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90 最終章《友達》

 トード達を助けたパネェは周囲を見渡して溜め息を吐いた。


「この空気。ついに足を踏み入れちゃったか」

「踏み入れた?」


 トードはパネェの言葉の意味を計りかねて聞き返したが、それをすぐに後悔した。


「うん。ここはもう特級迷宮の中だね。流石に三回目となると嫌でもわかるよ」

「……特級……三回目」


 目の前の女性がとんでもない怪物と知ったトードは心が折れそうになった。

 しかしパネェはボロボロのふたりを交互に見たあと、なにかに気がついたようにトードをじっと見た。


「な、なにか?」


 まじまじと見られてドギマギするトードにパネェは首を傾げながら近づく。


 そして初対面とは思えないほど近づくと、パネェはそっと目を閉じてトードの顔に迫った。

 あまりもの急展開にトードの心臓は跳ねるように脈うった。ついでに傷口から血も溢れだし、頭もボーッとしてきたようだ。


 普通に死にかけている。

 なんならこれが死ぬ直前のご褒美だと思ったかもしれない。


 しかしトードはすぐさま覚醒する。

 パネェの言葉に目を見開いて。


「くんくん。ん〜? 君、アル君の匂いがするね?」

「ア……ル? アル!?」


 キスをされると思ったトードだったが、パネェはトードの匂いを嗅ぐと首を傾げながら離れた。

 なにやらいろんな感情でトードは混乱したが、まずは大事なことを口にした。


「お友達からお願いします!」


 フォークスを担いだままトードはきれいにお辞儀をした。それはそれはきれいなお辞儀を。


 だが相手が悪かった。

 目の前の女はあのパネェだ。

 一筋縄でいくはずがない。


「はい。喜んで」


 !?


 パネェは笑いながら素直に応じた!

 それを見てトードは改心の笑顔を浮かべる。

 それはそれは幸せそうに笑った。

 そして数秒後には固まった。


 なんせ相手はパネェなのだ。

 やっぱり一筋縄ではいかなかった。


「これで毎日組み手ができるな〜。アル君と別れてから思いっきりパンチしてないから楽しみだよ」

「……アルと……別れて?」


 もちろんパネェとトードは違う意味で話している。だから別れも友達からもふたりにとっては違う意味だ。


 だがトードは心を痛めた。

 それはそれは心を痛めた。

 そしてついに力尽きた。



 バタン



 そんなトードを見つめてパネェは笑いかける。ボロボロになるまで大男を担いで戦い抜いたのだ。せめて今くらいはゆっくり寝かせてあげたいと思ったのだろう。


「……さて」


 一言呟いたあと、パネェは表情を引き締めると数歩前に出た。

 それは戦う意志を示すため。

 倒れたふたりを守るため。



「私の友達を傷つける奴は許さないよ」



 パネェが言い放った先では黒い影が地面から浮き上がっていた。しかしそれは今までの人型とも黒い騎士とも違う。


 鋭い爪を持ち牙を剥き出す黒い影。

 翼を羽ばたかせ宙を浮く黒い影。

 異形の角を向け睨みつけてくる黒い影。


 そのどれもが二本の脚で立ち、動く度に瘴気を撒き散らしていた。

 その数は数えることが困難なほどで、海に向かって延々と群れをなしていた。


 そこでもう一度パネェは倒れたままのふたりを見る。ここで戦い続けてはいつかふたりが先に力尽きてしまう。


 撤退の二文字が頭をよぎるが、翼を持った黒い影が空を飛びながらそれを牽制してくる。


 それを見てパネェはもう一度覚悟を決めた。突き進むでも退くでもなく、ただ耐えると。


 そして構えをとったパネェに獣のような黒い影が一斉に飛びかかった。


 スパン

 パパパ、バ――ン


 パネェは素早く拳を突き出すと、最小限の風魔法を使って瘴気を吹き飛ばしながら一撃ずつで仕留めた。


 いつもの派手さにかけるパネェらしくない戦いで、それはあきらかに長期戦を覚悟した戦いだった。


 それでも無数の黒い影はためらうことなくパネェに飛びかかった。黒い影に死にたいする恐怖はない。あるのは生者に対する嫉妬と憎悪だけだ。


 その異質な殺気を向けられながらもパネェは平然と黒い影を蹴散らした。終わることのない襲撃をいつまでも。



 だがパネェは信じている。

 この終わりのない戦いを終わらせるために戦う者が自分だけではないと。

 その者はどんな恐怖からも逃げ出さないと。



「信じてるよ、アル君。君ならリラちゃんとここに来るってね」


 黒い影のなかに光を見い出すように、パネェは何度も拳を突き出した。




◇◇◇◇



(……まだ、死んでないのか。だが、誰かが戦っている。トードか?)


 フォークスは薄く開いた目で事態を把握しようとしてすぐに気がついた。自分がトードの上に倒れていることに。


「……トード」


 掠れる声で名を呼ぶがトードは反応しない。それでもトードの体が僅かに動くのが伝わってきて、フォークスは少しだけ安心した。


 だがすぐに異変に気がつく。

 ぼやけた視界が鮮明になるにつれ、自分たちの周りの地面が黒くなっていることに。ただフォークスとトードのところだけは、くり抜かれたように黒ずんでいない。


 フォークスはそれを理解するために、傷ついた体で上体を起こし、ゆっくりと戦う音のする方をむいた。


 だが目の前の光景を見ても状況が理解できない。自分の知らない黒い影が獰猛な姿をして飛びかかってきている。

 そしてそれをひとりの女性が殴り飛ばし、その度に黒いなにかが地面にこびりつく。


 それを数呼吸の間じっと見ていたフォークスはようやく気がついた。


 それが瘴気であることに。

 そして知らない女性が瘴気によって体中を蝕まられていることに。


 それは三年前に冥界の洞穴で騎士達やリラが患った黒い痣とは比べ物にならないほど濃く、彼女の体からは黒い煙を漂わせていた。



 それでもその女性は止まらない。

 自分の身にどれほど瘴気を浴びようと、迫りくる黒い影を葬り去った。

 ただただ、その瘴気がフォークス達に降り注がないように最低限の風魔法を使いながら。


「や、やめろ! 俺たちのこのは気にするな! あんただけでも逃げてくれ!」

「……」


 フォークスは必死に叫ぶがその女性は聞く耳も持たず拳をふるい続けた。

 前に進む事も退く事もなく、目の前に迫りくる黒い影だけを倒し続ける。



 それは誰かを護る為の戦い。

 

 そしてかつてフォークスが憧れた騎士の後ろ姿。いつの間にか忘れてしまった、幼き頃に目指した真の強さ。


 そのことに今更気がついてフォークスは歯を食いしばる。強くなろうとして技を身につけ、オーラの使い方も他の追随を許さないほどに磨いた。


 だが強くなれなかった。

 肉体的にどれほど強くなってもフォークスは満足する事ができなかった。


 それは当然の事だ。

 護るものを見い出せなかったのだから。

 目的のない強さに壁を越えるだけの強さはない。

 それをようやく自覚したフォークスはなにもできず、ただ願うしかなかった。


(誰か、誰か助けてくれ。あのひとを、助けてくれ)



 そしてフォークスの願いは叶う。

 遥か遠くから進む道を照らすように。


 スパ――ン


 光が迫ってくるのに気がついたフォークスは思わず顔を腕で防いだ。

 しかし光が通り過ぎてもなにもおこらないことに気がついてゆっくりと腕を下ろす。


「……これは……俺達だけを通り抜けている?」


 光に照らされながらフォークスは光の粒子をながめた。

 そこには確かに魔力が通っている。

 だがそれがフォークス達を害することはない。


 そしてフォークスは光を追うように戦い続けた女性を見た。そこに黒い影はすでになく、光を背に浴びる女性だけが佇んでいた。



 それは意志を貫いた背中。

 勝つ事よりも護る事を選んだ英雄は、ようやく膝を地につけた。


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