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【試作】題名未決【書き溜めて更新】  作者: 永島大二朗
第一章 アルミッド王国編
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第二話 森に住む男

『誰だこんな所に。ばっかじゃねぇのかぁ? 死んじまうぞっ!』

 独り言にしては大きな声が洞窟に響いた。男の声。呆れたように。

 それもそのはず。洞窟の中で燻製を作っていた。ひと仕事終わって『明日には食えるかなぁ』と思いながら出て来たら、こんな所に食えないのが、少女が寝ているではないか。

 えっ。そういう意味でも違うよ。『まだ』って意味で。

 兎に角、さっきまで居なかったよね? 何だぁ?


 申し訳なさそうに……でもないか。口ではああ言ったものの、何せ第一感は『もう死んでるべ』であった。だからポケットに両手を突っ込んだまま、足先で生死を確認し始めるのも頷ける。

 一回。二回三回。ほらね。動かないでしょ? 当たりだわ。

 扱いが雑過ぎる。蹴られた本人がそう思ったのか。すると、何と言うことでしょう。薄っすらと目を開けたではないか。てことは『生きている』と。しかしそれでも男は溜息なのか。今日は何て日だ。

 最後の仕事が終わったと思ったらコレだ。んな『この状況』を歓迎する程暇じゃない。大体冬山で、考え無しに無謀な行動をするような輩を一時構ったとて、どうせ『反省する』なんてことはない。また繰り出すのだ。そしていつか死ぬ。だったら最初から『助けない勇気』も必要と心得る。誰も見てないし、見る必要もない。

 とは言え放置して、ここで『死体に変化クラスチェンジ』されても困る。何せここは、こう見えて『食品庫』であるのだから。

 衛生管理を万全にせねばならぬ場所。その出入口に、いつまでも死体が転がっていて良い訳が無い。ならば『もっと然るべき場所』に転がしておくべき。男は少女と目が合って足を止めた。

 生きているとなったら話は別。一応は『ご意見』を聞かねば。極稀にだが『殺してくれ』と嘆願されたことも、ない訳じゃない。


『寒く無いの?』『さ・む・い……』『だよねぇ』

 先ずは素朴な疑問を投げ掛ける。目を見て。すると少女は唇を震わせながら真顔で答えたではないか。これがもし『人を騙す演技』だとしたら、大抵の人は騙されるだろう。しかし男は騙されない。

 今の状況が、余りにも『有り得ないこと』だらけだからだ。


 きっと『良いトコのお嬢さん』なのだろう。それは判る。

 生地は安いがボタンは良い物を使っているし、何せ手縫い。襟元だって一見普通だが、良く見れば飾りのひだひだが。流行だとしても拘りを感じるし、年相応でおかしくはない。可愛い部類。但し、倒れている現場と、余りにも合っていない現実は無視出来ない。

 大事な娘なのだろう。それがこんな恰好のまま何故に外出の許可を出したのか。これは今の季節、明らかに『暖房の効いた部屋』での恰好だ。身なりから思うに、コートだって帽子だって、ちゃんと用意してやれたはず。それこそ可愛い感じのを。ねぇ。返事が無い。


 ならば考えられる状況はただ一つ。前日飲み過ぎて、服のまま寝てしまった。そして、ベッドから転げ落ちてココまで来てしまったと。そんな感じか。身に覚えがあるし、間違いない。

 んん?『お転婆娘が勝手に外へ飛び出した』だと? 違うな。その可能性は完全に否定する。しゃがんでみれば判るだろう。

 大体『この臭い』は、何日も風呂に入っていない証拠。既に香水で抗う域を超越していて香しきなり。見事な仕上がり具合だ。

 靴がこんだけ泥だらけになるまで野山を走り回ったら、そりゃもう絶対風呂に放り込まれるだろうよ。この御髪の乱れようったらありゃしない。この汚れ、七日分なのか? なのか。なのか。なのか。

 そう推理して男は顔を上げた。頂きの先に『家』を探して。

 しかし何処にも見当たらない。スタート地点となるベッドも。

 ならば『随分遠くから落ちて来たな』と思うことにして解決。

 転がって来たルートさえ判らないのは、降り続く雪のせいだ。


『お父さんお母さんは?』『……』

 声色だけは優しく少女に語り掛けた。こうなったら、本人に聞くしか無かろう。しかし少女は唇を噛み答えに窮している。

 男は思った。二つ同時に聞いたのがまずかったか、それとも助詞、この場合『並列助詞』を省いたのがまずかったか。女子だけに。


『あれま。一緒じゃないの?』『コクリ』『そぉおぉ』

 家出少女か。であれば何故今なのか。ココなのか。何があったのか。男は溜息混じりに頭を掻く。面倒だ。実に面倒である。


『た、た・す・け・て……』『何だぁ。しょうがねぇなぁ……』

 最初に『寒い』と伝えた後は口を閉ざし、後は目も開けられなくなったか、僅かに首を横縦に振るのみ。それが何ともまぁ、健気と言うか哀れと言うか。か細い声で言うじゃないか。一音づつ。

 男は尚も『早く帰って飯食おう』と思っていた矢先だった。それが『これを蚊の鳴くような声と言う』の解説に変わる。

 そして、少女の襟元に手を掛ける。


『ビリビリッ』『こんな格好で冬山来ちゃダメだよぉ』『ビリッビリッ』『しかもビショビショじゃなぁい。良く生きてたねぇ』

 多分仕立ては良いのだろう。それでも簡単に破ける程薄い服。まぁ、お気に入りか聞く前に破いてしまったが、悪いとも思わぬ。

 言っとくが、脱がせる前から体に張り付いて、下着が透けて見えていたのだ。それでも追剥は『体』より『コート』を選んだ。そう考えれば、特段価値があるようには見えぬし、思わぬ。

 男は少女の体を起こし、手拭きで背中を拭いてやる。


『はい。これ着て。動ける? もしもーし。動けますかー?』

 直ぐに上着を肩から被せた。掛けただけだと寒いだろうから、袖に腕を通して欲しい。しかし男は子供の扱いに慣れていないのか。それとも少女のか細い腕を掴み、無理矢理に袖を通そうものなら『ポキン』と折ってしまう。そう思ったのか。袖を掴んで揺するばかり。

 すると少女は片目を開けた。背中に暖かい服。頭の上から声が聞こえる。指し示された袖。あそこに腕を通すのか……。

 動き始めたらしめたもので、男は少女の腕を補助しながら袖を通して行く。左。右。抱き上げて前を閉じる。靴を脱がすと案の定壊れていて、その場に打ち捨てた。持っていた手拭きで足を拭いてやると、それをひと嗅ぎ。無音で『臭っせー』とほざく。もう足に巻き付けるより仕方がない。濡れているよりマシだろうし。


『じゃっ、おじさん家に行くよ?』『コクリ』

 本当は『お兄さん』と言いたい。そんなお年頃である。

 立ち上がってから『あぁ、俺ん家って言えば良かった』と思うが後の祭り。次の機会があればそう言うことにして、男は走り出した。

 抱き抱えて判ったが、少女の体全体が既に冷たい。これだと肉食獣の餌にするにも、お腹を壊してしまうレベルか。

 途中で死んだら上着は回収しないと、この冬はやってられない。


「おい待てっ! 姫を返せっ! 返せぇ~ 返せぇ~」『ザーッ』

 走り出して直ぐ、喚き散らしている女の姿が目に入った。雪女?

 語尾だけが山に響く。しかし男の耳には小川のせせらぎ。今は濁流の響きだけが耳に残る。何あの女。いきなり叫び出して。怖い。

 取り敢えず、何を言ってるのか解らないので無視。それに遠目に見ても、これまた『冬山を舐めている』ような恰好ではないか。

 冬山に来て『金属で体を覆う』とか、自殺願望なの? 頭が痛い。

 少なくとも、この子の両親じゃないんだろうし、デカい声出して喚く元気も有りそうだし、悪そうなのは足と頭位で、全体的には大丈夫そうに見える。ここはシカトだシカト。じゃぁねぇ~。


『ガシャンッ!』『あっ、コケた。痛そぉ……。ま、いっか』

 口では冷たいことを言っているが、忘れなければ後で助けてやる。

 そう思っていたことにして、男は走り出す。今はコッチよ。

 大体、無理に岩なんか登ろうとするから。コケた衝撃で義足、だったの? 何か取れちゃったみたいだし。でもまぁ、これで暫くは大人しくしているだろう。先を急げ。


『ザッ。ザッ。ザッ』「エスティ……」『ザザッ』

 男は立ち止まる。少女の目が薄っすらと開いていた。顎を引き、川の向こうを見ている。腕を伸ばしてはいるが、届くはずも無く。


『知ってる人?』『コクリ』『助けたい?』『コクコクッ』

 男は聞いてはみたものの、口をへの字に曲げていた。

 この少女は我儘なのか? 自分が死にそうなのに、元気な方を『助けて欲しい』と願っている。アンタ、このまま雪の上に置いてだね、対岸のエスティとやらを助けに行ったら、戻ってくる頃には死んじゃうかもよ? 判ってる? それでも行くの?


『だい、じ……』『大切な人なの?』『コクッ』

 愛想笑いか。それとも大事な人との思い出が瞼に浮かんだか。兎に角笑顔になって息絶え、てない。まぁ、このまま死んでも仕方ない状況だし、助けに行ってやるしかないのか?

 問題はあの『エスティ』ってのが助かって、『こっちの少女』が死んでしまった場合だ。相当面倒なことになりそうなのだが。

 男は辺りを見回して、低く平らな岩の上に少女を置いた。ここなら寝返りをうっても転がっては行くまい。


『じゃぁ、ちょっと待ってなっ』『ありがとう……』『……』

 まだ喋る元気があったか。男は元来た道を勢い良く走り始めた。

 しかしそれは、ほんの数歩だけ。川岸まで来ると、一気にジャンプ。空中で三歩半歩き、対岸の雪の上に両足で着地。ちょっと飛び過ぎたか。本来なら背中を地面に付けて『クルン』とやるところを、今は片手でやり過ごす。上着が無いからそれなりにって訳。

 平然と歩き始めると、先ずは壊れた義足を拾い上げた。一目見て『使い物にならん』と判れば、それを思いっきり滝の方へ投げる。耳を澄ませても『バシャン』と音がしない。代わりに『ガゴンッ』か。どうやら滝壺を超えて河原に落ちたらしい。知らん知らん。


『もしもし? エスティさん?』「うううぅ…。姫……」

 急いで助けに来たと言うのに、話が分からないらしい。

 遠目に見て髪の長さから『女』だと判ってはいが、近付いてみるとやっぱり女だ。しかしこんなになるまで何があったんだか。


『ちょっと手荒なことしますよー』「き、貴様いつの間に……」

 運が良いことに頭は打ってなさそう。何を言っているのかは判らないが、口先だけは達者であると判る。しかも高圧的態度。さっきの少女と違って、およそ『助けて』とは言わなさそうな。


『あぁ、もうちょっと大人しくしていて下さいね』「貴様、姫をd」『何だ。酔っぱらってんの?』「姫を、姫を何をしゅるっ!」『はいはい。今急いでるんでね。冷てぇ。あぁもぅ』「ヤメロッ!」『今はね』「離せっ!」『緊急時』「うわぁ!」『なん』「剣がっ」『です』「私のっ!」『よっ!』「ヤメッ」『ブンッ!』『とぉっ!』

 男はエスティを放り投げていた。かなり雑に。


「うわぁあぁあぁあぁっ!」『何だ。意外と元気だなぁ』

 正直『肩』は良いとして、持ち易そうな理由だけで『左足』を持つなんて。義足が擦れて血が出ていたであろうに。エスティもそこには触れなかったが、『そこですか』と言われても仕方ない。

 しかし男の顔を見るに、罪悪感の欠片も無さそうである。向こう岸で今度は狙い通り『ドサッ』と雪上に落ちる音がした。

 残された両手剣に目をやる。『フィアース・フレイムズ』だ。男はそれを片手で拾い上げると高く掲げた。戦利品と思ってか、両面を隈なく観察している。と思ったらポーズ。逆側も。完全に格好付けているだけ。するとはめ込まれたスピネルを見て、実に満足そうに笑った? いや違う。放り投げた方向を見て、首を竦めたではないか。どうもエスティに何か言いたいらしい。

 すると男は両手で剣を持ち、直ぐさまブンブンと振り回し始めた。

 この男、剣の嗜みもあるのか。まるでエスティに『こうやって使えば良かったのに』とでも言いたげ。と、そのときだ。


『ポキッ!』『えっあっうぞっ!』『ガシャン!』『あぶね……』

 丁度真上に来たときだったのもあるだろう。慌てて逃げ出す。

 真っ二つに折れた刀身は男の直ぐ横をかすめ、岩に当たって跳ね返った。それも運良く逃げ果せた男は、遂に唇を尖らせる。

 きっと『折ったのは俺じゃない』と言いたいのだろう。折れた剣先を拾い上げると、それも義足と同じ方向に投げ飛ばしたではないか。証拠隠滅にしては雑な手法だ。しかし、男は投げてから思ったのだろう。急に身構えた。


『ブーメランみたいに戻って来るとか?』

 その心配は無かったようだ。男は宝石さえあれば良いと思ったのだろう。片手に持って走り始めた。そして岩山を登り、そのままの勢いでジャンプ。小川の上で再び空中散歩。三歩半。

 帰りの方が高さのギャップがある。かなり勢い良く飛んだが、着地地点はギリギリであった。しかしそこは、半身となってしまったフィアース・フレイムズの出番だ。

 雪壁に突き刺して体を保持すると、如何にも『最初からそうするつもりでしたけど』な顔に。平然と歩き出す。しかし二人目か。

 元の場所に戻って見れば、エスティが少女の傍に這いつくばい、折角着せた着衣を脱がそうとしているではないか。何してるの。


『はいはい。大人しくしててね』「何をっ!」『ヨイショっと』「こら降ろせっ! 姫っ! 姫っ!」『ピーピーウルセェッ! 大人しくしてろって!』「……」『全く。んなヨイショっと』

 男が声を荒げたからか、それとも少女を丁寧に抱き抱えたからか。一旦は大人しくなった。腹を下にして肩に担がれて、何を喚く。

 しかし実際の所はちょっと違う。男が左手に持ち替えた剣の柄が、自身の背中に突き立てられたからだ。愛刀が半分になっているのにも驚いたが、それで殺傷能力が半分になる訳ではない。


「どこへ行く?」『しっかり掴まってろ』

 相変わらず互いの意思疎通は出来ていない。しかしエスティも、そのまま黙るしかなかった。男が物凄い勢いで走り始めたから。

 何か喋れば、舌を思いっきり噛んでしまうだろう。

 結局、少女の容態がより悪くなっただけ。もしこのまま死んでしまったら、少女が『私は良いから、エスティを助けて』と、言ったことにしてしまおう。涙ながらに。

 説明はかなり難儀しそうだけれど、今はそれしか思い付かない。


『バタンッ!』『ミーコッ風呂っ! 風呂だ風呂っ!』

 扉を開けたのと同時に叫ぶ。正にこれが開口一番だ。

 出迎えたのは、拾った少女より少し年下であろう少女。名は男が叫んだ通り『ミーコ』だ。目を丸くしている。

 何せ『燻製を作って来る』と出掛けて、持ち帰った『完成品』がソレだったからだ。しかも風呂と来たもんだ。


『ご主人さま『塩抜き』ですか?』『何を言っとるんだ』『ドサッ』

 ミーコは子供の割に気が利く。だからある程度の仕事を任せてはいるのだが、勘違いが多いのも確か。男はエスティを降ろしながら剣をテーブルに置き、エスティは床に転がす。


『完成した燻製は塩抜きなんかせん』『ですよね。じゃぁ……』

 ミーコは折れた剣はおろか、エスティにも関心を示さない。

 それより『まだ風呂の時間じゃないのに』が優先か。そりゃぁ何でも知りたがるお年頃だから仕方ない。


『だけど風呂ッ!』『ハイィィッ!』

 ミーコは男に一喝されて、ピョンと飛び跳ねた。そして奥へと走り出す。扉の向こうは台所。床に散らばっていた物を片付け始めた。

 その間に男は、テーブルの上に置いた剣を壁に掛ける。壁には他にも沢山の剣があって、種類も様々。どうやら男の趣味らしい。


『ジャガイモの皮むきをしてまして』『どんだけ剥いてたんだ』

 片付けて直ぐ床の蓋を開けた。変わった作りの家だが、台所の下が納屋になっていて、そこにボイラーと風呂がある。


『お先に』『温めで良いぞ』『温めで?』

 ミーコが梯子を下りたかと思ったら、ヒョイと顔を出す。

 早く行けば良いのに、何か疑問があると直ぐに戻って来る。


『風邪引きますよ?』『俺が入るんじゃない』『ちょっ!』

 だから馬鹿なことを言っている奴は足蹴じゃ。

 確実に狙ったつもりだが、ミーコは難なく避けて梯子を下りる。納得はしていないが、蹴られるよりはマシ。しかし急がねば。

 まだ降り切ってないのに、男が梯子から降りて来たではないか。このままでは頭を踏まれてしまう。


『ならばご一緒に?』『違うわ』『大きい人もですかぁ?』『そうだよ』『入るんですね。エッチ』『違うって言ってるだろうがっ!』

 普段『どういう風呂の入り方』をしているのか。ミーコは知っているようだ。少女を肩に担いでいるから『追い掛けて来ない』と見ての言い草だろう。あどけない顔をして抜け目のないガキだ。ボイラーの栓を操作しながら『嘘付け』とニヤニヤ笑っている。

 出て来たお湯をチラっと触って顔を顰めると、直ぐに水を出し始めた。あぁもしもし? 冷やしている方の手が逆。あっそうそう。


『バスタオルだ』『エロタオルですね。白いの。良いんですか?』

 スノコの上に置いた少女から、上着を剥いだ所だった。

『良いんだよっ! 何を気にしてるんだぁ?』『いいえ。何もっ』

 引き出しからふわふわのタオルが出て来た。ミーコはタオルの『本来の使い道』を知っている。だから勢い良く『バッ』と広げた。


『お湯で濡らせ』『いきなりですか?』『温めるんだよっ!』『だったら頭から放り込んだ方が?』『死んじゃうだろ』『そうなんですか?』『お前も覚えてろ』『はぁ。でも、もう死んでません?』

 脱がせたから、ではないだろう。男は直ぐに脈を取る。そして黙って腕を振った。『早くしろ』だ。ミーコは直ぐにバスタオルをお湯で濡らすと『アチアチ』言いながら絞る。そして、自分で持っていられなくなって、少女の方に放り投げた。


『馬鹿たれがっ。もう一枚出しとけ』『良いんですか?』『良いんだよ。何を心配してんだお前はっ!』『いえ別に』『バサッ』

 ミーコは男の頭上にバスタオルを置いた。確かに床は濡れているし、男が手の届く範囲で置くとしたら、そこしかない。


『白湯を用意しろ』『さゆ?』『お湯のことだ』『ならお湯って』『あぁあぁ一度沸騰させて、人肌に温くした奴なっ!』『なら『ぬるま湯』って。『さゆ』じゃワカラナイデスヨ』『解れ勉強しろ!』

 ミーコは聞いてない。さっさと梯子を上って行ってしまった。

 しかし言われた通り白湯は持って来ている。当然『少女に飲ませる』のも解っているのだろう。『吸い口』を用意していた。気が利いているじゃないか。それを男に『ホイッ』と渡す。


『お前が飲ませるんだよ』『嫌ですよぉ。誰なんです? その子』『知らん』『知らんってそんな。どうやって説明するんですか?』『助けてって言わらたら、しょうがないだろぉ』『えぇえぇぇ?』

 少女は何とか飲んでくれたか。しかし相変わらずぐったりとしている。男は吸い口をミーコに返すと『お代わり』を要求。そして『こっちに来い』と指示した。そして自分は少女を抱えて立ち上がる。


『上の女、引っ張って来るから、お前が飲ませろ』『はい』

 渋々頷く。どうもミーコは『連れ込んだ女二人』が気に入らないらしい。そりゃそうだろう。雪の降りしきる夜、折角『男と二人っきり』だと思っていたのだから。文句の一つも言いたくなる。

 男は頭の上からバスタオルを取ると、それを少女の背中に敷いてやって、背中はミーコに任せる。その上で、濡れたバスタオルを湯船に浸けると、やっぱり『アチチ』言いながら硬く絞る。

 今度はそれを体の上から掛けて、少女の顔色を伺う。


『ワオォォォンッ!』『ありゃ?』『ルナですかね?』『いや、カイエンの方だろ』『えぇ? またですかぁ?』『しょうがないだろ』

 忙しいときに限ってこれだ。ミーコは当然として、男も嫌そうな顔になったではないか。理由はいずれ判る。男は急いで梯子を上る。

 そして直ぐにエスティが現れた。それを見たミーコが思わず驚く。

 何故なら、頭から逆さまになって現れたからだ。多分、その方が『通し易い』と思ってのことだろう。もしかして、仕留めた鹿とか猪と一緒の扱いか? 血抜きするにしたってもうちょっと丁寧だろ。


『そっちの女、ダメだったんですか?』『いや、ちょっと黙らせた』『えっ、殺したんですか?』『違うよ。またワーワー言うと面倒だからってだけ』『ホントに?』『殺すんなら、わざわざ家に連れて来るかよ』『それもそうですね』『全部飲んだら呼び掛けてみろ』『はい。もしもしお嬢さん? もう閉店ですよ?』『どう言う呼び掛けなんだ』『何でもイイじゃないですか。ほら気が付いた』「エスティ……」『おっ』『ゴンッ』『どれ?』『あっ、痛そう』『兜あるから大丈夫だ』『その人がエスティ?』『そうだよ』『今ので死んだんじゃないですか?』『だったら『それまで』ってことよ』

 男は少女の顔を覗き込んだ。しかし再び混沌としてしまったか。

 ミーコの頭をペチンと叩いて『寝てんじゃねぇか』と指さす。随分と理不尽だが、男は普段からこんな感じだし、実はミーコもこんな感じだ。お互い『慣れっこ』と言うことで万事お茶である。


『良いか? 意識がハッキリしたら、風呂に入れてやれ』『私がですか?』『そうだよ。赤ん坊いれたことあんだろ?』『ありますけど、二人共、私より大きいじゃないですか』『だから意識がハッキリしてからな。良いか? 無理して入れるんじゃないぞ?』『はーい』『じゃぁ頼んだ』『ちょっと!』『んん?』『ご主人さまはどちらへ?』『外見て来る!』『えぇえぇ』『お前なら大丈夫だ』

 男は行ってしまった。そしてご丁寧に床の蓋まで閉めて。

 男は台所の荷物を移動させると床の蓋を塞ぐ。そして誰も見ていないのに、辺りをキョロキョロしてから扉を閉めた。

 外に出ようとして男は立ち止まる。上着を下に置いて来たままだった。しかし取りに行こうとして止めた。代わりに、捨てようと思っていた古い上着を取り出すとそれを着込む。随分と臭いを気にしている様子ではないか。説明する方が思わず鼻を摘まむ程に。

 男も同じく。しかし決心すると吹雪の中へと飛び出して行った。


「ちきしょう。何処へ逃げやがった」「こう雪も激しくちゃ、足跡だって判らねぇや」「簡単に埋まっちまうな」「埋まるのは足跡だけじゃねぇ」「だとしたら俺達も、そろそろやばくないか?」

 団員達の士気は低下していた。下り坂とは言え、雪の行軍である。足元がおぼつかない。それもそうだ。

 元々雪がある所に来るなんて想定もしていなかったし、もっと早く捕まえられると思っていた。手こずらせやがって。


「団長、向こうの方が軽装だし、怪我も負ってますよね。もう『死んだ』ってことにして、引き揚げませんか?」「うーむ」「団長ぉ」

 呼び掛けられて団長が歩みを止めた。全体、止まれ。ピッピ。

 すると少し前を歩いていた団員も直ぐに足を止めた。戻って来るまでの間、団長は手を顎に添え考え続けている。


「証拠の品が無いとな」「うへぇ」「要りますかね?」「上がなぁ」

 ポツリと放たれた団長の一言一言が、聞く団員に突き刺さる。

 心配は判る。しかし、ここは既に夜の森である。しかも雪。追跡部隊の軍装と違い、姫は『街中の服装』であった。それで何処まで逃げ切れるかなんて判ったものじゃない。このまま引き返しても、確実に死んでくれるだろう。希望的観測だが、かなりの高確率で。


「血の跡も判らなくなっちまいましたし」「お前臭いで判るか?」「無理言ってんじゃネェよ。もう寒くてガチガチで何も判んねぇ」

 既に冗談なのかマジなのか怪しい。聞いた方も聞かれた方も。

 しかし団長は咎めない。まだ考えていたからだ。『あの状況』で助かるかどうかを。手応えは確かにあった。今も感触が残っている。


「また魔獣が来たらどうします?」「そうですよ。あの大きさです。『一人で腹いっぱい』って保証は、何処にも無いですよ? 団長!」


『ワオォォォンッ!』「うわっ!」「近くに!」「隊長っ!」

 鳴き声一つでこの乱れよう。およそ『精鋭部隊』とも思えぬ。

 しかしそれは、彼らを正しく評価したとは言えないだろう。少なくとも剣の腕は達者で、国境の雪山を超える能力があり、今もこうして存在して居られるのだから。多少の乱れは多目に見て欲しい。


「戦闘配置! 円陣に。怪我をした者を中に。早く!」「はっ!」

 少し前まで『引き返そう』とか『休憩したい』と思っていようと、それは表情に留めるのみ。彼らは団長の号令通り、素早く動くよう訓練されている。訓練されているのだが、こんな状況は訓練メニューには無かった。これから追加されるかは生きて帰ったらの話だ。考えなくていい。今は枝一つ揺れる動きに神経を尖らせる。


『パキッ』「こっちだっ!」「来るぞっ!」「いや待て。落ち着け」

 小さな物音。風かもしれない。またパキっと。身構える。

 さっきの大狼が来るなら枝なんかじゃ無くて、木の幹が揺れてもおかしくはない。実際先の戦闘では、戦った場所の木が次々となぎ倒され、すっかり開けてしまった位なのだから。


『お前さん達、こんな所で何やってんだ? 死ぬぞ?』「誰だ!」

 現れたのは巨大狼ではなかった。年の頃三十台の男か。呑気に近付いて来る。当然、戦闘配置のままだ。全員が切先を向けた。

 しかし男は、声が届く範囲で歩みを止めた。山仕事でもしているのだろう。作業用の恰好で毛皮を被り、頭には傘。追跡部隊と違い、一般民にしか見えないが、雪が降っているのを知っていて出掛けて来たのだろう。特に『寒い』とかは感じてはいなさそう。しかしこう言っちゃぁなんだが、こんな山奥で何をしているのか。解せぬ。


『聞こえねぇのか。死ぬぞって言ってんだ』「おい、何言ってんだか判んねぇよ」『でっかい狼に食われちまうぞ。こうパクパクっと』

 言葉は全く通じないが、男のジェスチャーで言いたいことは判った。両手を広げて『大きな何か』と、手と口で『パクパク』って。

 既に経験済である。判らぬはずはない。しかし再び疑問が。

 一見無防備にも見える男だが、自分の心配をしたことは無いのだろうか。落ち着き払った態度に、隊長は左手を上げ剣を降ろした。


「自分はアルミッド王国の近衛騎士団団長の」『あぁ、何言ってっか判んねぇ。あんた偉い人?』「そうだ。俺が団長だ」『あっそう。まぁ、その恰好だと、山向こうから来たんだろうけど』「そうだ。向こう」『早いトコ頑張って帰った方が良いぞ? 帰れ。判る?』

 互いに文明人らしく言葉を発しているのだが、結局はジェスチャー頼みとなってしまっている。それでも意味は通じたらしく、団長が頷いた所で男は帰ろうとしたではないか。いや、安心したのかよ。


「ちょっと待ってくれ。御覧の通り怪我人がいる」『あぁ、結構やんちゃしたみたいだなぁ。でもまぁ唾つけときゃ直るだろ』「夜も更けて来たし、暖を取りたい」『考え無しにウロウロしてっからだろ。雪は明日には止むだろうし、それまで生きてられたら帰れよ』「何か食料なんかも分けて貰えると助かる」『ここで飯食ってくの? あぁそう。良いけど、飯食ってる暇があったら、サッサと帰った方が良くないか? それとも『美味しく食べて』てか? 判らん』

 呼び止められて、男は確かに振り返っていた。団長と目を合わせ、再びジェスチャーも交えての意思疎通が図られている。

 しかし今度は団員達が首を傾げ始めた。団長の横に来てヒソヒソ話か。いや違う。どうせ通じないのだから普通の声だ。


「団長、何か通じていないような気がしますけど」『何だ。まだ相談か?』「あぁ、残念ながら俺もそう思う」『飯食うなら早くしろ』「どうします? 剣で脅して、コイツの家に連れて行って貰いましょうよ」『じゃぁ俺は寒いから帰る』「最終的にはそうするが」『いや寒っむ。帰ってホットミルクでも淹れるか。じゃぁな』「ほら団長、手振って行っちゃいますよっ!」「ちょっと待ってくれっ!」『ワオォォォンッ!』『あっ、遅かった』「うわっ出たぁあぁ!」


 予想通り『カイエン』の方だった。えっ? そうじゃない?

 木を押し分けながら現れた大狼を見た反応が、男とそれ以外では違い過ぎる。剣を抜きつつ後ろに下がったのに比べ、男は丸腰のまま大狼に近付いて行ったからだ。まさか自ら食われに行ったとか?


『何だカイエン。お前また何か、変なモン食ったんじゃねぇだろうな?』『ワオォォォンッ!』「うわっ」「ヒィッ」『判んねぇよw』

 どう見ても『会話している』ようにしか見えないが、男は別に大狼と話が出来る訳ではないらしい。親し気に歩み寄ってはいるが。


「あ、あんたが飼ってるのかっ!」『んん? あぁコレ? 野生w』「じゃぁ、大人しくさせてくれ」『夫婦でね。雄の方が、時々家に来んの』『ガルルルゥ』「こっち向いた」『餌の関係でね』

 奇跡的に会話として成立しているように思えるが、本当の所は違う。団長は早いトコ追い払って欲しいし、男は無駄に手を出さないで欲しいと思っている。後で面倒なことになるのは確実だから。

 しかし変な絵面だ。丸腰の男が大狼の口先で笑っているのだから。


「食われるぞっ!」『結構デカいでしょ。ほら、歯もこんなに大きくて』『カプッ』「あっ」「言わんこっちゃない」「食われたっ!」

 多分弓手のジョンも『こんな感じ』で食われたに違いない。男の上半身は大狼の口にすっぽりと入っていて、下半身だけが出ている。

 そして振り上げられて『ごっくん』と、行かない? のか?


『おいっ! やっぱり変なモン食ってんじゃねぇかっ!』『グフォ』

 ヨダレにまみれた男が口の中から帰って来た。手に持っているのは『肩当』だろうか。兎に角、ジョンが装備していた鎧の一部だ。

 それを持って、男は目の前の団員達と見比べる。成程。多少のデザインの差はあるが、どうやら食ったのは『奴らの仲間』らしい。


『誰か食われた?』「うん」ん」ん」ん」ん」『あっそぉ。道理で』

 一斉に頷く団員達を前にして、男が両手を合わせてお辞儀した。

 男としては『ご愁傷様』かもしれないが、言葉の壁はまだ高く、勝手に『ごめんなさい』と受け止められてしまう。団長が一歩前へ。


「ごめんで済むかっ! 食われたのは俺の甥っ子だぞっ!」

 この世界、貴族同士で養子縁組なんて良くあることなので、顔も名前も似てないけど『甥っ子』なんてのは良くあること。

 だから団員達もそれを聞いて『道理で』と酷く納得だ。


『だから飯食ってないで、早く逃げろって言ったんよぉ』

 既に男の顔から『弔いの表情』は消えていた。今は明るい。

 団長にしてみれば『飼い犬の面倒も見れない愚かな奴』のレッテルを貼りたくもなる。


『ガルルゥ』『お前もお前だ。昨日飯食わせてやっただろうに……』

 軽く吠えられただけで団長は二歩引く。さり気なく団員より後ろに下がった。こうして団長は、今まで生き延びて来たのだろう。

 男は笑う。それ所か、大狼の腹を撫でながら歩き始めた。そして腹の所まで来て立ち止まる。そこで入念に腹を触っているのだが。


『オリャッ!』『キャイン! ゲフォゲフォッ。ビシャー。ボトッ』

 何をした? もしかして今のは『治療』だったのか?

 ジャンプしながら拳を突き上げた男は、見事大狼の腹に一撃を食らわせていた。すると、つっかえていたモノが飛び出したのだろう。口からキラキラとしたものが出て来たではないか。

 そしてその中には、さっき食われた弓手のジョンがぐったりとした状態で現れた。思わず団長が団員を押し退けて駆け寄る。


「ジョンッ!」『まだ出て来るんだったら、もう一発食らわすぞ?』

 方やジョン。方や大狼に話し掛けている。どちらも返事がない。

『クゥゥン……』『よーしよしよし。全部出たな。良いか、金属の鎧は、幾らお前でも消化出来ないんだから、食うんじゃねぇぞ? 解ったか?』『クゥゥン』『全く。お前はホント食いしん坊なんだから。ちゃんと食うモン選べよ?』『クゥゥン』『まぁ、良かった良かった』「ジョンッ! 目を覚ませジョンッ! ジョンッ!」

 ホッとしたようにも見えるカイエンと、笑顔の男がじゃれている。カイエンが大きな舌で『ベローン』とやると、男は『うへぇ』な顔をしつつも、嬉しそうではないか。まるで飼い犬と飼い主だ。


「お前の従魔なのかっ!」『んん?』「コイツはお前の従魔か!」『違う違う。ただのご近所さん。解る? こんなでっかい狼、二匹も養えないからw 見りゃ判るでしょ?』「だったらジョンを何とかしろっ!」『何々? コイツ、あんたの仲間?』「そうだ。甥っ子だ」『いつ食われたの?』「は? 後ろからガブッとだよ!」

 お互い都合の良い解釈になっているが、男はニコニコ笑っているばかりで、責任感については微塵も感じられない。寧ろ『遺品回収できるだけマシだろ』な感じにも見えて、不愉快極まりない。


「お前の狼がやったんだろっ!」『大体こーゆーのは、蹴っ飛ばせば気が付くんだって』『ガッ』『あっ』「おわぁぁっ!」「団長!」

 転がっているジョンを蹴ろうとした男だが、そこへ団長が立ち塞がった形になりヒット。結構な距離を転がって行く。団員達が二手に分かれ、一方は団長を助けに。もう片方は男を取り囲もうと、しない。出来る訳なかった。大狼にグッと睨まれてしまったから。


「貴様っ!」『大丈夫か? 今のはお前さんが悪いんだからなw』

 遠巻きに吠える団員を無視し、男は団長を指さして笑うばかり。

 改めてジャック目掛けて蹴り上げる。

『ガッ』『ホレッ。起きろ』『ガッ』『風邪引くぞっ』

 一応『優しく』なのだろう。ジャックは団長のように飛んで行かない。ポケットに手を突っ込んでいるのは手加減の証か。

 そこへ蹴り飛ばされた団長が、団員に支えられながら戻って来る。これだけの人数が居れば、男を取り押さえて剣で脅すことだって出来るだろう。そう考えてか、剣に手を掛けているではないか。


『ガッ』『飯の時間だぞ』「ゲフォッゴフォッ……」『フッ。食われた分際で今ので起きるたぁ、随分と食い意地の張った奴だなぁ』

 半ば呆れながらも状態を診ようとした男だが、駆け付けた団長に押し退けられる。男は笑いながら一歩引く。別に助ける義理はない。


「ジョンッ!」「ゲホッゲホッ」「大丈夫かっ!」「うぅぅ……」

 団長はねっちょりとくっ付いている何かを掻き分けて、先ずは気道の確保。そして肩、頬をペチペチ叩いて正面から目を見る。


「ここは一体……。もしかして、団長も食われたんですか?」

 まだ混沌としている。そりゃそうだ。今まで暗い胃袋の中に居たのだから。しかし弓手も『身体強化』とか使えたのか。食われても尚『自分を守る術』を発動していた。若しくは余程暴れたとか。

 素人目に見ても、カイエンの顔が『スッキリしたぜぇ』になっていることは否めない。吐き出したことに後悔はないようだ。


「何を言ってる。外に出たんだ」「外に?」「そうだ。外だ。いやぁ一時はどうなるかと思ったが、良かった良かった」「じゃぁ、あの化物を倒したんd」『フーッ』「うわぁあぁあぁっ!」「落ち着け!」

 感動の再開が一転。修羅場である。視界にカイエンの口が見え、そこから息が吹き掛けられたからだ。生暖かい風。見覚えのある。

 顔を上げた団長はカイエンと目が合った。しかしカイエンは直ぐに首を曲げる。男の方を向いて、それから口先で団長を指す。


『そいつも食っちゃダメw。腹壊すぞww』『ワオォォォンッ!』

 団長はたじろぐ。言葉の壁はあるが、意味は理解した。

 今確かに『食うな』と止めたのだ。この男、やはり大狼を手懐けていやがる。だとしたら、こちらが圧倒的に不利ではないか。

 この状況を切り抜ける方法を考えねば。せめて自分だけでも。


「うわぁあぁあぁっ!」「何だっ! ヒィッ!」『おぉ、ルナァ』

 現れたのはもう一頭の大狼だ。木の間から静かにやって来ていた。

 慌てる人間共には目もくれず、落ち着いた表情で歩み寄る。しかし一定の距離を保って止まった。ある意味『見易い位置』である。

 団長は二匹の大狼、そして男を順番に見るしかない。見比べれみれば、新しく現れた方がやや大きいではないか。おいおい。何とかしてくれるんだろうな。『順番に食われろ』なんてのは御免だ。

 すると男が一歩前に出て、右手をスッと上げた。


『ルナ、俺は『変なモン』食わしてないからな?』『フーッ!』

 団長には、男が『ルナと話をしている』ように見える。何らかの交渉が出来るなら『食うのは止めてくれ』と頼みたい。

 しかしジェスチャーから理解出来たのは別のこと。『ジョンを与えたのは俺じゃない』だと! 責任転嫁も甚だしいではないか。

 団長は男に話し掛けようとするが、出来ない。

 怖かった。ルナの目が。目を吊り上げ、疑い深く息を吐き、怒りを自制しているようにも。まるで旦那と一緒に悪さをしている悪友を見つけ、呆れつつ、一緒に懲らしめているような……。


『フンッ!(行くよ)』『キャイィィン(はい)』

 突然ルナが首を振った。振った先は森の奥。横目にカイエンを見て。するとカイエンが飛び跳ねて後に続く。もう団員達なんて『食えない生き物』としか見ていなさそうではないか。殺す価値もない。


『ハハハ。ざまぁ。ルナにたっぷり叱られろw』『キュゥウゥン(そりゃねぇぜ)キュンキュン(助けてくれよぉ)』『助けただろ。大体おめぇが勝手に食ったんだろw 俺はいつも言ってるぞ?』

 今度はカイエンと男の会話か。するとルナが振り返った。


『キュン(解体s)』『ワオォォォンッ!(何してんのっ! 早く行くよっ!』『キャイィン!(ハイ!)』『もう叱られてやんのw』

 三匹。いや二匹と男の会話が判ったようで団長は複雑な面持ちだ。

 笑顔で見送った男に歩み寄ると、ペコリと頭を下げた。


「今夜はお宅に泊めて貰えないだろうか」『えぇ。ヤダよぉw』

 笑っちゃいるが『快諾』ではない。いや、許可なんか一つも出ていないと解る。男が背中を見せて歩き始めたからだ。すると団長は男の前に回り込んで、両手を合わせ始めたではないか。

 およそ人に『お願い』なんてしたことのない団長が、である。


「頼むっ! 体力の落ちている者、怪我人も居るっ! だから一泊だけでも泊めて貰えないだろうかっ!」『そんなの知らんがなぁ』

 事情は見れば判る。しかし、この森には『ルール』があるのだ。故に一歩でも足を踏み入れたからには、相応の覚悟とルールを守って貰わねばならぬ。そもそも『見ず知らずの者』を、守らなければいけないルールなんて、この森には存在しないのだ。

 大体だね。余りにも不味くて吐き出されたような奴を、何故に自分が面倒を見なければならぬのか。男には意味が判らない。

 それでも、ここでウダウダしていて、さっき助けた少女に何か起きたとしても寝覚めが悪いではないか。男は深い溜息をつく。


『納屋でなら良いぞ?』「良いのか!」『家畜小屋な。馬小屋。人間用じゃない。解る?』「ありがとう!」『ちょっと臭うと思うが、それは我慢してくれよ?』「うんうん」『じゃぁコッチ。急げ』

 男が辺りを見回して『来い』と合図した瞬間、団員達の顔に安堵の表情が。倒れていた者達も急に元気になって立ち上がった。

 さっきまで必死に頭を下げていた団長も急に威厳を取り戻し、団員達に続けと……。いや。ジョンが倒れたままだ。


「ジョンッ! ジョンッ!」『あーこりゃ、気絶してんな。見ろw』

 必死に揺する団長の横で、男は呑気に股間を指さした。まだ人間として、各器官が元気に活動している証拠だ。何も問題はない。


『誰か連れて行けるのか? 背負って。えー誰も無理なのぉ?』

 何を言っているかは解らないが、言わんとすることは解る。

 この『様々な体液にまみれた生ける屍』を担げと言うのよね。


『じゃぁ置いてくの? 冷たいなぁ。お前ら仲間なんじゃねぇのw』

 そう言いながら男は、躊躇なくジョンを担いだではないか。

 そのとき団員達は思った。『お前も体液まみれだしな』と。似たようなモンと言えば似てるかもしれない。


『ちゃんと付いて来いよっ! はぐれても俺は知らないからなw』

 今の言い方。何か覚えがある。走り始めた男を見て皆確信した。

 そうこれ、『ティア団長のしごき』にそっくりではないか。男達は血相を変えて走り始める。ジョンを背負ったことが、まるで『ハンデ』のように思えるから不思議だ。

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