白煙や炎の揺らめきでした。
それは、生きた怪物が暗闇の中で不気味に息を潜め、強大なエネルギーを滾らせているかのように見えました。
アリアドネは、故郷の大迷宮の底にいたミノタウロスが数千倍の巨体となって現れたかのような錯覚に陥り、ドレスの胸元を強く握りしめます。
「素戔や……あの異形の鉄の群れは、一体何者じゃ……? まるで、国を呪う悪鬼の城のようではないか……」
イザナミ様も、その底知れぬ力に警戒を隠せない様子で呟かれました。
すると、ハンドルを握る素戔嗚尊様が、バックミラー越しに二人の顔を優しく見つめ、落ち着いた、包み込むような声で語りかけました。
「驚かせてすまねえな。お姉様、アリアドネちゃん。怖がることはねえよ。あれは悪鬼の城なんかじゃねえ」
「あれは現代の人間たちが作った『ぷらんと』という、この国の、言わば心臓であり筋肉のようなものさ」
「あの怪物のような鉄の群れが、二十四時間、一瞬も休まずに働き続けることで、この日の本の民が使う明かりを作り、乗り物を動かす油を生み出しているんだ」
「あの不気味に思える唸り声は、民の暮らしを陰から必死に支えようとしている、健気な職人たちの呼吸のようなものさ。だから、決して怒っているわけじゃねえんだよ」
荒ぶる神としての力を誰よりも知る素戔嗚尊様だからこそ、そのプラント群が秘める巨大な力の価値を、誰よりも理解し、敬意を払っていました。
彼のそのどこまでも優しく、筋の通った説明を聞くうちに、二人の強張っていた身体から、すうっと力が抜けていきました。
「民の暮らしを支える、心臓……」
アリアドネは、恐怖が畏敬の念へと変わっていくのを実感しながら、再び窓の外のきらびやかで力強い鉄の要塞を見つめました。
「なんと……。日の本の民は、これほど凄まじい大いなる力を手なずけ、自らの礎としておるのかえ……」
イザナミ様も、深く感心されたように吐息を漏らします。
華やかな美しさだけではない、底知れない日の本の底力と文明の重厚さ。
二人は、今日何度目になるかも分からない深い驚愕に胸を震わせながら、素戔嗚尊様の頼もしい背中に、さらなる信頼の眼差しを向けるのでした。。
「さあ、見てごらんなさい。眼下に広がる横浜の景観を」
素戔嗚尊様が声をかけると同時に、車は夜空へと架かる巨大な吊り橋、横浜ベイブリッジへと差し掛かりました。
その瞬間、イザナミ様とアリアドネの視界は、息を呑むほどの光の洪水で満たされました。
眼下に広がる港町・横浜の夜景。闇の中に浮かび上がる巨大な観覧車のきらめきや、美しくライトアップされた歴史ある建物、そして海面にゆらゆらと反射する光の筋。
それは、先ほどの力強い工業地帯の輝きとはまた違う、ロマンチックな夢の世界をそのまま形にしたような美しさでした。
「あぁ……なんと……なんと美しい……」
「まるで、星々がすべて地上に降りてきて、お祭りをしているようです……」
二人が感嘆の息を漏らすのを聞きながら、助手席の天照大御神様は「ふふん、そうであろう、そうであろう!」と、自分のことのようにとても誇らしげに胸を張っておられました。
車は横浜を抜け、朝比奈の山道を越えて、古都・鎌倉の地へと向かいます。
やがて、潮の香りが心地よく車内に満ちてきた頃、素戔嗚尊様は車を海岸沿いの静かな高台へと滑り込ませました。
ついに、素戔嗚尊様と奇稲田姫様の「秘密の隠れ家」へと到着したのです。
本人は「普通のデート用の場所だ」と言い張って別に隠しているつもりは全くないのですが、天照大御神様がどうしてもここを『隠れ家』扱いして弄りたいようです。
しかし、車を降りた一行の前に現れたのは、天照大御神様が想像していたような「ほったて小屋」では到底ありませんでした。
夜の月明かりに照らされて浮かび上がる、洗練された真っ白な外観の美しい邸宅。
目の前には遮るもののない七里ヶ浜の海がどこまでも一望でき、波の音が静かに耳をくすぐります。
そして広々とした庭には、現世の贅を尽くしたプライベートプールが、透明な水を湛えて美しくきらめいていました。
いつもご愛読いただき有難う御座います。
いざ鎌倉へ。工場地帯の不気味な灯りを通り抜け、辿り着いた「隠れ家」は、天照様の予想(ほったて小屋)を裏切りプール付きの邸宅でした。
「飛行機に次いでプラントに怯える2人に尊死」、「『ほったて小屋』で弄り倒したかったアマテラス様の理不尽な八つ当たりがまた始まるな」と思った方は【評価(★)、ブックマーク登録】をお願いします。




