第八章 ピンチ
「返してください」
俺はそう言ったが、グリード卿はノートをパラパラとめくりながら立ち上がった。
「これは素晴らしい。本当に素晴らしい。才能ある子には、相応しい環境が必要だ」
「……どういう意味ですか」
「王都の特別研究施設に移ってもらおうと思ってね。そこで君の研究を続けてもらえれば——」
リード先生が口を開きかけた。しかしグリード卿の視線が一瞬だけ先生に向き、先生は黙った。
研究施設。特別な環境。丁寧な言葉。
でも俺には全部わかった。元ニートの特技のひとつは、建前と本音を読み分けることだ。引きこもりは人間観察が得意なんだ。
これは「保護」じゃない。「隔離」だ。
このノートを外に出さないために、俺ごと閉じ込める気だ。
「……考えさせてください」
「もちろん。ただ、今夜中に返事をもらえると助かるね」
グリード卿は笑顔のまま研究室を出ていった。
ドアが閉まった瞬間、リード先生が小声で言った。
「アリア、逃げなさい」
「え」
「今夜、必ず迎えが来ます。あの人は——本当に閉じ込めるつもりだ。ノートの内容が外に漏れないように、君ごと」先生の声が震えていた。「私には止める力がない。でもせめて、逃げる時間くらいは作れます」
俺は先生の顔を見た。
本気だった。
「……わかりました」
寮に戻ると、非常用の荷物をまとめた。着替え、ノートの写し、金貨が少し。それだけだ。
どこに逃げる。この国で、追われた十四歳の女の子が一人で——
「おい」
窓の外から声がした。
見ると、壁に手をかけてよじ登ってきているやつがいた。金髪。制服。
レオンだ。
「何してるんですか」
「助けに来た」レオンは部屋に入り、俺を見た。「先生の研究室の話、聞こえてた」
「盗み聞きしました?」
「した」
正直だな。
「なんで助けるんですか。俺のこと嫌いでしょ」
レオンは少し黙った。
「……嫌いだ。気に食わない。突然現れて、全部ひっくり返して、常識外れのことばかりする」
「じゃあなんで」
「お前のノート、授業の後にちらっと見た」レオンは視線を外した。「魔法は才能じゃなく訓練で強くなれる、って書いてあった。……俺の弟は魔力が低くて、家族に馬鹿にされてる。もしそれが本当なら——」
言いかけて、口を閉じた。
俺は少し考えてから言った。
「本当です。絶対に」
レオンはしばらく黙っていた。それから、ぶっきらぼうに手を差し出した。
「行くぞ。日が落ちたら門が封鎖される」
俺はその手を取った。
「……ありがとうございます」
「礼はいらない。ただし一つ条件がある」
「なんですか」
「逃げながら、俺にも魔法を教えろ。お前のやり方で」
俺は思わず笑った。
「わかりました。でも授業料は高いですよ」
「うるさい、行くぞ」
こうして俺は——入学から一ヶ月も経たないうちに、学院を脱走することになった。
追手あり、行き先なし、所持金わずか。
ただし——魔法の実験ノートがある。
まあ、なんとかなるだろ。元ニートは開き直りだけは一流だから。




