第104話
本作は情景や心理描写を丁寧に描いているため、長めの文章構成になっています。
お忙しい方は、会話文「 」、キャラクター名、心の声( )を中心に追っていただくだけでも、テンポよくストーリーをお楽しみいただけます。
「まったく……なんでウチの男どもは、こうも傲慢で愚かなのかね……!」
ヘラ様は腕を組み、冷ややかな呆れ顔でディオニュソス様を見下ろしました。
女王の瞳には、かつての夫と同じ過ちを、悪びれもせず繰り返した若き神の無知への哀れみがありました。
「いいかい? そなたはアリアドネに近づく機会を完全に失ったんだ。
その理由が心の底からわかるまで、二度とあの家に近づいてはならぬ!
良いな?!」
ヘラ様は厳しい声音でそう言い捨てると、夜の海風にドレスを揺らしながら、温かい光の漏れる七里ヶ浜の白い家へとまっすぐ戻って行かれました。
夜の砂浜に一人取り残されたディオニュソス様は、ただ寄せては返す波の音を聞きながら、答えの出ない問いの中で呆然と立ち尽くしておりました。
白い家に戻ってきたヘラ様は、リビングで寄り添う二人に向かい、心から申し訳なさそうに肩を落としました。
「本当にすまぬ……。
妾の国の男どもは、どうしてこんなに愚かで傲慢なのか……。
ただの一人も、心というものを理解せぬ」
女王としての気品の中に、自国の神の不手際を心から恥じる、切ない色香が混ざり合っています。
すると、イザナミ様がゆっくりとヘラ様に向き直り、その穏やかな瞳で静かに首を振りました。
「いや、妾こそ、ついカッとなってしもうた。
ヘラ様の前で取り乱してしまい、すまぬ。
……アリアドネちゃんのこととなると、どうもいかぬな」
黄泉の大母神としての威厳は消え去り、ただただ大切な妹分を傷つけられたことへの、深い愛情ゆえの苦笑いがそこにはありました。
「イザナミお姉様は、何も悪くありません……!
私が……私が、まだディオニュソス様の心の機微を掴めぬ愚か者だったのです……っ」
アリアドネは必死に声を振り絞ったものの、その瑞々しい頬を新たな涙が次から次へと伝い、感極まったのか涙が止まらなくなってしまいました。
日の本でどれほど成長しても、神を絶対視する古代の呪縛が未だに彼女の心の奥底に、小さなトゲとして残っていたようです。
「ああ……どうか泣かないでおくれ……。
妾の可愛いアリアドネちゃんや。
そなたには、妾がいつでもついておる」
イザナミ様は、アリアドネの頭をその胸に優しく抱き寄せ、幾度も幾度もその美しい髪を撫でました。
「そうじゃぞ! 妾も、素戔も、ここにいるみんながアリアドネちゃんの味方じゃ!」
天照大御神様も身を乗り出し、その温かい手でアリアドネの背中をぽんぽんと優しく叩きます。
後ろでは素戔嗚尊様が静かに、しかし力強く頷き、大国主様がお盆を持ったまま「さあ、まずは温かいお茶でも飲みましょう」と、心を落ち着かせるための準備をしてます。
自分をこれほどまでに無条件で愛し、守ってくれる温かく優しい空気。
その底知れぬ日の本の優しさに触れれば触れるほど、自分の未熟さと、彼らを巻き込んでしまった申し訳なさで、ますます涙が止まらなくなってしまうアリアドネでした。
アリアドネが泣き疲れて小さな寝息を立て始めると、天照大御神様とイザナミ様は、その寝顔を愛おしそうに見つめながら、悲しげに肩を落としました。
「あの子に幸せになってもらいたくて、一生懸命プロデュースしてきたつもりなのじゃが……
まだ心の傷は拭えていなかったのじゃなぁ……」
珍しく天照大御神様が、いつもの天真爛漫さを消して、本当に落ち込んだ様子でポツリと溢しました。
「今までが楽しすぎたから、余計にあの子の陰に気づくことができなかったのう」
イザナミ様も、静かに視線を落とします。
数々のB級グルメの美味さに皆で大はしゃぎし、サブカルチャーの話題で笑い合っていた日々が眩しかったからこそ、アリアドネの心の奥底に眠っていたトゲの深さに、今更ながら胸を痛めていました。
そんな家の中の空気をよそに、素戔嗚尊様は静かに玄関の扉を開け、夜の海岸で佇むディオニュソス様のもとへと歩を進めます。
波の音が規則正しく響く暗い砂浜。
素戔嗚尊様は何も言わずに、冷えた缶ビールを、ぽんとディオニュソス様の手に渡しました。
「私は……二柱の女神を、特にイザナミ様をなぜあそこまで怒らせてしまったのでしょう」
ディオニュソス様は、渡された缶の冷たさに微かに指を震わせながら、ポツリと呟きました。
確かに彼の言葉は独善的だったかもしれない。
しかし、アリアドネに対する愛は、確かに彼の中にはありました。
ギリシャにおいて、人が神に対して不始末をしでかせば、即座に凄惨な粛清が待っている。
だからこそ、自分の所有物として彼女を娶り「躾ける」ことこそが、彼女を他の神々の気まぐれな怒りから守る唯一の正しい生き方であり、愛なのだと、彼は本気で信じていました。
それがなぜ、日の本の神々をあそこまで激昂させたのか。
どれほど考えても、彼には全く見当がつかないようでした。
素戔嗚尊様は、そんなディオニュソス様なりの「不器用な思いやり」を理解したようです。
ポケットに手を突っこみ、ただじっと夜の海を見つめてます。
(まったく……神のくせに、不器用なもんだ)
素戔嗚尊様は心の中でそう苦笑しました。
しかし、今はどんな言葉を尽くしても、古代の概念に縛られた彼には何も響かないことも、よく分かっていました。
ギリシャの神と人との絶対的な隔たり。
そして、日の本の神と人との繋がり。
このあまりにも大きな溝を埋めるためには、お互いに、しばしの「時」が必要でした。
二柱の神は、ただ波の音だけが響く湘南の夜空の下で、静かに沈黙を共有しました。
いつもご愛読いただき有難う御座います。
夜の砂浜では「自分なりの愛」と日の本の理の深い溝に苦悩するディオニュソス様へ、スサノオ様がそっと缶ビールを差し出します。
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