第11話
本作は情景や心理描写を丁寧に描いているため、長めの文章構成になっています。
お忙しい方は、会話文「 」、キャラクター名、心の声( )を中心に追っていただくだけでも、テンポよくストーリーをお楽しみいただけます。
「さあ、召し上がれ」
天照大御神様が楽しそうに声をかけ、まずは見本を見せるように小鉢の生卵を溶き、牛丼の上へと滑らかに回しがけました。
それを見たアリアドネは、最初は「生」の卵という未知の食材に少しだけ警戒の眼差しを向けていました。
ギリシャの地でも、卵を生で食べる文化など聞いたことがなかったからです。
しかし、隣のイザナミ様も、天照大御神様も、皆が次々と楽しそうに生卵をかき混ぜている姿を見て、彼女の青い瞳は徐々に好奇心でキラキラと輝き始めました。
「私も……やってみます!」
アリアドネはスプーンを上手に使い、黄金色の卵をしっかりと溶いて、温かい牛丼の上へと優しく注ぎ込みました。
準備が整い、イザナミ様とアリアドネは、それぞれスプーンを口元へと運びます。
タレがたっぷりと染み込んだお肉とご飯、そしてそこに絡み合う濃厚な生卵が、二人の舌の上に同時に広がりました。
「なっ……なんという芳醇な……っ」
その瞬間、言葉にならないほどの衝撃が二人を突き抜けました。
お肉の圧倒的な旨味と、出汁の効いた甘辛いタレの深いコク。
そしてそれらすべてを優しく包み込み、まろやかに調和させる生卵の魔法のような味わい。
ナクソス島での裏切り、飢えと渇きの絶望、黄泉の国の暗闇……。
それらすべての苦難が、この現世の温かく至高の一杯によって、跡形もなく癒やされていくかのようでした。
二人は再び、大粒の涙をぽろぽろと頬に伝わせながら、現世に生きているという本物の幸せを、一匙ごとに深く噛み締めていたのでした。
天照大御神様はそれを見て「うむうむ!」と満足そうに笑い、素戔嗚尊様はその光景を微笑ましく眺めていました。
「ほんに……ほんに、なんという温かさじゃ……」
何千年も忘れていた、生きた食べ物の放つぬくもり。
黄泉の国の冷たい闇の中で、決して得られるはずのなかった、お米の甘みとお肉の滋養が、大母神の乾いた喉と心を、優しく、確かに潤していきます。
タレの染みたご飯を一粒も残したくないとばかりに、イザナミ様は夢中で次の一匙を口へと運ばれていました。
二人は、どちらからともなく視線を交わしました。
まだ涙の滲むアリアドネの青い瞳と、深い慈愛を湛えたイザナミ様の瞳。
言葉はありませんでしたが、互いのスプーンと箸が器に当たる心地よい音だけが、二人の間で幸せなリズムを刻んでいます。
男の理不尽な裏切りによって、一度は全てを失った二人。
しかし今、日の本のきらびやかな街の片隅で、冷たい生ビールを時折挟みながら、温かい牛丼を無心で頬張っている。
その一口ごとに、二人の心からは孤独の影が消え去り、確かな現世の生きている喜びが、美味という最高の奇跡となって満ち溢れていくのでした。
「はあーーー……」
器を綺麗に空にしたイザナミ様は、深く、満ち足りた満足の吐息を漏らされました。
そのお顔には、黄泉の国で見せていた哀切や冷徹さは微塵もなく、どこまでも瑞々しく温かい光が宿っています。
「誠に素晴らしい食事であった。しかも、現世の民がこれほどの食を、皆が享受しているようではないか」
イザナミ様は、周囲で同じように牛丼を美味しそうに頬張っている現代の人間たちを、愛おしそうに見渡しました。
そして、ゆっくりと天照大御神様と素戔嗚尊様の方を向き直ります。
「天照や、素戔や、素晴らしい国に導いてくれたのう。
……一度はイザナギの裏切りに怒り、現世の民を呪いもしたが……
そなたたちの活躍で、この日の本を、これほど豊かで平和な国へと導いてくれたのじゃな。
心の底から、礼を申すぞ」
それは、かつて世界を揺るがすほどの確執を生んだ大母神から、現在の日の本を立派に統べる我が妹弟へと贈られた、何よりの称賛でした。
その言葉を真剣な面持ちで聞いていたのは、天照大御神様と素戔嗚尊様だけではありませんでした。
アリアドネもまた、イザナミ様の一言一言を胸に刻み込むように聞いていました。
かつてはクレタ島の王女として、多くの民や生贄たちの血と涙の上に成り立つ世界を見てきた彼女。
そして、一人の男を信じてすべてを捨て、最後には無残に裏切られた彼女。
しかし今、目の前にいるのは、同じように男に裏切られながらも、妹と弟の成長を喜び、国全体の繁栄と民の幸せを心から祝福している偉大な神の姿でした。
そして、それを支える日の本の主神たちの深い慈愛。
(王として、民を導くということは……このような温かい世界を作ることなのね……)
アリアドネの心の中にあった、テセウスへの恨みや裏切りの傷痕が、この偉大な神々の大きな背中と、民を想う高貴な心に触れたことで、より高い次元へと昇華されていくようでした。
彼女の青い瞳には、単なる絶望からの救済だけでなく、王族としての誇りと、深い共感の光が宿り始めていたのでした。
「お二人とも、こんなに牛丼に感動してくれるとは意外じゃった」
天照大御神様は、空になった器を愛おしそうに見つめるイザナミ様とアリアドネの顔を交互に見つめ、ふむ……と小さく顎をさすって思案されました。
そして、自身の内から湧き上がる新たな直感に、パッと顔を輝かせます。
「よし! 決めたぞ! 2人のプロデュースは『B級グルメツアー』で、心の底から美しくなって頂くことにするぞえ!」
二人の美女を連れて、日の本の誇る大衆の美味を巡る旅。
主神のあまりにも突拍子もない宣言に、エスコート役の素戔嗚尊様は、
「えー……せっかくの銀座だし、次は高級なスイーツとかディナーとか、普通はそっちの流れなんじゃ……」
と心の中で激しくツッコミを入れました。
しかし、ここで反論すればまた姉の蹴りが飛んでくるのは目に見えているため、ぐっと言葉を飲み込みます。
ところが、今しがた牛丼という現世の奇跡を心の底から堪能したばかりの二人の反応は、素戔嗚尊様の予想を裏切るものでした。
イザナミ様は胸元に手を当て、少女のようにその美しい目をキラキラと輝かせました。
「天照よ! 誠か!? この牛丼の如き奇跡の味わいが、この日の本にはまだまだ他にもあるというのかえ!?」
そして、アリアドネもまた、先ほどまでの困惑や気後れをすっかり忘れ、瞳を爛々と輝かせて身を乗り出しました。
「ほっ、本当ですか!? 私、このような美味しくて心が温まるお料理なら、もっともっと知りたいです……!」
未知の日の本の美食、しかも民が等しく楽しんでいるという温かい料理の数々に、二人は完全に心を奪われていました。
目の前で、絶世の美女三人が「次はどこへ行こうか」「何を食べようか」と、B級グルメの話で大盛り上がりしてます。
そのあまりにも型破りで、しかし最高に幸せそうな彼女たちの姿を見てしまった素戔嗚尊様は、もはや余計なことは何も言えなくなり、ただただ「……へいへい、わかったよ」と苦笑いするしかないのでした。
いつもご愛読いただき有難う御座います。
イザナミお姉様とアリアドネちゃんが涙の大感動! 牛丼の本来の力が2人に直撃しました。
「アマテラス様正気か?!けどちょっと牛丼食ってくる」「スサノオ様、いじられ役、案内人、SPについでATM役も無事ゲットしたね」と思った方は【評価(★)、ブックマーク登録】をお願いします。




