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95 最終章《復讐》

 天を向いたまま動かないミノタウロスを見て、ようやく三人は大きく息を吐いた。誰かひとりでも欠けてしまえばおそらく勝てなかっただろう。


 たからこそ、パネェは素直に喜んだ。


「ありがとうふたりとも!」


 ガバッ


「うぉ」

「ちょっ、パネェさん?」


 パネェにまとめて抱き着かれたふたりは戸惑いながらも素直に受入れた。


「よかったよ〜。みんな生きててよかったよ〜」


 パネェは列島を取り戻す戦いで多くの犠牲を見てきた。目の前で奪われた命もひとつやふたつではない。だからといって誰かの死に慣れてしまったということはない。

 列島の者がいつも明るくいるのは、生きていることを喜ぶためでもあるのだ。


 そしてパネェにとってフォークスとトードは、たった一度の戦いで命を預けられるほどに信頼できる仲間になったのだ。

 だからこそ、涙を流すほどに喜んだ。


「心配するな。お前を置いて俺は死んだりしない」

「フォークスさん!? なにしれっと抜け駆けしてんすか!?」


 さっきまで一丸となっていたはずなのに、すでに大きな亀裂か入ってしまった。恋心とは恐るべきものだ。



 それから三人はそれぞれの体の様子を確認し、これからについて話し合った。


「フォークスさんの左腕は特に重症ですね」

「利き腕じゃなかっただけまだマシだ」

「ん〜。リラちゃんのポーションもないしどうしよう?」


 フォークスの腕は紫色を通り越してドス黒く腫れている。それでも平然としていられるのは訓練の賜物かもしれない。


「それよりもアルとリラだ。あのふたりに限って負けることはないだろうが、それでも待つか進むかを決めねえとな」

「フォークスさんの怪我を考えればここで待つのもひとつの手ですしね」


 ふたりがどこに消えたのかはわからない。そしていつ戻ってこれるかもわからない。ここで待つべきかためらうフォークスとトードに、パネェは元気に答えた。


「私いいこと思いついたの!」


 それは元気に答えた。

 裏表のない素敵な笑顔とともに。

 その笑顔はホの字のふたりにはさぞ眩しかったことだろう。


「あのね、両方すればいいんだよ」

「「両方?」」


 ふたりはパネェの言葉の意味がわからず首を傾げた。それが悪意のない悪魔の囁きとも知らずに。


「だからね、先に進んで戦いながら待てばいいんだよ。そうすれば時間の無駄にもならないし、そのうちリラちゃんのポーションで治療もてきるでしょ?」


 パネェは最後まで喋るとひときわ眩しく笑ってみせた。まるで正解を褒めてもらう子供のように。


 そんな無邪気な笑みをふたりが否定できるはずかない。フォークスの左腕のことをこれっぽっちも気にしないのはきっとフォークスを信じているからだ。


 そしてフォークスとトードはちらりと目で合図をしたあとに頷いた。

 きっと彼らは今誓ったのだ。

 この笑顔を護るのだと。


「そ、そうだな」「そ、そうだね」


 パネェの笑顔にやられたふたりは一瞬で亀裂を修復すると再び一丸となった。恋心とはなんと美しいのか。



 三人はミノタウロスから魔石を抜き取ると階段を登りはじめた。

 ふらふらと覚束ない足取りではあるが、今の三人にはきっと些細な問題だろう。


 なぜなら三人は信じているのだから。

 アルとリラはどんな困難をも越えてくるのだと。




◇◇◇◇



『シュ』

「いい加減しつこいのよ!」


 ズダン


 リラは相対する黒い騎士に羽衣を打ち付けるが、黒い騎士は姿を消すとリラの背に槍を突き立てた。


『シュ』

「くっ」


 貫かれる寸前で身を捻ったリラだが、すでに背中は数え切れないほどの傷で赤く染まっていた。

 それでもリラは負けじと反撃する。右手に風の精霊を集めると、黒い騎士を囲むように風の壁を展開した。


「次こそ!」


 ギュン


 リラは右手を握り込み、風の壁を一気に集束させて黒い騎士を圧迫してみせた。

 それは隙きのない攻撃だった。風の壁は黒い騎士を取り囲むと、逃げ場を防いで一瞬で集束したのだ。


 それでもリラの右手に手応えはない。

 風の壁はなにも押しつぶすことなく行き場を失って消えた。


 そしてリラの背から響くひとつの音。


『シッ』

「っ」


 ザシュ


 もう何度目になるかわからない背後からの槍はリラの肩に大きな傷跡を残した。それでも振り返りざまにリラは羽衣を振り抜くが、そこに黒い騎士はいない。


 すでにリラの間合いから抜けて悠々と槍を構えている。


 その事態にリラは歯を食いしばった。

 近接戦闘が得意ではないことは重々承知しているが、それでも悔しがらずにいられない。


 そしてそれをあざ笑うかのように黒い騎士が持つ槍はゆらゆらと揺れた。憎むべき相手が傷つくのを喜ぶように。


「相変わらず性格の悪いやつね。こんなことならあの時に叩き折っておけばよかったわ」


 リラは鋭い目で黒い騎士の槍を睨んだ。先端が三叉に割れた忌々しき槍を。かつて竜の故郷で戦ったバフォメットが操る悪魔の槍を。


 その槍は忘れていなかった。

 自身を滅ぼした相手を。

 憎むべき存在を。


 三叉の槍はこの戦いでまともにリラの前に立つことはなかった。間合いに入りこそすれ、リラの攻撃に合わせて空間移動すると、背後をとって安全にリラを傷つけた。


 それは警戒ゆえに深く踏み込まなかったともいえるが、リラにしてみればもて遊ばれているようだった。

 その証拠にリラの背には無数の傷があるものの、命に関わるほどの深い傷はない。



『――簡単には殺さん』


 幻聴でも聞こえてきそうなほどに歪なオーラを発しながら三叉の槍は揺れる。それが槍の意志なのか、バフォメットが残した意志なのかは誰にもわからない。





『シュ』

「っつ」


 三叉の槍に翻弄されるリラの周囲は徐々に血に染まりはじめていた。背の服は破れてすでに肌を隠すものはない。

 そして痛みからかリラが振るう羽衣の威力もすこしずつ落ちてきた。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 息を荒くして俯くリラ。

 それにたいして三叉の槍は満足そうにゆらゆらと揺れた。


 両者のダメージの差は決定的だ。リラがどれほど傷ついても三叉の槍に触れることすらできない。


 それでも諦めずにリラは羽衣に力を込める。風の精霊もそれにのり、羽衣はバタバタと荒々しく羽ばたいている。まるでリラの心情を示すかのように。


「舐められたままじゃ終われないのよ!」


 そしてリラは羽衣を黒い騎士の頭上にむかって叩きつけた。風の精霊の力もあって叩きつけられた地面が砕け散る。


 しかしそこに三叉の槍の姿はない。

 躱すこともせずこつ然と姿を消している。


 だがリラは諦めない。

 羽衣を手放すと身を捻って素早く炎の拳を突き出した。背後に現れる三叉の槍を目掛けて。


「っ!?」


 振り返りざまに拳を突き出したリラは眉間にしわを寄せて一瞬硬直した。なぜならそこにいるはずの三叉の槍が姿を現さなかったからだ。



 ジャリ


 そして背後に響く足音。

 三叉の槍はリラの動きを予測して背後を取り直すと、あえて余裕を持って踏み込んだ。


「――っ」


 リラは振り返りながら後ろに飛んだが、黒い騎士は前に出てリラとの距離を詰めた。そして真っ直ぐに突き出された三叉の槍。


 リラは顔と心臓を両腕で防いだが、三叉の槍は無防備に晒されたリラの腹部を容赦なく貫く。


 ズブッ

「ぐ、ごふぁっ、ぁ、ぁぁ」


 三叉の槍に深々と貫かれたリラは堪らず口から血を吐き出した。

 勢いよく吐き出された血は黒い騎士に降り注ぎ、リラの口からは今も血が流れて三叉の槍を赤く濡らしている。


『ギィギギギギ ギギギギギィィィィィイイ』


 そして三叉の槍はリラの感触と血を愉しむようにビリビリと震えた。この時を待っていたと言わんばかりに。リラの苦痛に歪む表情に快楽を覚えて三叉の槍は震え続けた。


 聴こえるはずのない叫び声が響く空間で、リラは静かに血を流し続けた。自らのポーションで治すこともせず、三叉の槍が満足するまで存分に血を浴びせた。



 そして、ゆっくりと口を開く。


「……私がなんて呼ばれてたかあんたは知らないでしょ」

『?』


 リラの問いかけに三叉の槍は震えるのを止めた。その槍をリラは腹の前で力なく両手で握る。


「私は……無慈悲な魔女。目的のためなら、容赦はしない。だから、慈悲はかけない。目的のためなら……どれだけ自分が傷ついても構わない」

『!』


 リラは右手に力を込めるとそこから三色のオーラを発した。そしてようやく三叉の槍は気がつく。誘われていたのは自分のほうだったのだと。


『ギィ!』

 シュン


 危険を感じた三叉の槍はすぐさま空間移動をした。リラの間合いから逃げるべく姿を消した。そのはずなのにリラから離れられない。三叉の槍はリラごと空間移動してしまったのだ。


『ギ! ギィ! ギィ! ギィ!』

 シュ シュ シュ シュ


 それから三叉の槍は何度も空間移動をしたが事態は変わらない。リラの腹から抜け出すことができない。


 そしてもうひとつ。

 三叉の槍を焦らせる理由が黒い騎士だ。

 リラが手放した羽衣が血と繋がり、黒い騎士を覆ってミシミシと締め上げている。


『ギィィィィィイ!』


 自ら動けなくなった三叉の槍は震えた。さっきまで獲物を弄んでいたはずなのに、今はなにも出来ずにただ震えることしかできない。


 そんな三叉の槍をリラは静かに眺めていたが、三色のオーラは新たな光を迎えてさらに激しく光った。


 それは精霊の怒り。

 火と水と風の精霊達は主を傷つけられたことに激しい怒りを感じていた。


 それでも耐えるリラを見て精霊達は我慢した。勝つために犠牲を受け入れるリラを見てひたすら我慢した。


 そしてようやく、その怒りをぶつけられる。自身のためではなく、仲間のための怒り。


「ありがとう、みんな。これで終わりよ。眠りなさい」


 そして掲げられたリラの右手。

 その先にはいつか失った爪に変わり、火と水と風の三つの属性で新たな武器に変わった。


「フェアリー クロウ!」


 ガッ


『ギィィィィイイイイイイ!』


 三本の爪に焼かれ、削られ、内部から壊され、三叉の槍は泣き叫んだ。


 もし、油断しなければ。

 もし、すぐにトドメをさしていれば。

 もし、この女と対峙していなければ。


 それは数年前と変わらぬ後悔。

 そして、変わらぬ結末。


 ビキビキビキビキッ


『〜〜〜〜』


 バギ――――ン


 砕け散った三叉の槍は、歪んだオーラを霧散させながらサラサラと砂に変わっていった。二度と握られことがなく、二度と誰かを傷つけることができないよう、精霊達は最後までその力を奮った。


 そして三叉の槍を失った黒い騎士もまた、事切れたように膝をつき、霧のように消えていった。


 生き残ったのはリラひとり。

 それは紛れもない勝利。

 だが、その代償はあまりにも大きかった。


 ドサ


 リラは地面に倒れると、そのまま血を流し続けた。口からも血が流れ、目は虚ろになっていく。


(……はやく、ポーションを……まだ、死ねない)


 しかし血を流し過ぎた体は動かない。

 冷たくなる指先。

 そして徐々に霞む視界にリラは涙を流した。


(いやよ……もうひとりで死ぬのは……もういやなの……)


 浅い呼吸で横たわるリラの頬に、そっと精霊が寄り添う。それは決して強くはない光。それでもどの精霊達よりも長くリラと過ごした幼い水の精霊達。


 その幼い精霊達はリラの前でくるくると円を描くと、優しく鮮やかな光の輪を作りだした。

 リラはその光をただただ眺めた。

 瞬きもせず、涙を流したままじっと見つめた。



 ペタン ペタン


 そしてその光の輪からひとつの影が現れた。

 人のように二本の足で立ってはいるが、明らかに人ではない存在。それはリラを見ると渋い声で話しかけた。


『そなたは相変わらず無茶をする。だが、まことに素晴らしい姿であったぞ』


 リラは横たわったまま、視線だけで声のするほうに目をむけた。そこにいたのは廃村で出会ったカエルのような精霊。

 その精霊は動けないリラを見ると、手のひらに大きな雫を作りだした。


『これは清らかな水だ。そなたには、これを受け取ってほしい』


 光を含む澄んだ水を見たリラは、微かに口を開いた。


「それ、は、だれかのために、つかう、もの……」


 リラはあの日精霊に言われた言葉をそのまま伝えた。朦朧とした意識では、それ以上のことを考えることはできなかったのだろう。

 だがそんなリラを見て精霊は笑った。

 優しく、見守るように笑った。


『前にも言ったが、人間が皆そなたのようであればいいのだがな。だが、そなたにはこの水を飲んでもらう。それが託された、誰かからの願いでもあるからな』

「……?」


 リラは返事もせずに精霊を見つめた。

 そして精霊は幼い精霊達にその水を渡すと、そっとリラの口元に運ばせた。

 それでもためらうリラを見て精霊は言葉を続けた。託した相手が誰なのかを。


『忘れたのか? そなたを余のもとに導いたのが誰だったのかを』

「……は、かせ」


 その瞬間リラの目から大粒の涙が溢れた。

 どんな時でも見守っている。

 その優しさに触れたリラは泣くのを堪えきれなかった。


『彼の人は余に託したのだ。だから余はそなたにこれを与える。つまり、誰かのために使うということだ』


 その言葉を聞いたリラは清らかな水を口に含んだ。冷たくも、温かい水を。


 そして全身に水が染み込むのを感じながらリラは深い眠りへと落ちていった。

 その様子を見届けた精霊は幼い精霊達に話しかける。


『よく知らせてくれた。次に目を覚ました時には治っておる。だから、今はそっと眠らせてやるのだ』


 精霊はリラに背を向けると、再び光の輪に足を踏み入れ、最後に振り返ってリラを見た。

 その目は共に戦った日々を懐かしむように優しかった。


『博士よ。夢を託せる者が現れてよかったな。余も、協力して眠りについたかいがあったぞ』


 そして精霊は光の輪と共に消えた。

 博士の弟子と、幼い精霊達に未来を託して。


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