89 最終章《混乱》
力まず
焦らず
驕らず
ザシュ
アルはヴァルカンの胴を斬り裂いたあとも止まることなく次の動きに移った。
そしてその動きを見た者は誰もが勝利を確信した。
フォルティカ王国最強の騎士を真正面から斬り伏せたのだ。追撃がなくとも疑いようのない勝利。
しかしヴァルカンはすでに人間をやめた者。たった一撃で地に伏せることはない。
ヴァルカンはアルをひと睨みすると傷口から瘴気を噴き出した。そのあまりもの濃度にアルは弾かれるように後方に飛び退く。
そして舌打ちするようにその瘴気を見つめた。
(あれは、俺がいつか相対した黒い化け物)
ヴァルカンから噴き出た黒い瘴気はうねうねと動くと、やがて人型のように収束し、虚空な表情をした化け物に変わった。
「な、なんだあれは!」
「ひ、化け物か!?」
騎士達は化け物を見るなり後退る。
だがその瞬間を狙うように化け物は影から触手を何本も出すと、鞭のようにしならせて騎士達を襲った。
「それに触れるな! 触れただけで死に繋がるぞ!」
アルは必死に叫ぶが、黒い化け物が放つ不規則な鞭はことごとく騎士達を打ち付けた。その威力だけでも十分に命を脅かすものだが、鞭に触れた者は一様にうめき声をあげた。
「ぁああああ! 熱い熱い! ぁぁぁぁぁ」
「来るな! 来るな! ぁがぁぁぁ」
まるで精神を蝕まられるように叫ぶと、目を見開いたままその場に倒れた。その肌はかつてリラが患ったものと同じ黒い痣を浮き上がらせている。
それを見てリラはアルに叫んだ。
「アル! 退いて! これは私のポーションじゃ手に負えない!」
「でも! それじゃあみんなを守れない! く、ヴァルカン! 彼等はかつてのお前の同士だぞ! それが志を持った騎士のすることか!」
アルは空刃で鞭を捌きながらヴァルカンを睨みつけた。だがヴァルカンは見下すように笑って返すだけだ。
『志だと? そんなつまらぬものはとうの昔に捨てた。それでも文句があるのなら来るがいい。辿り着けるものならばな』
それだけ言い残すとヴァルカンは黒い霧に変わってその場から姿を消した。だが黒い化け物だけはその場に留まり鞭を振るい続けている。
この状況にアルは顔をしかめた。
前回この黒い化け物と戦った時は自分の力だけでは抜け出せなかったのだ。そして前回助けてくれたフォークスはヴァルカンが斬り捨てたと言っている。
(どうする!? どうする!? 俺の、絶影なら……)
アルはためらうように絶影を発現させた。
だがそこにいつもの力強さはなく、弱々しく揺らめいている。
それを見たリラは顔を蒼白にして叫んだ。
「待って! 待ちなさい!」
「これしか、これしか!」
アルは自分に言い聞かせるように前へ走り出した。そこに勝算は見えない。
だが黒い化け物はそんなアルにむけて無数の鞭を飛ばした。
その時、悲痛な表情を浮かべたリラの耳は厳しくも優しい声を捉えた。
「まったく、若いからって無闇やたらに突っ込むんじゃないよ」
そして急速に高まる魔力。
それを感知したアルは振り返って大声で叫んだ。
「伏せろぉぉぉぉ!!」
「「「!?」」」
「消え失せろ。サンダーストーム」
バリリリリリ ダッガ―――ン
「うわぁ!」
「きゃぁ!」
黒い化け物に落ちた雷槌はそのまま荒れ狂う竜巻に変わり、雷を纏ったまま黒い影達をそのまま巻き込み続けた。
「はぁ、はぁ、死ぬかと、思った」
「なによあれ……あんなの反則じゃない」
目の前の光景を見ながらリラは呆然とした。
精霊師となり、賢者すらも圧倒できる力を手に入れたと思っていたが、その威力を目の当たりにした今、考えを改めずにはいられなかった。
そしてアルは上空を見上げる。
そこからはふたりの影が勢いよく落ちてきていた。
「とめてくれ〜〜!」
「うるさいねえ! ブラスト」
ブワッ
落ちてきたふたりは地面にあたる直前で勢いを殺すと、ふわりと着地した。
「ふぅぅ。相変わらず派手じゃの。もう少し安全というものを学んだらどうじゃ?」
「人の魔法にケチつけんじゃないよ。だいたいあんたがもっと速く歩いてればもうすこしまともな展開だったろうに」
「そう言うな。儂かて老体に鞭打ってここまで来たんじゃ」
ふたりはここが最前線だというのに気にすることなく話し続けた。もっとも黒い化け物はすでに消滅し、黒い影達も竜巻に追われている最中だが。
「先生。それに、老師まで」
「ふぉっふぉ。相変わらず苦労しとるのお。それにリラ。元気そうでなによりじゃ」
特級迷宮サラガから現れた老師は、戦地に似合わずニコニコと話し返した。それにたいしてリラは、泣きそうな笑顔を浮かべる。
「心配するな。ここの者達は儂が責任を持って治す」
老師は腰袋から翡翠色のポーションを何本も取り出すとリラの前で振ってみせた。その翡翠色は、いつかアルが老師に渡した魔石と同じく、美しく輝いていた。
「老師……ありがとうございます」
そこでリラはようやくほっとした表情を見せた。
自分が助かることよりも誰かが助かることの方が彼女にとっては大事なことなのかもしれない。
「それで、アル。わかってる範囲でなにが起こってるか教えな」
先生の言葉でその場にもう一度緊張感が走る。アルは浅く息を吐くと怒りを鎮めながらなにが起こったかだけを手短に話した。
それを聞いた先生は小さく舌打ちをしたあと、王都に首を向けた。
「あの馬鹿は……」
「先生?」
しばらく王都を見つめた先生はアルとリラを見てふたりの肩に手を置いた。
「いいかい。アルとリラはこのまま迷宮の中を目指すんだ。道は私がつくる」
アルは先生の言葉を聞いたあと、一度目を王都に向けた。そこに魔法はすでになく、打ち消された黒い影達は再び地面から浮き上がってきているところだった。
普通であればその中を突っ切るのは無謀だ。
だがアルは疑わなかった。
彼女が示すのならば方法など二の次でいい。
「わかりました」
まっすぐに頷くアルに先生は微かに微笑んでみせた。
「いい子だ。それとリラ。あんたになにかあって悲しむのはアルだけじゃない。それを、忘れないで」
そして最後にリラを抱きしめて優しく語りかけた。その言葉を受けたリラは一度素直に抱擁を受け止めたが、先生の背中にそっと手を添えて口を開いた。
「ありがとうございます。でも、私にも譲れないものがあるんです。だから、信じてください。必ずアルとふたりで帰ってきますから」
背中に添えられただけの手から力強さを感じとった先生は、耐えるようにきつくリラを抱きしめた。
「……わかった。でも、もうおいてけぼりは嫌だよ」
「……はい。お義母様」
最後にリラも力強く抱きしめ返したあと、老師に向きなおった。
「老師。行ってまいります」
「ああ。……儂より、先に死ぬなよ。それと、これも持っていきなさい」
老師は翡翠色のポーションをリラに手渡すと、ゆっくりとリラの顔を見上げた。
寂しげに目を細めた老師を見て、今度はリラから老師を抱きしめる。
「帰ってきたら、またいろんなことを教えてくださいね?」
その言葉を受けて老師は目を震わす。
耐えるのに必死で言葉はでなかった。
それでも頷くように首を振り、リラをギュッと抱きしめた。
その姿を見てアルはチラリと先生を見た。
そして同じく先生もアルを見た。
「どうします? 俺たちもハグしますか?」
「そうだね。さあ、おいで」
「え? え、え?」
茶化すように言ったアルを、先生はきつく抱きしめた。
「せ、先生?」
「黙ってな」
「は、はい」
どうしていいいかわからず手を泳がせたアルだったが、最後はそっと背中に手を回した。
「まったく。この程度で動揺するなんて。いつまでたっても子供だね」
「そりゃ先生から見たら俺は子供みたいなもんでしょうけど……別に……それでいいですよ」
「ふっ、馬鹿な子だ」
「先生だってたいして変わらないでしょ」
ふたりが過ごした時間はそれほど長くはない。それでもふたりはお互いをよく理解していた。何度負けても愚直に挑み、大事なものの為に力を奮う。
そんな強さにふたりは共感し、お互いを認めあった。大事な人として。
「さて、向こうの準備も整ったようだし、そろそろやるかね」
先生は三人を置いて数歩進むと、両手を開いて空を見た。その背中からは、濃くも透き通るように美しい青のオーラが漂った。圧倒的な魔力が集まるが威圧感はない。
「道を開けな」
ボワッ
そして先生の頭上には色を伴った光の玉が何種類も現れた。
それを見てアルとリラは息を呑む。
フォルティカ王国にくるまでに先生とは何度も手合わせしたのだ。だからこそわかる。
その光の玉がそれぞれ違う属性でできていることに。
そして先生は両手を前にかざし詠唱する。
大切な人を護るための魔法。
大陸最強の魔法使いが使う、深淵の魔法を。
「――セイクリッドロード」
シュン
スパパパパパ――ン
「光が、光の道が」
先生が放った魔法はそれぞれの属性の色に輝きながら、目の前の黒い影をすべて打ち消した。それでも光は止まることなく王都にむけて突き進んだが、城門を壊すことなく遠くまで照らし続けている。
「あとは、任せたよ」
振り返った先生にふたりは頷くとその場から駆け出した。振り返ることなく、光の道をまっすぐに。
そしてこの魔法はもうひとつの局面を大きく動かすこととなった。
◇◇◇◇
「はぁ! はぁ! アイス、バレット! くそ、道を、道をあけろー!」
フォークスを肩に担いで魔法を放つトード。
しかし魔力はほとんど底をつき、彼等を囲む黒い騎士達から逃げ出すことが出来ずにいた。
もしトードひとりであればこの窮地を抜け出すことができただろう。だが彼はフォークスを決して見捨てなかった。
昔ケルベロスから守ってもらっただけでなく、この数年間フォークスを師として行動を共にしてきたからだ。
だが彼の限界は目の前だった。
意識のないフォークスを担ぎながら戦うトードは攻撃を躱すことができず、足もとには血溜まりができていた。
そしてついに黒い騎士達は剣を振り上げ一斉に飛びかかってきた。
「負けるかぁぁぁああ!」
それでも傷ついた体で剣を握ったトードに、ひとつめの奇跡が降り注ぐ。
「どっせぇぇぇい!」
ズバ――――ン!
雄叫びとともに目の前の黒い騎士達は形を崩しながら砕け散った。そして飛ぶように現れた人物はトードの横に素早く着地すると、さらに叫んだ。
「もういっっちょ!」
ドバ――――ン!
その人物が繰り出した蹴りはトードの背を襲おうとしていた黒い騎士達を同じく消し飛ばした。
一瞬の出来事に戸惑うトード。
しかしそんなことも気にせずその人物は快活に笑った。
「イケメン発見!」
その眩しい笑顔にトードは目を丸くして口を開く。この場に相応しくない表情で。
「美しい方だ……よければ、お名前を……」
それを聞いた人物はまんざらでもない様子で笑った。
「はっはっ! そうかそうか。ようやく私の魅力に気がつく者が現れたか。よし、よく聞きなさい! 私の名は〜」
彼女は溜めた。
とても嬉しそうに溜めた。
そして叫んだ。
渾身の笑顔付きで。
「パネェさんよ!」
自信満々に答えたパネェを見てトードは頬を染めた。
「め、女神様」
彼は血迷いやすいタイプだったようだ。




