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96 最終章《地獄》

 フォークス達三人は小高い丘の階段を登りきって立ち止まっていた。そこには小さな石版があるだけで、他に建物も道の続きもない。


 ただその石版だけは、普通ではない存在だとわかる。そこはあまりにも濃い魔力で蜃気楼のように揺らめいていたからだ。


「悩んでも仕方ねぇ。前に進むと決めたんだ。いくぞ」


 フォークスは自らに言い聞かせると、剣を構えてふたりと一緒に石版に近づいた。

 そしてフォークスはふたりの顔を見たあと、大剣でそっと石版に触れる。


 グニャァ


 その瞬間三人の足元が、景色が歪む。


「捕まれ!」

「うわ!」「きゃあ」


 フォークスの声に反応したふたりはそれぞれフォークスの服を掴むと、歪んだ空間にそのまま引きずりこまれていった。




◇◇◇◇



 そしてもうひとつの空間ではアルが異型のケルベロスと戦い続けていた。


 ケルベロスは瘴気を吐きこそしなかったが、四本足の時よりも遥かに素早く動いてアルを攻め立てた。左右から振るう爪は鋭く尖り、アルが剣で受けようと構うことなく叩きつけてくる。


 まさに狂気に満ちた攻撃ではあったが、アルはそれを冷静に受け流し、懐に潜り込むと着実にダメージを与えた。



『ガルラアア!』


 スパン


 またもケルベロスの胴を薙いだアルだったが、いくら斬りつけても怯まないケルベロスに眉をひそめた。


(いくらなんでも無謀だ。理性がないとかいうレベルか?)


 ケルベロスは速さと力強さを兼ね備えてはいるが、アルにとってはそれだけだった。なんの工夫もない左右の爪の振り回し。


 学ぶこともなく、何度懐に入られても力任せに攻撃をしかけるケルベロスからは正気というものは感じとれなかった。



「決めるか」


 いくらかの警戒を残し、アルはさらに踏み込むことを決意した。どのみちこれ以上時間はかけられない。時間をかけただけ仲間が心配になる。


『グゥアア!』


 そしてケルベロスの攻撃を屈んで躱すと、素早く踏み込んでケルベロスの胸に剣を突き立てた。


 ドスッ


 その剣はケルベロスの胸を貫き、内部まで深く刺さった。

 すくなくともアルは刺した瞬間にそう思った。目の前に扉が現れるまで。


「な?」


 ギィィィィィ

 ガタ――――ン


 突如ケルベロスの胸が裂けると、まるで開かれた扉のように異質な空間が現れた。その中には赤い炎が渦巻く溶岩の世界が閉じ込められている。さながら地獄を想像させる光景だった。


 そしてその扉の中にに引きずり込もうと、地獄から数えきれないほどの黒い手が伸びてきた。


「くそっ!」


 誘いこまれたことを悔やみながらアルは黒い手たちを切り落としたが、その手は尽きることなく無数に飛びかかってきた。


 アルはこの事態の悪さから脱出するために大きく後ろに飛んだ。アルが宙に浮く瞬間も黒い手は迫り続けたが、アルはそれをことごとく切り落とした。



 だから気がつかなかった。

 ケルベロスの仕掛けが背後にまで迫っていたとは。


「!?」

 ジャララララララ

 ガシャン


 宙で振り返ったアルの背にはひとつの門ができあがっていた。その門にはところどころに死者の体の一部が浮かび上がっていて、不気味な絶望感を漂わせている。


 そしてその門から飛び出してきた鎖はアルの手足に絡みつくと、門にぶら下がるようにアルを拘束した。



『ガゥゥア』『グルルルゥ』


 その様子を見届けたケルベロスは愉快そうに口を歪めた。半端に開かれたふたつの口からは満足気に涎が垂れている。


 それは勝ちを確信した邪悪な笑みだった。もしかしたらこの時のためにあえてアルに勝てると思わせたのかもしれない。


 ただひとつ予定と違うことがあったとすれば、それは肝心のアルが恐怖で怯えていないことだろう。


「これがお前のとっておきか。驚きはしたがそれだけだ。だいたい縛って満足してるなんて復讐心が足りないんじゃないか?」


 アルの不遜な態度にケルベロスは不機嫌な表情を浮かべた。しかしなにかを思いついたようにもう一度邪悪な笑みを浮かべる。


『ガララァァ』『グルゥゥゥ』


 そしてふたつの頭は唸り声をあげながら歯を食いしばると、すこしずつ、その姿を変えていった。


 ボコ


『ヴヴゥゥ』


 ボコボコボコ


 ふたつの首の間で肉の塊が浮き上がるとそれは徐々に膨れ上がり、本来の姿を取り戻すと大きく叫んだ。


『ヴヴァァァァアアア!』



 それはアルが消し飛ばした三つ目の頭。

 跡形もなく消し飛んだはずの頭が、再びアルの前に姿を現したのだ。


 その表情は怒りに満ち、ふたつの首のように邪悪な笑みを一切含んでいない。



 そのケルベロスの表情をアルは冷静に見つめた。それはかつて自分が抱いていた感情とどこまでも似ていたから。


 ただし決定的に違うのは、それが誰のための怒りなのかだ。

 ケルベロスの怒りは自身が傷つけられたことによるものだが、アルの怒りはリラのためだ。



 だからだろう。

 ケルベロスの怒りに触れたせいでアルの脳裏にあの日のリラが蘇る。


 病室のカーテンの奥で眠る、黒い痣に侵されたリラの姿が。



 そしてアルは静かに口を開いた。

 腹の底から生まれる言葉をそのままに。



「そうか。乗り越えることも消化しきる必要もなかったんだ」

『?』


 身動きのとれないこの状況でもまったく焦りを見せないアルにケルベロスは怪訝な表情を見せた。


 ふたつの半開きだった口は牙を剥き、さらに威圧感を与えようとするがアルを揺さぶることはできない。



「リラを護ると言いながら、俺には覚悟が足りなかった。だから、お前に会えてよかったよ。ケルベロス」



 キシ キシキシ



 アルを縛る鎖が震えながら音をたてる。

 そしてアルから重く漂う殺気に僅かにケルベロスがたじろいだ。


「忘れる必要なんてない。大切な人が傷つけられたのに、昔のことだからと許す必要なんてない。だから、俺はもう一度お前を殺す。リラが二度と傷つけられないよう、そんな気がおきないよう…………徹底的に殺す」



 バキ――ン



 アルを縛る鎖は甲高い音をたてて引き千切られた。


 そして膨れ上がる凄まじい殺気。

 その殺気を正面で浴びたケルベロスはすぐさま後ろに飛び退いたが、アルは剣を握ってそれを追いかけた。


『ガァ、ガァァアア!』


 ケルベロスは威嚇するように叫ぶと、胸の扉から黒い手を何本も伸ばした。


 しかしアルはその手を細切れにしながらケルベロスに迫る。身の危険を全身に感じたケルベロスは黒い手を新たに伸ばしながら、背後の門からも新たな鎖を伸ばして再びアルを拘束しようとした。


 ギ バキ――――ン


 だがアルは手足に絡まる鎖を一瞬で引き千切ると、行く手を遮る黒い手を難なく切り落としながらケルベロスに迫った。


『グルゥアアアア!』


 いよいよ追い詰められたケルベロスは胸の扉から溶岩を噴出させた。その熱気のせいでケルベロス自身の皮膚も焼け爛れたが、それでも勢いよく噴出させた。



 しかしアルは止まらない。


「絶影」


 自身を影のオーラで覆うと、ためらうことなく溶岩を突き抜けた。

 そしてケルベロスの前に降り立つと流れるように剣を横に薙ぐ。


 スパ――――ン


 その一振りでケルベロスの胸元の扉は横に裂け、グツグツと溶岩を垂れ流しはじめた。


『ギャルゥラララァァァ!』


 自身の胸元から溢れる溶岩にケルベロスは叫び声をあげながら地面をのたうち回った。だが動けば動くほど溶岩は周囲に飛び散り、ケルベロスの全身を容赦なく溶かそうとする。



 その様子をアルはじっと見つめた。

 肉の焼ける匂いを感じながらも、とどめを刺さずにケルベロスの苦しむ姿を目に焼き付けた。


「それがリラを傷つけた代償だ。だから覚えていろ。お前が蘇る度に俺はお前を殺す」


 アルの静かな目を見てケルベロスは目元を歪ませた。絶望を振りまくはずの存在が、今はその感情に支配されている。


「これがどれほど歪んだ考えかはわかっている。だが大切な人を護るためには綺麗事ばかり言ってられないんだよ」


 覚悟では足りないほどの意志を感じながら、ケルベロスは全身を溶かされた。すでに胴体は溶け、溶岩はケルベロスの頭を飲み込もうとしている。


『ヴァ ァ ァ ァ 』


 じわじわと溶岩に溶かされたケルベロスは断末魔をあげることもできず、自らが生み出した業に灼かれて消えていった。


「……こんな姿は、見せられないな。それでも、失いたくないなら背負うしかない。リラが笑っていられるなら俺は闇を受け入れる」


 一度は切り捨てた黒い感情。

 それをアルは自ら受入れた。


 呑まれ委ねるのではなく、自身の意志として共存することを選んで。


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