第一話 禁忌の森にて
「おい、姫は何処だっ!」「答える訳が無いだろっ!」
吹雪の森であれば『遭難』も考えられるが、どう見てもそうではない。全員が剣を構え、一人の女騎士を半円に取り囲んでいる。
取り囲む方が風下なのか、正面から受ける風で目に雪が。それを拭いながら距離を詰める。取り囲む列の後。指揮官らしき男の横には、弓矢を構えた兵士も狙いを定めていた。が、味方に当たるかもしれぬ故、今は『構え』だけ。それに、残りの矢も少ない。
「いやぁっ!」『カチーン』「うわっ」「気を付けろっ!」
女騎士の右側。義足側から斬りかかった兵士だが、あっさりと弾き返される。更には振り下ろされた両手剣で危うく真っ二つに。
持っていた盾のお陰で助かった。と、言えるのだろうか。吹き飛ばされて雪まみれだ。仲間の兵士が直ぐ間に入ったことで、女騎士は踏みとどまった。元の場所に戻って、再び睨みを利かす。
「貴様ら近衛だろうがっ! 恥を知れっ!」「やかましいっ!」
女騎士の言うことは正論である。この争いは、言わば『内輪もめ』であるからにしてやり辛かろう。互いの実力は、嫌と言う程判っている。女騎士は『かつての上役』であった。足を怪我した折、姫の専属護衛になって今に至る。本人は固辞したらしいが、姫たっての願いだったと噂には。いや、この期に及んでどうでも良い昔話だ。
今重要なのは、取り囲むのが『手塩に掛けて育てた兵士達』であるということ。この状況には見覚えがある。いや、あり過ぎる。
『訓練だと思うなっ! 殺す気で掛かって来いっ!』
誰もが心の中で思い出していた。何とも皮肉ではないか。
そして『結果』についても押して知るべし。皆自分の実力は判っているつもりだ。そして、死にたくはない。
「姫をどうするつもりだっ!」「……」「……」「……」
誰も答えない。当然『殺すつもり』である。しかし、出来れば自分の役ではないことを祈るのみ。これは『クーデター』なのだから仕方がない。権力の座から引き摺り降ろされた者は須く死あるのみ。
それは、年端も行かぬ子供であっても例外ではないのだ。
世は無情である。一時の情けは、今後更に大きな争いを生むであろうと考えてのこと。考えるようにしていた。
「姫の命は保証しよう」「信じられぬものかっ! 両陛下を殺しておいて、今更何を言うっ!」「だからなのだよ」「絶対嘘だっ!」
クーデターが発生したのは、今から七日以上も前の話だ。呑気に市中へ出向いていた姫が、幸運にも難を逃れた形。女騎士は姫の指示通りに逃走を図ったと言う訳。その指し示した方向に疑義はある。
クーデターの首謀者は王の実兄である。自らを『正当な後継者』と宣言してのことだった。彼に言わせれば『クーデター』と言うこと自体を否定するだろう。そもそも今の王が『正当でない』と主張してのこと。賛同する貴族も多かった。
姫が市中へ飛び出した理由が、実は『会いたくない貴族らが来ること』だったのは、言うまでも無い。そこまでは結果オーライだ。
「宝物庫を開けるためだなっ!」「フッ」
図星か。団長が明らかに噴き出したではないか。女騎士の怒りは収まりそうになり。両手剣が揺れたのを自覚してはいないだろう。
「だったら、開ければ『用済み』ではないかっ!」
自分から『姫を殺す』だなんて、口が裂けても言える訳がない。
無意識の内に、両手剣を振り上げていた。いつでも斬りかかれる。しかし団長の方は未だ抜刀もせず、ニヤニヤしているだけだ。
「何も言っていないのだが?」「そんなことはさせぬっ!」
両手の平を肩まで上げて言ったとて、女騎士が『判った』と剣を納めはしない。団長が狡猾な男であることは良く知っている。
「団長、出来ればその『宝剣』もお返し下さい。刃が毀れますよ?」
女騎士を『団長』と呼んだのは皮肉か。それとも『癖』か。
今の言い方。少なくとも『団長』と言う役職に、何らの価値も見出してはいない様子。今は自分がその『団長』だと言うのに。
言われた元団長。女騎士は、言われた宝剣を振り回し始めた。
「切り刻んでやるわっ! 有難く思えっ!」「おぉおぉ怖っ!」
柄にはめ込まれた真っ赤な宝石が八の字を描く。握る手の隙間から見える金の装飾も実に派手。これを宝剣と言わずして何と言う。
この宝剣は確かに、長らく宝物庫の収蔵品であった。それを取り出して、女騎士へと下賜したのは姫である。信頼の証と言えよう。
だから、今更返すはずもなく、かと言って団長も、代りを用意するでもない。両者の間には埋めきれない深い溝が。それでも徐々に埋まって行くのは、互いの間合いだけ。
「来いっ!」「かかれっ!」「うわぁあっ!」「死ねぇっ!」
若干名『一度言ってみたかった』の想いが垣間見えた。気合。
果たしてどの団員かは分からないが、女騎士は何を言われようが、一向に気にする気配は無い。歯を食いしばり、思いっきり両手剣を振り回すのみ。かなり長い刀身であり、それだけで有利なのである。
『ガキンッ』『ゴンッ』『ドンッ』『ズササッ』「うぅうぅっ」
音だけは派手。しかし一方的ではないか。女騎士が軽くステップしたと思ったら、両手剣を振り回しただけでこの有様である。
近衛兵であれば騎士の中でもエリートであり、それなりの腕前のはず。しかし女騎士の実力は、その遥か上を行くのか。
全く歯が立たない。おまけに放たれた矢も、あっさりと弾かれる始末。取り囲む人数が減ってしまっては、再び距離を取るしか。
「お前ら成果を上げないと、帰っても無事じゃ済まないぞっ!」
部外者には笑っていた団長だが、部下には厳しいらしい。一喝。
しかし言われた方は堪らない。大分遠くまで来てしまっている。禁忌の森の先にある冬山を越えて今に至るのだ。追跡部隊の誰もが『国境を越えた』と解釈しているだろう。しかしその点については、誰も心配していないのには理由がある。『軍人として』ではない。
何せ『禁忌の森』は魔獣が跋扈しているが故に、立ち入りが禁止されているからだ。咎める者が居たら、是非拝んでやりたい。
そんな状況を脱し、帰るだけでも大変なのに。その上ミッションを達成せねば、帰っても殺されてしまうのだろうか。判っている。
追跡部隊の面々は、つい先日まで王の近衛。王家の味方だ。
それが『姫を逃がした』とあらば、次の王に忠誠を疑われても致し方ない。ならば、成すべきことは一つしかないではないか。
鎧や盾で首の皮一枚繋がった状態であろうと、兎に角立ち上がるしかないのだ。明日に向かって生きる。今を生き抜く。何としても。
隊長は起き上がる部下達を見まわしながら、隣の弓手に囁く。
「おい」「ハイ団長」「隙あらば射て」「えっ、ハイ」「良いなっ」
ターゲットは顎で示された。大丈夫。今はこちらを見ていない。
弓手は命令を理解はしたが、どうしたものやらと考える。女騎士の視界は広い。視野の片隅だろうが、前から飛んで来る矢は簡単に打ち払われる。それは何度も経験済ではないか。またやるのか?
「下がれっ! 俺が殺る!」「えっ?」「指示を忘れるな」「!」
隊長は大声で叫んだ後、弓手の腕を下へ押して降ろさせた。話が違うじゃないか。朝令暮改の騒ぎじゃない。演技より酷い。
しかし小声での指示は、弓手にしか聞こえていなさそう。団長の口元を見た者は『射つな』に見えた。常識に照らし合わせて。
「お前に殺れるのか!」「貴方に負け続けていた頃とは違いますよ」
古株の団員なら知っているだろう。女騎士と団長の『どちらが強いのか』を。しかしそれは、女騎士が義足でなかった時代の話だ。
部下の手前、団長も弱気は見せられまい。自信に満ち溢れて剣を抜刀した。代々近衛騎士団団長が手にする片手剣。もし歴代の団長が、この『良く手入れされた剣』を見れば思うはず。
昔を懐かしむより、無事引継ぎ出来たことを喜びとして。
団長は自分のバックラーと部下の盾を見比べる。ここは『大きい方』をチョイスか。ちゃっかり交換しちゃって大人げない。
大体『女騎士の方は両手剣なのに』何てのは、言わせておけば良いのだ。この場合勝った方が正義である。四の五の言わせるものか。
二人はジリジリと距離を詰め始めた。当然のように、義足の方へと回り込みながら。逆に部下達は距離を取り始める。
気持ちは判らんでもない。確かに今の団長は強くなった。そして、それ以上にズルくもなった。もしかしたら今、無敵かもしれない。
だから巻き添えは御免被る。どちらも熱くなったら、それこそ見境が無くなるのは有名な話だ。つまり、実際に見たことが無くても、『どうなるか』は知っているということ。それが今、始まるのだ。
『ザッザザッ。カシャカシャ』『ザッ。ズボッ。ザッ。ズボッ』
雪を踏みしめる音が二人で違う。団長は勢い良く動くと、付随して鎧と盾が当たる音が聞こえて来る。対して女騎士の動きは緩慢。
決して団長に劣る訳では無いが、義足が雪に突き刺さっては、総じて動き辛かろう。それも止む無しだ。姫の護衛で『雪山に行く』なんて、通常では有り得ない。無理がたたって、足首から先が取れてしまったのだ。それで『追い付かれた』ってのもある。決して『軽くなって良かった』では無いのだ。それともう一つ。
自慢のフルアーマーも、左腕は無くなってしまっている。逃避行で体調を悪くした姫を、左肩で担いでいたからだ。追手に気が付いた女騎士は、この先の洞窟。何故か『暖かい空気』が噴き出す洞窟の入口へ、姫を寝かせて引き返して来た。姫を一人になんてしたくはなかったが、多勢に無勢を考えれば致し方ない。
だから当然、ここで全ての追手を打ち負かし、急ぎ姫の許へと行かねばならぬ。そうでなければ姫の命が危ういのは確実。火を焚いて体を温めなければ、この吹雪の夜を持ちこたえられまい。
「イヤァアァアァッ!」『ガシンッ』「まだまだぁ」「とうっ!」『ガシンッ』「なんのっ」「貴様はいつか裏切ると思っていた!」
二撃入れた所で力が拮抗して睨み合う。両手剣の重みの分だけ女騎士が有利か。押し込まれた団長は盾があるのだ。片手で受けて、もう片方の手で斬りかかれば良いのに。ギャラリーは息を呑む。
周りもそうだが、本人にだってそれは判っているのだ。判っていて出来ない。昔から馬鹿みたいに、力だけは男以上に有りやがって。
『ペッ!』「うっ」「ホラホラァッ! 脇ががら空きですよっ!」『ガシンッ!』「なっ」「貴様のやることなんてお見通しだっ!」
女の顔に唾を吐くだなんて。女騎士が団長の頃は、そんなことさせなかった。近衛だぞ? 『唾吐いて勝った』なんて、言えるか? 恥を知れ恥を。王家の品位を落とすような戦いをするんじゃない。
「死人に口無しですよ」「あぁ臭い臭い。そっくりそのまま返す!」
流石に一旦顔を拭いた。臭いは正直判らない。この寒さだ。鼻は真っ赤かもしれないが、鏡なんて見る暇は無い。大体だが、もし団長が『毒』なんか噴いていたら、危なかったかもしれない。ここは気を引き締めて掛かる。団長を斬り殺せば、団員は引くと信じて。
団長との仲は、昔から上辺だけだった。実力本位とは言え『平民と貴族の御曹司の差』と言えば、おおよその想像は付くだろう。
『ガキンッ』「大体団長。貴方は、昔から気に入らなかったんだ!」
何度か斬り合った後だった。再びの鍔迫り合い。
しかし今度は女騎士のほうが不利。義足で踏み込んだ際、高さの違いが考慮出来なかった。バランスを崩した所を襲われる。お陰で歯を食いしばるばかり。返すべき言葉が出て来ない。
大振りだったのもあるだろう。取り巻きは随分と二人から離れていた。この距離なら、追加で斬り掛かって来ても対処可能。
しかし誰一人として来ない。この『不利な状況』でもだ。
女騎士は、理由を良い方に考えていた。剣を交えれば判る。団員は皆、帰りたいのだ。やる気が無い。団長だけが殺気を漲らせている。だからサシの勝負にケリが付けば、このまま逃げ切れると。
「姫は渡さぬっ!」『ガッ!』「馬鹿力めっ!」「ぬぅぅぅっ!」
勢いを付けて押し返した女騎士は、鍔迫り合いのまま押して行く。
すると今度は団長がバランスを崩したではないか。足腰の弱い奴め。そのまま押し込んでしまえば終わりだ。
『ビュンッ!』「なっ!」『ガキンッ』「一騎打ちじゃなかったのかっ!」「そうですよっ!」「うっ」「ようやく届きましたな……」
これを『油断』と言うならそうなのだろう。女騎士は自分の左腕に突き刺さる刃を眺めることしか出来ない。何処からナイフが?
一瞬のことだった。弓矢を両手剣で打ち払った所までは覚えている。見覚えのある剣だって、団長の手に握られていたはず。それなのにどうして? あぁ、盾を捨ててナイフに持ち替えたのか。不覚。
「ウウッ。クッ……」『ザッ!』「これで両手剣は持てませんなぁ」
間合いを取る。団長が追って来ない。悠然と喋りながらナイフをしまうと、放り投げた盾まで拾う余裕。女騎士を睨みながら。
「これ位かすり傷だっ! まだやれるっ!」
鎖帷子を突き抜けたのは切先だけ。所詮ナイフの傷だ。
「どうでしょう。このナイフが『普通のナイフ』である保証は、何処にもありませんよ? 何処にも」「何だと?」「具合は如何?」
勝ち誇ったように言うからには理由があるに違いない。
直ぐに理解した。痺れ薬か毒薬か。咄嗟に一歩後ろへ。いや、今のは『よろけた』か。しかし踏みとどまる。何の毒だろうが、ここで死ぬ訳には、絶対に行かないのだ。コイツを倒して先へ進む。
「ホラホラ。もう効いて来たじゃないですかぁ」「まだまだっ!」「嘘付いたってダメですよ? 我が家に伝わる『特殊なレシピ』なのですからw」「ならばどうせ、碌なモンじゃないな!」「酷い言い方ですねぇ。どうです? 意識がハッキリとしたまま、体が動かなくなって行くのは。なかなか体験出来ないことですよぉ?」
一体『何用』なのか。盾こそ前に出しているが、剣を肩に担いで歩み寄るのを見れば、女騎士にだって目的は知れる。許せぬ。
「本当は、姫の方に使う予定だったんですけどねぇ」「貴様っ!」
声が震えていた。痺れ薬のせいだけじゃないのは明らか。しかし体は言うことを利かないもので、化学反応に身を委ねるのみ。
『ガシンッ!』「ホラァ。もうフラフラじゃないですかぁ」「クッ」
両手剣を片手で振り下ろせばこのざまだ。盾で簡単に弾かれる。
団長の片手剣は相変わらず肩に乗せたままで、まるで『肩たたき』か。ポンポンと弾ませながら『舌なめずり』とは下劣の極み。
倒れそうになった女騎士だが、後ろには木があった。何とか寄り掛かって転倒は免れるが、両手剣を地面に突き刺し、杖のようにして立っているのがやっとである。悪寒。
見れば改めて『自分の息が白い』のが判った。ここは雪山である。
「息が荒いですねぇ。立っているのが、やっとじゃないですか」
盾を前にした団長が更に近付いて来る。女騎士は動けない。
もう左手に感覚は無く、腕を上げることすら難しい。右手は地面に突き刺した両手剣を、しっかり掴んで体の支えにするのがやっと。
団長は盾で女騎士の顎を上げた。屈辱である。こんなはずでは。
「さて、簡単には殺しませんよ?」「ペッ! げ、下劣なっ!」
せめてもの抵抗である。女騎士は唾を団長の顔に吹き掛けた。
唾は見事団長の顔に。しかし団長は、実に嬉しそうではないか。もしかして『そういう趣味』と間違えられてもおかしくは無い。
「これで同類ですね」「いっ、一緒にするn、一緒にするなっ!」「おやおや。呂律まで回らなくなりましたか。効いてる効いてる」
団長は剣での肩たたきをやっと止めた。大きく振りかぶれば、女騎士が目だけで追っているのが判る。自分も愛用した剣なのだ。それで殺される気分は如何程のものだろうか。団長には判らない。
「もう少し待ちましょうかね」「クッ。殺せっ!」「それまでの間、楽しませて貰いますよ」「なっ、何をするっ!」「フフフ。女なら判ってるでしょう? それとも、女であることすら捨てましたか?」
切先がゆっくりと女騎士へと向かっていた。狙いは判っている。
『パチンッ。ドサッ』「フンッ」「おぉ。良い目をしている」
防具の一つが外されて雪上に落ちた。何しろミスリルの剣。言わば宝剣の一種である。例え金具だろうが簡単に切り落とす。
「所で、姫は何処ですか?」「話す訳ないだろっ!」「この雪ですしねぇ。まさか雪上に放置して来た訳でもないでしょう?」「……」
団長にしてみれば、これは『尋問』らしい。しかし正直に答えた所で『手が止まる』とは、とてもじゃないが思えない。舌なめずり。
「この先に洞窟でも有るんだろう! 誰か探して来いっ!」「!」「ほぉら。目付きが変わった。貴方は昔から判り易いんですよぉ」
今度は剣の側面で女騎士の頬を叩く。笑いながら。
本当に趣味の悪い奴だ。こんな奴に姫を預けたとて何も良いことなんて無い。そもそもどうしてこんな奴が近衛に配属されたのか。
「どうしたっ! 早くしろっ! 見つけた奴には褒美をやるぞっ!」
全ての発想は金が基準か? 流石はお貴族様だな。女騎士は横を向く。姫が気になるのは確かだが、姫の居る方は向けない。
すると腐っても戦士。雪を踏む足音がしないので、団長は部下が誰一人として動いていないのが判った。イラつく連中だ。俺が新しい王に認められたら、他の奴らは入れ替えて貰うことにしよう。
『ぱっくんちょ』「ウワーッ!」「何だっ!」「!!!!」
振り返った団長は目が合った。子飼いの弓手と、ではない。
弓手の下半身は見えているが、上半身は毛むくじゃらに隠れてしまっている。覗くは白い歯。牙だ。信じられない程大きなのが沢山。
『ブンッ! ブルンブルン。ごっくん』
振り上げ、左右にも振り回してから大きく口を上げ、一口に飲み込んだ。が、それでいて困惑しているようにも。人間にしてみればいい迷惑だが、『何か変なモン食った』にも見えなくはない。
実は数秒前。足音も無く大きな魔獣が近付いて来ていた。大きさは御覧の通り、人を丸呑みに出来る程の狼。単独なのを幸いとするか、出逢ったことを後悔するかは人によるだろう。
少なくとも部下達は後悔しかない。足が竦んで動けないし、恐怖で声すらも出ない。狙われている弓手に対し、心の中で早々に別れを告げていた。決して悪い奴じゃ無かったが、どうやら『団長の悪口が筒抜け』なのは、コイツが原因なんじゃないかと思っている。
しかし、改めてココが『禁忌の森』であることを思い出しても後の祭りだ。出来れば『弓手一人でお腹一杯になって欲しい』と願う。
「殺れっ!」『何をだよ』『何をだよ』『何をだよ』「助けるんだっ!」『イヤ』『イヤ』『イヤ』『ワオォォォンッ!』
心の叫びと大狼の遠吠えが入り混じる。そこへ団長の刃が入り混じることは無かった。団長だって人の子。自分の背丈の何倍もある狼を見たのは初めてだし、出来れば自分には優しくして欲しい。
「ええいっ! サッサと殺らんかっ!」
団長は盾を引き、尋問を止めた。女騎士に構っている暇は無い。
先ずはこの大狼を何とかするのが先。数秒しか持たないが、身体強化を施して立ち向かえば何とかなると信じて。
『ワオォォォンッ!』「おりゃぁっ!」『ガッ!』「うわぁあぁ!」
何ともならなかった。前足で軽くあしらわれて終わりだ。
いや、身体強化を施したお陰で『死なずに済んだ』と言えるだろう。鎧だって爪の一撃を耐えた。大分凹んでしまっているが。
団長が何故『鎧の心配』なんてしていたのか。そんな暇があったのか。有ると言えばあった。大狼が向かっていたのが『女騎士の方』だったからだ。きっと今頃、奴も身体強化を使っているだろう。
「パリィッ!」『ドンッ! バキバキッ! バッサー。ズササァ』
何のこっちゃ。いや、何てことない。女騎士のパリィは失敗したようだ。力の差があり過ぎたのだろう。それとも正面から受けてしまったか。寄り掛かっていた木諸共吹き飛ばされて、降り積もった雪が一気に落ちて来た。大狼も雪まみれだ。
『ワオォォォンッ!』「クッソォッ! 俺の獲物がっ!」
団長の言葉を聞いたとて、部下は誰も否定しない。寧ろ『あんたが獲物になっちまえ』とも思うが、大狼に『食べる順番』を推奨することは叶わない。直ぐに起き上がってコッチに振り向いた。
『ワオォォォンッ!』「全員で掛かれっ!」「……。イヤー」
団長の視界から外れてからの雄叫びなぞ、何の役にも立たぬ。
ある意味『言葉通りの絶叫』と捉えられてもおかしくは無い。生き延びたとて命令違反のそしりは免れまい。
「パリィッ!」『ドンッ!』「おりゃぁあぁっ!」『ザザッザザッ』「見ろっ! 俺のパリィの方が通じたぞっ! どうだっ!」
団長は心の中で『俺の方が上手くやれる』と思っていたのだろう。
誰と比較してとは言わない。しかし、方や雪の下。方や立ったまま。この違いは歴然だろう。後は部下がグサグサッとだね。
「くっ、来るなぁっ!」「このぉっ!」『ドガッ!』「うわぁ~」
そう簡単には行かない。こんな大物取りは訓練していなかった。
正面の者は腰を抜かし、後ろから死角と確信して斬りかかった者は、あえなく後ろ足でなぎ払われる。狼の視野はおよそ二百五十度。対人戦闘しかしてないからこうなるのだ。と言っても、もう遅いか。
団長も『パリィの本質』を理解しているのだろうか。前衛として壁になるのではなく、後ろに流すだけだったら、丈夫な杭と変わらない。後衛の助けになどなっておらぬ。
「パリィッ!」『ドンッ!』「ぬぅうぅぅ」『ザザッ』
今度は良い。そうやって力を受け流して耐え、盾も使って抑え込む。訓練嫌いの団長も、やれば出来るではないか。
そこで初めて後衛の出番となる訳だ。さぁ、グサッとやって。
「おりゃっ!」『ドガッ!』「こいつ後ろにも目があるのかっ!」
一方の団員達は、残念ながら何も学んでいないらしい。
目の前で仲間が身をもって示してくれた角度から、再度の斬り込みを行っては、同じように後ろ足で蹴られるだけ。それを目の当りにした者も、目が節穴のようだ。驚いて、ありもしないことを口走っている始末。情けない限りだ。
大体狼は顔の横に目があるので、かなり後方まで見えている事実に気が付かないとは。ほぼ毎日、馬に『ブラインダー』を取り付けている癖に、気が付かないとは言わせない。仕事は応用だよ。
「ぐぬぬぅ。貴様ら早く殺らんかっ!」「……」「……」
近衛騎士団では、伝統的に『団長を取り囲んでの訓練』は行われて来た。それは圧倒的な強さを誇る団長であればこそ。
しかし、圧倒的な強さにも二種類ある。一つは命までは取らないでいてくれるのと、もう一つは、どちらかと言えば命を取りにしか来ていないもの。考えるまでも無く、今は後者である。
因みに今の団長はと言うと、伝統は打ち壊すものと公言し、伝統的な訓練をこれまで実施して来なかった。
「パリィッ!」『ドンッ!』「うわぁあぁっ!」「団長ぉっ!」
結局はこうなるのか。団長も人の子である。物理法則を無視し続けることは出来なかった。怪我が無かったのは雪まみれのお陰。
大狼はと言うと、団長を弾き飛ばした後、森の奥へと走り去る。
「行っちまいましたね……」「助かった……」「何ですか? アレ」
団長が鎧の隙間に入った雪を掻き出しながら戻って来た。団員の問いに答えるつもりは無いようだ。理解の範疇を超えている。
それより御身の方が心配で、腕の可動範囲、首の可動範囲を確認している。大丈夫。怪我は無いようだ。
しかし盾を見て顔色が変わった。最後の一撃が致命傷か。
「返すわ」「えっ、あぁ」「凹んじまって、御免なw」「すっごっ」「謝っただろう?」「あっいえいえ。御身がご無事で何よりです」
貸しといたバックラーを奪い取り、これで貸し借りは無し。こういうのは早めに清算しておくに限る。うん。コッチはまだ使える。
「まぁ『俺が使った』ってだけで、箔が付くってもんよ。なぁ?」
行ってしまった。団員は団長と盾を交互に見て、盾を捨てた。
ベコベコに凹んでしまって持ち辛いし、こうも凹んでしまっては、テーブルや鉄板の代りにもならぬ。いやその前に、修復もままならないだろう。箔なんか幾ら付こうが、盾としては終わってる。
「エスティを探せっ! 掘り起こすんだっ!」
エスティ誰やねん。とは、誰も思っちゃいない。今顔を見合わせたのだって、そう言う意味ではなく『早く逃げよう』だ。
皆判っている。『エスティ』は『エスティア・ウィルダネス』の略。今は亡き、ライオネル・ウィルダネス卿の養女だ。
幼少の折『剣の腕を見込まれて養女に』と言うのが、武勲第一主義のライオネル卿らしいっちゃらしい。強けりゃ良いのか。
しかし、団長が『エスティ』と呼ぶのにはちょっと抵抗がある。大抵の団員は『ティア団長』と呼んでいたからだ。人前で『エスティ』と呼ぶことに違和感が無いのは、今となっては姫一人のみ。
いや、最早その一人も、生きているかどうか定かではない。
「お前らスピネルだけでも回収して帰るぞっ! 証拠になるっ!」
当然『スピネル』も略称で、本名は『フィアース・フレイムズ』だ。『荒々しい炎達』ですって。大層な名前だこと。ずっと宝物庫に眠っていたから、そんなの誰も拝んだことは無いんですけど。
だから一種『名前負け』と見られていて、しかもはめ込まれたスピネルは、大きいけどたった一つ。いやいや複数形とは一体。まさか『両手剣』のことなのか? だとしたら本当に名前負けだ。
価値が有りそうなのは鮮烈な程に赤いスピネルただ一つで、売れば団員の生涯収入以上の額になることは間違いない。団長の言う通り『証拠とする』かはまた別の話だ。
団員達は頷き合い、進むべき道を変えて団長の後に続く。
「エム、お前はこの辺」『グサッ』「マイクはこっちを掘れ」『グサッ』「リックとブラッドはこの木を退けろ」『バサバサ』「うーむ。埋まっているとしたら、大体この辺じゃないかな」『グサッ』
雪の山を片手剣で突き刺しながら指示を出す。万が一『ギャー』なんて声を耳にしたら、更に深く刺すつもりでいた。
しかし一向に手応えが無い。大狼の突進を、確かに正面から受けたはずなのに。木に当たってだね、大狼と木に挟まれて、生きていられる訳が無いのだよ。生きていられる訳が。ちきしょうめ。
指示された団員とその仲間達が、雪を掘り始める。そもそも『雪を掘る』なんて想定もしていなかったので、手で掘るしかない。
当然のように団長は指示を出すだけ。掘る様子は伺えない。
「団長っ! こちらに足跡がありますっ!」「何だと?」
後ろからジャック副団長の声がして団長は振り返った。団長と同じく貴族の出であり、雪を掘る気なんて更々無い。
団長も同じ考え。下を見ているジャックの方へと小走りに行く。どうやら近場の足跡は、木が倒れたときに掻き消されたか。
まぁ良い。兎に角足跡の確認だ。必ずしも『エスティのもの』とは限らないし、誰もそうは言ってない。
「本当か?」「見て下さい。丸いのは義足ですよね」「でかした」
確かにそう。大きさからして義足で間違いない。エスティだ。
初めて見た『兎の足跡』も、大概は変だと思うだろう。しかし歩き方を知っていれば極めて特徴的で判り易いとも言える。片方だけ丸い穴の足跡なんて、エスティのものでなければ誰のだ。
「コッチに『来たとき』のじゃなくてですか?」「どうなんだ?」
この声はお調子者のデイブだ。やっぱり。直ぐにジャックへ問う。
「ティア団t……。容疑者の義足は左足ですから、向こうに逃げたのだと」「だそうだ。良く見りゃ判んだろ」『ポカッ』「すいません……」「ヨシッ。お前ら追うぞっ! 穴掘りはもう良い!」
既に穴掘りは『ポーズ』と化していた。だから今度は動き出すまでが早い。足跡を追って行けば『直ぐに帰れる』と思えばこそだ。
「では参ろうか。姫を誘拐した犯人の足跡を追って。急げっ!」
既に犯人扱いか。団長は実に嬉しそう。そんなに嫌いだったのかと聞くのは、最早『野暮』を超越して『愚問』ですらある。
悩みは別のこと。更に奥へ進むべきか。しかし答えは『進む』しかない。今は『べき問答』をしているのではないのだから。
決定事項に対し、命を賭して臨むことが求められているのだ。決定に背くのもまた『愚問』と言えそうだ。
大狼とどれ位戦っていたのかを計る手段は無い。
戦っていた本人達は長く感じたかもしれないが、実際の戦闘時間は数分のはず。であって欲しい。ならば手負いの義足騎士に追い付くことなど容易いはず。あの体力馬鹿。姫を背負って歩く姿を捉えたのは昨日。森林限界を超えて、視界が開けたときだった。
そのときはあくまでも『見えた』だけ。追い付いたのは山を越え、下り坂になってからのことである。そしてもう直ぐ見えるはずだ。
「団長、あの辺に洞窟があったとしたら、姫を隠せるんじゃないですか?」「ヨシッ。二人で見て来いっ」「ハッ!」
確かにそう見える。これまでにも洞窟は幾つもあった。
何せ追う方だって人間だ。腹も減れば休憩も必要。吹雪の中じゃ余計にそう。追われている方は寧ろ火なんて使えないだろう。
だから時々洞窟を見つけては暖を取り、追跡して来たのだ。
「でも団長、足跡はコッチに向かってますよ?」「何だと?」
今まで足跡を追って来た訳だが、吹雪で埋まり掛けていた。
関係者でなければ『連続する窪み』にしか見えないだろうが、こんな森に関係者以外が居るとは考えにくい。
自国側で雪の森を歩くこと三日。一件の家も無かった。であれば、こちら側だって同様のはず。少なくとも『禁忌の森』と言うからには、人が住むことなど許されない。そこへ誰が住んでいると言うのだ。もし居たら、指さして笑ってやる。
すると、追って行くうちに小川が現れた。と言っても水流が多く、流れも急。簡単には渡れない。雪が降りしきる中、鎧を着たまま水に落ちてしまったら、相当なダメージになるだろう。
だから当然、義足の足跡も小川に沿って下流へと続いている。
「向こう岸のあれ、足跡じゃないですか?」「冗談だろ?」
ジャックの指さした方。確かに雪の上には点々と窪みが見える。
しかしそれは、もうちょっと下流の方。真横は小高くなっていて地面が見えない。今度は小川の下流を見たが、岩があって、渡れるのはココだけに見える。義足の主は渡れなかったと見た。
「冗談ではなく。ちょっと行ってみます」「おい気を付けろっ!」
ジャックは行ってしまった。小川の石をピョンピョンと飛んで。
無事反対側に辿り着くと、意外にもすぐ傍にも足跡があったらしく、下を向いて足跡をじっくり観察し始めた。
こちらに背中を向けたまま右を見る。団長も右を見ると、さっき送った『洞窟捜索班』が見えた。今度は左。こちらは何も見えない。
「川下に向かってますっ!」「判った。そっちはそっちで追ってくれっ!」「ハイッ。デイブ来いっ!」「えぇえぇ、俺ですかぁ?」
副団長のご指名なら致し方ない。ジャックが使った岩は覚えているので、それを一歩づつ落ちないよう、着実に進むしかない。
その間、団長と副団長は情報交換を始めた。
「姫の足跡か!」「違いますね! 大男だと思います!」「男って良く判ったなw!」「二分の一の確率でw!」「じゃぁ大きいのは何で判った!」「足跡が! 俺より深そうなんで!」「判った!」
とは言ったものの、ジャックよりデカい奴なんてそうそう居てたまるものか。出来れば弱っちい奴であって欲しいし、その前に、そもそも人間であって欲しい。出来れば話の通じる奴で、水とか食料なんかも分けてくれるような。そんな奴であることを祈る。
みればデイブが四つん這いになっているではないか。決して祈りを捧げている訳ではなかろう。ジャックの手が伸びて立ち上がる。
歩き出したのを見て挙手。こちらも捜索再開だ。下流へ向かう。
すると団長側の捜索は直ぐに終わった。足跡が途切れたのだ。
正確には岩があって、その近辺で悪戦苦闘した跡が見受けられると言った感じ。急斜面を登れなかったと見た。そして足跡はと言うと、小川の方へと向かっている。ここを渡ったのか?
いや無理だろう。渡るための橋も無ければ飛び石も無い。おまけにこの先は滝になっていて、川に入って流されようなら、あっという間に真っ逆さまである。下は見えない。いや見ない。滝壺までの音がいやに遠いので、結構な高さであることが判れば十分だ。
「団長っ! 渡れますか?」「無理だなっ!」「コッチの足跡を追って来たら、ココに来たんですけど!」「こっちは、何処にも足跡なんて無いぞ!」「マジすかっ! おいデイブ、他の足跡を探して来い」「人間の足跡なんだよなっ!」「だと思いますよっ!」
嫌な確認の仕方だ。最悪の場合、報告書には『犯人は姫と共に滝壺へと消えた』と、情緒的に書かねばならないだろう。それでも一向に構わないのだが。しかし、スピネルだけが悔やまれる。




