第118話
「ご丁寧な挨拶、痛み入ります。しかし、我が弟が日の本で粗相をしてしまい、大変失礼した……」
ハデス様の声は、石造りの壁に重厚に響きます。
「我がゼウスに灸を据えて頂くよう、ペルセポネに伝言を頼みましたが、ゼウスはああ見えてこのギリシャにおいて全知全能を司る身。
貴女様方のお力を疑うわけでは決してありませんが、内心では冷や汗をかいておりました。
……しかし、ヘラを見事にプロデュースし、そしてゼウスを型にはめたその手腕、実に見事でございました」
ハデス様はその時の様子を直接聞きたいようです。
素戔嗚尊様がスマートフォンを取り出し、差し出された画面を、深い深淵のような瞳でじっと見つめられました。
ハデス様の視線の先には、画面の中で「誰だこの美女は!」と言わんばかりに目を剥き、別人へと変貌を遂げたヘラ様に鼻の下を伸ばす弟の、あまりにも滑稽な姿が映し出されていました。
そして、そのゼウス様に両脇から抱きつかれながらも、額に隠しきれぬ青筋を立て、今にも日輪の核融合や黄泉の呪いを叩き込みそうな表情で耐え忍んでいる天照大御神様とイザナミ様の決定的な瞬間――。
「……くっ、ふふっ。……くっはははは!」
ついに、ハデス様の喉から、低く地響きのような、しかしどこか晴れやかな笑い声が漏れ出しました。
あの厳格を絵に描いたような冥界の王が、堪えきれないといった風に肩を震わせ、静かに、しかし確実に笑っておられます。
その様子は、傍らにいたペルセポネ様すらも「まあ、ハデス様がこれほどまでに……」と驚き、目を丸くするほどの、非常に貴重な光景でした。
「いや、失礼。……これほどまでに痛快な光景を目にするのは、神話が始まって以来かもしれぬ。
あの不敵な弟が、これほどまでに見事な『型』に嵌められていようとはな」
ハデス様は、少しだけ目元に滲んだ涙を拭うような仕草をされ、三柱の神々へ向けて、より一層の親愛と信頼を込めた眼差しを向けられました。
「さて、本日は遠いところより御足労頂き、さぞやお疲れであろう。我が城にてゆるりとお過ごしくだされ」
ハデス様の重厚な、しかしどこか安らぎを覚える響きを合図に、給仕者たちが音もなく、うやうやしく応接室に現れました。
テーブルの上に並べられたのは、冥界の深い闇を表現したかのような、重厚かつ洗練された器に盛られた素晴らしい食事の数々です。
しばらくの歓談が続くなか、日の本の三柱には、ハデス様がいかに素晴らしい王であるかが身に染みて分かっていきました。
一見、寡黙で厳格な死者の国の王。
しかしその言葉の端々には、深い知性とウィットに富んだ、真に素晴らしい紳士の気品が宿っていたのです。
「くっく、素戔よ。ハデス様はそなたより洗練されておるのではないか?」
天照大御神様が、グラスを傾けながら楽しげに素戔嗚尊様を揶揄います。
「ふふっ、そのようなことはない。素戔はとても頼もしい紳士じゃよ」
イザナミ様も加わり、二柱で愛おしそうに素戔嗚尊様をいじりだします。
そんな賑やかで微笑ましい光景を、ハデス様は邪魔をせぬよう、ただ静かに微笑みながら見守っておられた。
「ふむ。ペルセポネ様」
不意に、天照大御神様がいたずらっぽく声をかけました。
「貴女がハデス様を愛する理由、よく分かりましたぞ」
その不意打ちのような一言に、隣に座っていたペルセポネ様は顔を瞬時に真っ赤に染め、恥ずかしさのあまり反対側へと顔を背けてしまいました。
ハデス様はその様子を見て、驚きに目を丸くされました。
そして、赤くなってそっぽを向くペルセポネ様の横顔を、どこか切なげに見つめます。
冥府の王としての絶対的な力を持ちながらも、ハデス様は心の奥底で、一つの大きな不安を抱えていました。
かつて愛するがあまりに強引に冥界に閉じ込めてしまったペルセポネ様が、いまだに自分を疎ましく思っているのではないか、と。
その誤解と愛おしさが交錯する沈黙を、日の本の神々は温かな眼差しで見つめていました。
ハデス様は、隣で俯きながら耳の先まで林檎のように赤く染めているペルセポネ様を、いま一度じっと見つめられました。
「ペルセポネよ。今の話は……誠か?」
深淵を思わせるその声音に、隠しきれない動揺と、震えるような歓喜が微かに混ざり合います。
「しっ、知りませんわ!」
ペルセポネ様は顔を背けたまま、手元の扇をパタパタと動かして、さらに赤くなってしまわれました。
その初々しくも愛らしい反応に、ハデス様の胸の奥には、何千年ぶりでしょうか、木漏れ日のような、日だまりのような温かさが静かに込み上げてくるのを感じておられました。
「ふふ……。流石は天照大御神様、誠に太陽神であらせられる。
私の、永く凍りついていた心をも溶かしてしまわれたぞ」
ハデス様が感服したように天照大御神様を見据えると、日の本の主神はまぶしい笑顔を向けました。
「ふむ。妾はな、ハデス様の心がさらに暖かく、幸せに満たされる術を存じておるぞ?」
さらりと言ってのけたその一言に、ハデス様は「ほう!」と驚き、身を乗り出されました。
「それは、是非ともお願いしたいものだ。……して、その術とは?」
「ふむ、準備があるゆえ、それはアリアドネちゃんの結婚式が終わってからになりますな。
……承知した。
それでは日輪の神として、ハデス様の心の日だまりを、さらにポカポカの極楽にしてしんぜよう!」
天照大御神様が力強く宣言すると、ハデス様もまた、かつてないほど晴れやかな表情で応じられました。
「承知した。日の本の主神のお力、是非とも拝見させていただくとしよう」
厳格な冥王と太陽の女神。
二柱の最高神は、新しい「縁」の予感に、まるで子供のように楽しげに笑い声を響かせるのでした。
重厚な晩餐と、ウィットに富んだ対話。
そして何より、ハデス様とペルセポネ様の間に漂う、かつてないほど穏やかで温かな空気。
日の本の三柱の神々は、漆黒の城の寝所で深く心地よい眠りにつき、旅の疲れを癒やしました。
ハデス様の城での静かな一晩が明け、冥界の冷たくも澄んだ空気が一行を包み込みます。
そしていよいよ、一行はハデス様、ペルセポネ様と共に、婚礼の舞台となるオリュンポスへと向けて出発します。
いつもご愛読いただき有難う御座います。
スマホに映る弟の写メに爆笑を漏らすハデス様夫妻と一行はいよいよ婚礼の舞台であるオリュンポスへと乗り込みます。
「弟の恥さらし画像で大爆笑したあと、妻の本心を知ってピュアに照れる冥府の王、可愛い」と思った方は【評価(★)、ブックマーク登録】をお願いします。




