第十三章 夜
ベルタにて二日目の夜。
俺とルカは川沿いの野営地に陣取っていた。ルカが魔物を仕留めて、俺が炎魔法で焼く。完璧な分業だ。
肉を齧りながら、ルカが言った。
「なあ、アリア」
「なんですか」
「お前、たまに変な動きするよな」
「変な動き?」
「なんか……いちいち確認するみたいな。スカートとか、髪とか。慣れてない感じがする」
俺は肉を持つ手を止めた。
鋭いな、こいつ。野生動物みたいな見た目のくせに、妙なところで観察眼がある。
「……慣れてないのは事実ですね」
「なんで?生まれた時からその体だろ」
「まあ……色々あって」
俺は川の流れを見た。焚き火の光が水面に揺れている。
言うべきか。言わないべきか。
でも——スパイだったこいつが正直に話したんだ。俺も少しくらい正直でいいだろ。
「実はつい最近まで、別の体だったんです」
「は?」
「男でした。二十四歳の」
ルカが固まった。
「……どういうことだ」
「転生です。前の世界から死んで、この体に入ってきた。だからこの体の使い方がまだよくわからない」
ルカはしばらく黙って俺を見た。信じるか、信じないか、顔に全部出ている。
「……それ、本当か」
「本当です。信じてもらえないのはわかってますが」
「いや」ルカは首を振った。
「信じる。お前の魔法の使い方、この世界の誰とも違うから。前の世界の知識で考えてるんだろ」
「そうです。」
「なるほどな」ルカは少し考えてから言った。「じゃあ、今どのくらい困ってるんだ。女の子の体で」
俺は少し黙った。
困っていること。口にするのが恥ずかしいやつだ。でも——聞いてくれているのだから、答えよう。
「まず、服の着方がわからない。毎朝エマさん——学院に来る前に世話してくれてたメイドに手伝ってもらってたから、一人だと時間がかかる。ボタンの位置とか、紐の結び方とか」
「それだけか?」
「あと……街を歩いてる時、男の人に話しかけられた時の距離感がわからない。前世では気にしなかったことが、この体だと怖いと感じることがある。なんか……急に近づいてくる人とか」
ルカの顔が少し変わった。
「それは正しい感覚だ。怖くていい」
「でも怖がり方がわからない。どう対処すればいいのか。前世では関係なかったから」
「そっか」ルカは焚き火に枝を足した。「それ、俺もずっと考えてきたぞ」
「え?」
「俺も一人で旅してるから。女一人は狙われやすい。だからこうする」
ルカは立ち上がり、俺の隣に座った。
「まず、街では俺が外側を歩く。怪しいやつが近づいたら俺が間に入る。声かけてきたやつには俺が返事する。お前は無視でいい」
「……なんで、そこまで」
「仲間だろ」ルカはあっさり言った。「それと服は俺が手伝う。ボタンくらいなら余裕だ」
「助かるよ」
「山で育ったから、色んな人と暮らしてた。男も女も関係なく助け合うのが普通だった」
俺は少し黙った。
「……ありがとう」
「礼はいらん」
焚き火がパチッと爆ぜた。
俺はノートを開こうとして、やめた。今夜は書かなくていい気がした。
「一個だけ聞いていいですか」
「なんだ」
「俺が男だったって知って……変じゃないですか。気持ち悪くないですか」
ルカは少し考えた。
「変か変じゃないかで言ったら、かなり変だ」
「ですよね」
「でも」ルカは俺を見た。「今のお前はお前だろ。体が変わっても、中身がどうだったとしても、今一緒にいるのはアリアだ。それ以上でも以下でもない」
俺は返事ができなかった。
なんか——シンプルな言葉なのに、胸に来た。
元ニートは、こういう真っ直ぐな言葉に弱い。本当に弱い。
川の音が続いている。空に星が多い。
「なあ、一個俺も聞いていいか」
「どうぞ」
「前の世界って、どんなとこだったんだ」
俺は空を見上げた。
「魔法がない世界でした。でも便利なものがたくさんあって——ご飯は美味しくて、部屋は暖かくて、好きな時に好きなものを読める。俺はずっと家にいた」
「なんで」
「理由は……うまく説明できないけど、外に出るのが怖かった。人と話すのが苦手で、何もできない気がして」
「今のお前と全然違うな」
「そうですか?」
「今のお前は、一人で逃げて、魔法を自分で考えて、スパイだった俺を仲間にして。結構すごいと思うけど」
俺は少し考えた。
「……体が変わったのかもしれません。女の子になったのは正直まだ慣れないけど、なんか——怖いものが変わった気がする。前世では人が怖かったけど、今は人よりグリード卿の追手の方がよっぽど怖い」
「それはそうだろ」ルカが笑った。
「優先順位が変わったというか。怖いことが具体的になったから、逆に動けるようになったのかもしれない」
ルカはしばらく黙っていた。
「お前と話してると、なんか頭がよく回る気がする」
「それはよかったです」
「褒めてるんだぞ」
「わかってます」
焚き火が静かに燃えている。
俺はそっとノートを開いた。今夜の発見を書こうと思った。魔法じゃなくて、別のことを。
『今夜わかったこと:一人でいる方が楽だと思っていたけど、話せる人間が一人いると、かなり違う』
書いてから、少し恥ずかしくなってノートを閉じた。
「何書いたんだ」
「秘密です」
「なんで」
「実験記録なので」
「魔法と関係ないやつだろ、絶対」
「寝てください」
ルカがケラケラ笑った。
川が流れている。星が白い。
逃亡生活は続くが——一人じゃないのは、思ったより悪くなかった。




