第七章 貴族社会
「今日は実技ではなく、筆記試験を行います」
リード先生がそう言ったのは、入学から三週間目の授業だった。
広間に長机が並べられ、全員が着席する。試験用紙が配られた。
問題を見た瞬間、俺は少し笑いそうになった。
「魔力操作の基礎原理を説明せよ」「炎魔法の詠唱における魔力の役割とは何か」「属性変換が起こる理由を述べよ」
……これ、全部俺がこの三週間で独自に研究してきたやつじゃないか。
ペンを握る。
周りの生徒が首を捻っている。レオンでさえ眉をひそめて考え込んでいる。
俺はひたすら書いた。
「魔力操作とは、体内の魔力に対して明確なイメージを与えることで初めて機能する。詠唱はそのイメージを補助する手段であり、詠唱そのものに魔力を動かす力はない。つまり——」
書いて、書いて、書いた。
教科書に書いていないことも書いた。自分の実験で気づいたことも書いた。「なぜそうなるのか」を、できるだけ誰でもわかる言葉で説明した。
試験終了の合図が鳴った時、俺の答案用紙は裏面まで埋まっていた。
翌日、採点済みの答案が返ってきた。
「今回の試験、満点は一名でした」
リード先生が教室を見渡した。
「アリア・フォン・シルヴェスト」
名前を呼ばれた瞬間、教室中の視線が俺に集まった。
答案用紙には赤い丸と「100」の文字。その下に先生の手書きで「教科書の範囲を大きく超えた内容だが、全て正確。どこで学んだのか」と書いてあった。
「どこでって……自分で考えたんですが」と俺は思ったが、口には出さなかった。
レオンの点数は横から見えてしまった。89点だった。彼は答案を素早く裏返したが、その耳が赤くなっていたのはわかった。
「シルヴェスト」
授業が終わった後、リード先生が俺を呼び止めた。
「この答案の内容、もう少し詳しく聞かせてもらえますか。特にここ——『詠唱は補助手段に過ぎず、イメージの鮮明さが魔法の威力を決定する』という部分」
「はい。実験したら、そうなりました」
「……実験?」
「ノートに記録しています。よければ見ますか」
先生は俺のノートを受け取り、数ページめくった。その顔がみるみる変わっていった。
驚き、困惑、そして——興味。
「アリアさん、これを書いたのは本当に君ですか」
「はい。ここ三週間の記録です」
「……魔法理論の根本を、入学三週間の一年生が独自に再構築している」先生は額に手を当てた。「私が二十年かけて積み上げてきたものより、ずっと整理されている」
褒められているのはわかる。でも先生の顔が「喜んでいいのか困っていいのかわからない」という顔なのが少し面白かった。
「教科書に書いていなかったので、自分で調べました」
「……普通の生徒は、書いていないことは調べないんです」
「そうなんですか」
「そうなんです」
先生はノートをゆっくり閉じ、俺に返した。それから少し間を置いて言った。
「アリア、一つ提案があります。放課後、私の研究室に来てもらえますか。君のノートをもとに、もっと深い話がしたい」
「はい、行きます」
レオンはその後早足で去っていった。その背中を見ながら、俺はふと思った。
嫌なやつだと思っていたが——さっきの顔、ちょっと悔しそうだったな。
人間らしいじゃないか。
俺はノートを抱えて、先生の研究室へ向かった。
リード先生の研究室は、図書館の奥にある小さな部屋だった。
本が壁一面に積まれ、机の上には魔法陣の設計図や実験器具が雑然と並んでいる。俺の部屋より居心地がいい。
「座って」
先生は俺のノートを机に広げ、老眼鏡をかけた。ページをめくるたびに、眉が上がっていく。
「アリア、一つ確認させてください」先生は静かな声で言った。「このノート、誰かに見せましたか」
「いいえ、誰にも」
「……そうですか」先生は眼鏡を外し、こめかみを押さえた。「それは良かった」
「?」
「このノートに書いてあることは——正しい。非常に正しい。それが問題なんです」
俺は首を傾けた。正しいのに、問題?
先生は窓の外を確認してから、声を落とした。
「魔法理論というのはね、アリアさん。貴族社会の根幹に関わっているんです」
話はこういうことだった。
この国では魔法の才能は「血筋」によって決まるとされている。名門貴族ほど魔力が高く、平民は低い。だから貴族が社会を支配するのは「自然の摂理」だという理屈だ。
しかし俺のノートには、こう書いてある。
『魔法の強さはイメージの鮮明さで決まる。才能ではなく、訓練で誰でも強くなれる』
「これが広まったらどうなるか、わかりますか」先生は言った。「平民でも魔法が強くなれる。貴族の特権が揺らぐ。数百年続いた秩序が——」
「崩れる」
「そうです」
俺は少し黙った。
そんなつもりはなかった。ただ魔法が使いたくて、使えないから仕組みを調べただけだ。世界の秩序をひっくり返そうなんて、これっぽっちも思っていなかった。
「……ノートを燃やしますか?」
「いいえ」先生は首を振った。「燃やしたくない。これは本物の発見です。でも——」
その時、研究室のドアが開いた。
ノックもなしに。
「失礼するよ、リード君」
入ってきたのは白髪の老人だった。学院長のグリード卿だ。入学式で壇上に立っていた、この学院で一番偉い人間。その後ろに、黒い制服の男が二人立っていた。
「アリア・フォン・シルヴェスト」グリード卿は俺を見た。「君のノートを見せてもらいたい」
笑顔だった。でも目が笑っていなかった。




